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フルポン村上の俳句修行 「コクリコ坂」なお寺で、お酒のアテになる俳句を

文:加藤千絵、写真:北原千恵美

 1月19日午後2時、西念寺の本堂に集まったのは、実に27人。あらかじめ敷かれた座布団では足りず、人が来る度に押し入れから出してきて、すき間なく座ります。その光景を眺めながら「今日は多いな。たぶん私も10人くらい知らない」とつぶやくのは、結社「麦」同人の斉田仁さんです。

 斉田さんが主宰する塵風(じんぷう)句会は、毎月第3日曜に開かれます。この日は西念寺の住職であり、句会のメンバーでもある佐山哲郎さんが代表を務める「月天(がってん)」という句会と合同で行うことになり、予想以上に人が集まりました。ざわざわとした空気が一瞬だけ止まったのは、村上さんが現れたとき。早速、斉田さんの隣の特等席(といっても座布団)に案内されます。出句は当季雑詠で3句。短冊に書いて提出したのは以下の通りでした。(原文ママ)

  • 冬北斗ハーゲンダッツ叩く匙
  • 無印良品(むじるし)のマット立て掛けキムチ鍋
  • 土鍋の蓋にみかんを置いてみてひとり

 「いろんな職業の人がいる自由な句会って聞いてたから、ほかの句会だとちょっと俳句として成立してないかもな、っていうのをあえて出しました。短歌じゃないですけど、3つとも自分史にしてみたんです。それぞれ時代は違うんですけど、ぜんぶ自分の部屋での夜の出来事なんですよ。むかし無印のマットを使ってたし、とか。冬に食べるハーゲンダッツうまいよな、とか」(村上さん)

 塵風句会は中心メンバーである斉田さん、佐山さん、長谷川裕さんがもともと出版界でつながっていたこともあり、編集者や漫画家、画家、イラストレーター、テレビのディレクターなどクリエーターがたくさんいます。佐山さんは今でこそ僧侶ですが、実はジブリ映画「コクリコ坂から」の原作者でもあります。「20代の終わりの頃に講談社の少女漫画の原作をやってて、そのなかの一つなんだけど、問題は40年も前のものを宮崎駿が一生懸命読んでたってことですよ」と佐山さん。なんでも長野に逗留中の宮崎氏が、偶然本棚にあった「なかよし」を読んでコクリコ坂を発見し、映画にすると決めたそう。その佐山さんが編集者の長谷川さんと知り合い、出版社と付き合いのあった当時銀行員の斉田さんと出会って、句会を始めたのがおよそ25年前とのことです。

斉田仁さん(中央)と佐山哲郎さん(右)

 句会の特徴は、点が入らなかった句も全部開けて(作者が名のって)講評すること。「みんな俳句の先生じゃないから。そういう人が集まって、少しずつ少しずつ積み上げてきた句会なんだよね。だからここで点が入るとか入らないとか、私はそういうことをあまり気にしない。どの句も絶対、何かいいところはあるから」と斉田さん。この句会の目的は?という質問には、「ない! 自由! 酒を飲みに集まってる連中がほとんどなんだ。私もそうなんだけどさ」と笑います。

 この日は新年会もあっての大所帯で、現場は最初からプチパニック。「(短冊は)もう出ました?」「まだー」「おせーよ」。集まった無記名の短冊を元に、それぞれ手書きで全句を書き写すだけでも1時間が過ぎます。その中から1人7句ずつ選び、平成生まれの若い箏曲さんが全員の選をまとめて読み上げます。トータル189句の披講が終わると、誰からともなく「飲もう!」「もう開けなくていい!」「さすがに疲れる!」という声が。でも本番はまだまだこれから。斉田さんによる全句講評が始まります。

 この日人気だったのは、吾郎さんの「ふかし芋人生たまにうまくいく」でした。

斉田:これが本日の8点句。こういう句会はね、点が入ったからいいのか悪いのか俺には判断がつかないけどね。これだけ(点を)取ったんだから、何かあったんだろう。振り子さん、ひとつ(句評を)言ってください。

振り子:ふかし芋が実にうまい選択でした。人生たまにうまくいくのが一番喜ばしいと思います。

雪我狂流(ゆきがふる):ふかし芋がやっぱり効いてる。うまい! 焼き芋じゃだめ!

