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牛丼店はドラマに満ちる 奥田英朗

 二十代前半、わたしは小さな広告会社に勤務していた。その会社、給料は安く、残業代も出なかったが、せめてもの罪滅ぼしか、飯さえ与えておけば社員は文句を言わないと高をくくったのか、夕食代と夜食代は会社持ちだった。そうなると我らが考えることはひとつである。飯は会社で食う――。

 昼頃出社して午前三時に帰宅するような日々だったので、必然的に会社で二食を食べた。夕方、「出前取るぞ」と誰かが言うと、みなが集まりメニューを検討する。と言っても注文は決まっている。蕎麦(そば)屋ならカツ丼大盛り。中華食堂ならチャーハン大盛り。出前ピザすらなかった時代なので、近所の個人経営の店から取るしかない。

 早飯早〇芸の内とばかりに、届いた料理はあっという間に各自の胃袋に消えていった。全員二十代。社長も三十代。ゆっくり食べる人間は一人もいなかった。このへんは野生動物と一緒である(横取りされるのを恐れる)。

 で、深夜になると、また腹が減り、今度は同僚と連れ立って外に出た。営業しているのは牛丼店かラーメン店で、どちらに行こうと大盛りを食べた。そして牛丼店では、こんな注文の仕方をわたしは編み出した。

 牛丼大盛りと牛皿――。店員は一瞬きょとんとするが、繰り返し告げると意図を察し、供してくれた。わたしは牛丼の大盛りに、牛皿をさらにトッピングし、紅しょうがを大量投入し、カバの如(ごと)く食い進むのであった。いったい何キロカロリーあったことか。健康によろしくないこと必至であるが、当時はそれで一グラムも太らなかったのだから、青春は人に無茶をさせる。

 そんなある夜、いつもの牛丼店でこんなことがあった。学生らしき男の二人組がのそりと店に入って来た。カウンターの隅に並んで座ると、店員にそれぞれこう注文したのだ。「牛丼並」「ライス並」――。店員は怪訝(けげん)そうな顔で聞き返したが、二人は同じ注文を繰り返す。わたしも耳を疑った。ライス並の人はどうやって食べるのだ?

 謎はすぐに解けた。カウンターに注文の品が届くと、一人分の牛丼から肉の半分をライスの丼に移し、それに醤油(しょうゆ)をかけて食べ始めた。二人は、具をシェアして二人前の牛丼を作ったのである。恐らく二人前注文する金がなく、それでも腹が減って、この作戦を思いついたのだろう。

 わたしは彼らの友情に感動し、同時に自分を恥じた。どうせ会社の金と意地汚く肉を大量摂取する行為は、少なくとも美しい食べ方ではない。ご飯と具の黄金比に対する冒涜(ぼうとく)でもある。

 と反省しつつ、肉大盛りの牛丼はしっかり平らげたのだが。

 深夜の牛丼店にドラマあり。牛丼店なんて、もう二十年近く行ってない。=朝日新聞2020年2月22日掲載