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つまらんことを自慢するな 津村記久子

 たぶん毎日十五分は『マルタの鷹(たか)』のことを考えている。そこそこ本を読んできたけど、毎日必ず思い出すのは断然『マルタの鷹』だ。謎の女ブリジッド・オショーネシーが「わたしは嘘(うそ)つき。ずっとそうだったわ」と認める場面で、探偵サム・スペードが「つまらんことを自慢するな。大人げないぞ」とコメントするところがすごく好きなのだ。そうだなまじつまんねえな。まったく自慢することじゃねえな。

 本当に自分は中年になってきたなと思うのだけれども、「わたしは嘘つき」にしろ「俺はそういう残酷なところがあるんだ」にしろ、中年を過ぎて自己言及する人の話はまともに聞き入れる必要がないと考えるようになった。自分が何者であるかについて言葉で説明することはいくらでもできるから、若い時はそういうことを楽しんでもいいし、ブリジッド・オショーネシーもまだ若いけれども、千回万回と行動を重ねてきたおっさんおばはんになってそれをやってるのは見苦しいと思う。自分は確かに自分自身だが、他人の中にある自分も引き受けなければいけない自分自身であり、粗相をしたなと思ったら正面からあやまって行動を変えるしかない。「わたしは嘘つき」「俺は嘘をつく」などと、ただ単に「わかっている」と自認することだけで相手の中に容赦の枠を作り出そうとするなどは以(もっ)ての外で、明日から何をやるかで他人の中の自分をましな方向に持っていくしかない。

 非を認め改善の側に進まず「私って/俺って」を展開させてうんざりさせる人に対しては、自分はサム・スペードだと思うことで心の中で対抗すればいい。「知らんわ」と正面から切って捨てられないシチュエーションでも、あなたには最低限サム・スペードがついている。

 ちなみに『マルタの鷹』には「愛していると思うよ。だからどうだというんだ」という画期的な台詞(せりふ)もある。人類が逆らい難い愛を人質にあなたをこけにする人間がいたら、そうやって言い返すことを勧める。=朝日新聞2020年3月18日掲載