斉田:これはどなたですか。

吾郎:意外な吾郎です。

一同:お~、回文じゃない! ※吾郎さんは回文が得意(?)で、この日は「寒暖差野辺日延べの算段か」という句もありました

 同じく8点句の「葱白く商店街の始まりぬ(篠)」は、村上さんも取りました。

村上:すごい明るい感じで、いいなと思いました。

斉田:ちいちゃな葱と長い商店街がだんだんと広がりを見せていくところがうまいと思うな。

 なにせ数が多いので、斉田さんが「いつもはもっと丁寧にやるんですが」と断りながら、句会はテンポ良く進んでいきます。村上さんの句は「冬北斗ハーゲンダッツ叩く匙」に1点、「土鍋の蓋にみかんを置いてみてひとり」に3点入りました。

長谷川:土鍋の蓋ってちょっとこう、へこんでるんだよね。たかつきの逆になったみたいな感じでさ。そこにミカンを置くっていう映像的なのがおもしろいのと、そんなつまらないことしてみてる、一人、っていう収め方が、あるひとつの境涯みたいなものと一緒になっておもしろいと思いました。

斉田:俺も取ったんだけど、こういうのは男じゃないと分からないんじゃないかな。どなた?

村上:村上です。

一同:お~。

斉田:村上さん、大変失礼だけど、一人なの?

一同:(爆笑)

斉田:いや、男だって言ったから当たってよかったよ。

 「隣で句会やってる人に、静かにしてくださいって言われたことあるんだよ。俺たちも句会やってるのにさ」と佐山さんが言えば、長谷川さんが「ここは学級崩壊みたいなもん」と続けるだけあって、塵風句会は終始にぎやかに進行します。斉田さんの「連絡船に積む楽器函雪催(ゆきもよい)」という句には「カルロス性がある」と謎の句評が。佐山さんの「骨粉を掃き寄せてゆく冬の午後」には3点が入り、「業界俳句、業俳です」と佐山さんが答えると、どっと笑いが起きます。1人3句しか出せないルールなのに、同一人物が別の俳号でたくさん投句していたことも明らかになっていきます。

 スタートからたっぷり3時間半ほどかけて、句会は終了。最後の講評が終わると、誰からともなく拍手がわき上がりました。「大マラソン大会だね、これ」「なんとか終わったよ」「いやいやいやいや」「感動した」「足が外れそう」。そう言いながらみんながそそくさと用紙をしまい、それぞれ持ち寄ったお酒とつまみを机に並べ始めます。そんな現世(うつしよ)を、本堂にそびえる阿弥陀三尊がひたすら優しく見つめていました。

句会を終えて、村上さんのコメント

 「自分の句が取られたい」って気持ちはいまだにあるし、「なるほど、そういう解釈があるんだ」とかみんなの講評が勉強になるんですけど、今回の句会は終わった時の達成感が一番でかかったです(笑)。なんか、みんなそういう感じでしたよね。「みんなで終わらせよう!」っていう方に気持ちがいってましたね(笑)。

 でもそれはそれで楽しいというか、何か一つのことを終えたぞ!っていう仲間意識だと思うんです。句会っていい俳句を見つけるためだけの場じゃない。句会自体を楽しむ、って考えたら、ああいう達成感はいいなって思いました。句会を終わらせたことによって、酒の場でその日の句をアテに飲めばいい。

 最初に行ったときは、お寺であの雰囲気だし、結構年齢の高い方がいらっしゃって、格式ある感じかなと思ったんですけど、本当にいろんな遊び心にあふれてる俳句がいっぱいあったと思います。あの大人数の中で3句しか出せなくて、取られようと思うとみんないい意味でのキャッチ―なワードを素材として使ってたじゃないですか。それはすごくいいと思いました。それ自体が俳句を高めることかは分からないですし、もっとどしっとしたものを作る必要もあると思うんですけど、こういう時に取られるためには何かこう、目に留まる引っかかりみたいなものがないとしんどいですよね。

 僕が選んだ「ドブネズミに好きなどぶあり春隣(槙)」の句も、もしかしたら格式ある俳句の人はいやがる人もいるかもしれないですよね。叙情的にかなり寄ってる。「かまくらは大人が来る前に潰せ(箏曲)」も、こういうのは俳句じゃないって言う人はいるかもしれないけど、でもちゃんとみんなに取られていくし。僕は取ってないけど「うたたねの駅ひとつぶん春隣(たりえ)」とか「ふかし芋人生たまにうまくいく」とか、よかったですよね。上手い人しかいなかったんだろうな。

 「ふかし芋~」の句は、僕がもともとの原型で習ってる描写、写生句かっていうと違うと思うんですけど、いろんな句会に参加すればするほど、そうじゃない句もたくさんあることが分かってくる。結局は、自分は何が好きかを見つけるべきではあるな、と思いました。

【俳句修行は来月に続きます!】