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給食は甘やかさない 奥田英朗

 1959年生まれのわたしにとって、美食という概念は後年になって発生したもので、どこか後付け感がある。日本人が本当に豊かになったのは80年代以降に過ぎず、それ以前に少年期、青春期を過ごしたわたしは、どれだけ過去を取り繕うとも、食事の主目的が空腹を満たすためであった事実を覆すことはできない。そのせいか、同年代でグルメを気取る輩(やから)には「うそをつくな」と耳元でささやきたくなってくる。わたしの場合、粗食は性格まで悪くしたようである。

 我らの少年時代、美食と程遠かった日常の象徴と言えるのが、学校給食であった。「まずかった」とまでは言わないが、「おいしかった」とは金を積まれても言いたくない。恐らく世の中全体に、戦中戦後の食糧難時代の名残があり、食事に注文をつけるなどけしからんという空気があったのではないか。

 栄養第一。味は二の次。だいたいホウレン草のおひたしに、家庭では捨てられる根っこ(とにかく苦い)が当たり前のように入っていたのだから、栄養価が高いとしても、子供を突き放している。おまけに食べ物の好き嫌いは罪悪で、給食を残すことはまかりならんと、担任の教師が横で見張ってもいた。わたしは、豚肉の脂身が食べられなくて、「ひっく、ひっく」としゃくり上げながら懸命に咀嚼(そしゃく)する小林クンの涙を半世紀経った今でも忘れることができない。小林よ、トラウマになってないか? 復讐(ふくしゅう)するなら手を貸してもよいぞ。

 さて、そんな給食ではあったが、中で唯一、生徒たちに歓迎されたメニューがあり、それは揚げパンだった。コッペパンを油で揚げ、シナモンと砂糖をまぶした、あの菓子パンである。確か月に二度くらい献立に入っていた記憶がある。揚げパンの日はうれしくて、うれしくて。小林クンも恵比須顔。

 油を吸ってひしゃげたパンに、茶色いシナモンと白い砂糖が、収穫したばかりの野菜の土のごとく付着している。それを払うことなくパクリ。口中に広がる甘みとスパイスの香りは、昭和の子供が経験する初めての西洋風味で、遠い世界を想像させた。とりわけ地方には町のベーカリーがなかったので、給食でしか食べられないのも飢餓感を煽(あお)った。我らには学校給食オリジナルだったのだ。食べ終えると、シナモンと砂糖がついた指も丁寧になめた。当然の行為である。揚げパンひとつで生徒を手なずけたとは、学校恐るべし。

 あの時代、給食が子供を甘やかさなかったせいで、我らは食に対して実に安上がりな世代となった。恨みは深い。=朝日新聞2020年2月1日掲載