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東山彰良のTurn! Turn! Turn! #11 台湾・花蓮県 失われた名前、失われた香り

文:東山彰良 写真:河合真人

 台湾の東海岸、花蓮県に2週間ほど滞在した。私が投宿したのは花蓮駅からローカル鉄道で30分ほど南へ下った豐田(フォンティエン)という小さな町の、夢のように美しい民宿だった。この民宿には鯉(こい)やナマズが泳ぐ蓮池があり、毎朝どこからともなくアオサギが一羽飛んできて、池の魚たちを獲(と)ろうとする。そのたびに民宿のカフェで働くおばさんが血相を変えて飛び出し、石を拾って投げつけるのだった。

 花蓮は西を中央山脈、東を海岸山脈で囲まれており、市街地へ行けばなにかと便利なのだが、いかんせん豐田から出る電車は2時間に1本しかない。滞在中、1度だけ台北にあがってトークイベントをやったが、あとはほとんど宿に引きこもって本を読んだり、だらだらと原稿を書いたり、あてもなく近所を自転車で走り回ったりの日々であった。

花蓮駅の西側には昔ながらの風景が残っている。街のすぐそこまで山が迫っていた=台湾・花蓮

 豐田から花蓮へのぼるときには、壽豐、平和、志學、吉安という小さな駅をとおる。それぞれの駅に着くたびに中国語、台湾語、客家語、英語、原住民語(おそらくアミ族の言葉)で車内放送が入るのだが、何度も電車に乗って往復するうちに、私は原住民語のなかに日本統治時代の名残を聞き取るようになった。

 たとえば「志學」は中国語では「ジーシュエ」と発音するが、原住民語では「シハック」となる。どことなく日本語の「しがく」に近い。「吉安」は中国語では「ジイアン」だが、原住民語では「ヨシノ」である。吉安にはそのむかし日本人入植者の村があって、その村の名前が「吉野」だったのだ。第2次世界大戦後に日本人が引き揚げてからは、多くの村の名が国民党によって変えられた。花蓮出身の詩人、楊牧(ヤンムー)もつぎのように書いている。

 「花蓮付近の多くの村の名前も改変された。和風の名前は取り消され、原住民の言語から取られていたものも変えられた。どこへ行っても大禹、三民、大同、志学、宜昌、崇徳、和平などの教訓的で効用を示す村名である。(中略)あの大山の近くの吉野村も吉安に改名された」

 詩人は失われてしまったものに思いを馳(は)せる。

一軒の小屋、一匹の猫
時々、窓の外で冷たい風雨
壁の上の一抹の黒雲は ぼくのコーヒーを飲む猫
彼女もまた老いて、時々幼い頃の鈴を思い出す

 無聊(ぶりょう)に飽かせて、私は詩について考える。コーヒーをたしなむ猫とは、いったいどんな猫だろう?

 民宿のまわりを散歩しているときに見かける、あの黒猫のようなやつだろうか? それとも、我が愛猫カグラのような白と黒の斑猫(はんみょう)(カグちゃんはオスだけど)? 名前はあるにしても、「教訓的で効用を示す」名前ではないはずだ。

かつて日本軍施設として建てられた松園別館。東山さんと当時の防空壕跡に入ってみた=台湾・花蓮

 それにしても、なんと味わい深い老いの詩(うた)だろう。時代は移ろい、いまや猫もコーヒーに手が出るようになったというわけだ。なんの不思議もない。当節はスマホに猫が喜ぶアプリだって入っている。

 私の想像力は飛翔(ひしょう)する。猫がコーヒーカップを覗(のぞ)きこんでいる。黒い液体に、彼女のふたつの翡翠(ひすい)色の瞳が映っている。彼女は注意深くコーヒーをひと舐(な)めする。そのとき、首の鈴がチリンと鳴る(首輪はオーソドックスな赤?)。彼女の耳がぴくりと動く。首を伸ばし、窓の外の冷たい風雨をじっと見つめる。庭の檳榔樹(びんろうじゅ)が風にたわんでいる。部屋のなかは心地よく暖かい(暖炉に火が燃えていれば言うことなし)。ご主人様は文机にむかって書き物をしている。かつては恋人たちの心を代弁したが、いまは誰にも聴かれなくなった古い歌が小さく流れている。彼女は窓の外を眺め、それから興をそがれたようにキッチンテーブルからひらりと飛び降りる――チリン――まるで過日の夢のなかへと戻っていくかのように……

日本の統治下で大規模な伐採作業が行われていた林田山。当時木材を運搬した線路の上を歩く東山さん=台湾・花蓮

 どんなに取り繕ってみても、老いはやはり悲しい。だけど、きっと悪いことばかりでもあるまい。私たちの目は老眼でぼやけてしまったけれど、そのかわりにこんな詩をじっくりと味わうことができるようになった。もう若いころのような闇雲(やみくも)な衝動は忘れかけている。でも、すっかり忘れてしまったわけでもないのだ。

 老いと言えば、こんな笑い話を聞いた。台湾の若者たちが沖縄へ旅行する相談をしていると、老人がやってきて叫んだ。「わしは4回も沖縄に行ったことがあるぞ!」

 「すごいですね!」。若者たちはびっくり仰天して尋ねた。「沖縄って、よっぽどいいところなんですね」

 「そんなんじゃない」。老人は憤然として言った。「1度目に誘われたときは、『オキナワへ行こう』と言われた。わしはオキナワなんか行ったことがなかったから、ほいほいついて行った。2度目に誘われたときは『沖縄(チョンシェン)へ行こう』と言われた。チョンシェンなんて知らんかったからまたいそいそとついて行った。3度目はこう言われた。『おじいさん、那覇(なは)へ行きましょう』。ナハ? よさそうなところじゃないか。それでまたのこのこついて行った。そして4度目は『琉球(りゅうきゅう)へ行きませんか』ときた!」

 私の考えでは、このおじいさんはあと2回は沖縄へ行ける。だって、那覇(ナアバア)と琉球(リョウチョウ)がまだ残っているのだから。沖縄はたしかに良いところだけど、もし沖縄が沖縄ではなく「信義」とか「忠孝」という名前だったら、これほど台湾人を惹(ひ)きつけなかったのではなかろうか。=朝日新聞2020年2月22日掲載