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魅惑の幻獣・珍獣たち 奇妙な動物に出会える怪奇幻想小説4選

文:朝宮運河

 新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、全国の動物園も休園を余儀なくされているようだ。今月の怪奇幻想時評では、せめて本の世界の動物園へご案内しよう。ただし図鑑に載っていない幻獣・珍獣も混じっているのでご注意を!

 小川洋子編『小川洋子と読む内田百閒アンソロジー』(ちくま文庫)は、日本文学史上に特異な足跡を残した内田百閒の名作を、当代きっての読み巧者であり、百閒ファンとしても知られる作家が選りすぐったアンソロジー。
 百閒文学の代名詞である幻想小説から、いまひとつの代名詞であるユーモラスな随筆、純愛小説、日本昔話のパロディまで全24編。多彩な作風の向こうに「言葉の届かない暗がり」(編者あとがき)をひたむきに探究した鬼才の大きな影が見える。熟練の現地ガイドだけが知る絶景撮影スポットを、そっと耳打ちしてくれるような解説も読みどころ。百閒入門にはもちろん再読用にもぴったりの、コンパクトながら中身の濃い一冊である。

 さて小鳥や猫を偏愛した百閒の作品には、さまざまな動物が登場する。本書に限っても、見世物小屋で争う熊と牛、水引を掛けられた兎、人と並んで橋を渡る鶴、どこかで吠え続ける犬……と数え上げればきりがいない。
 中でも有名なのは、人の頭と牛の体をもち、未来を予言するとされる件(くだん)だろう。この妖怪を語り手にした短編「件」では、不条理な運命に生まれついた者の不安や焦りが、夢の世界を思わせる時間経過とともに描かれてゆく。「一旦この小説を読んだら最後、もう二度と〝件〟という字の前を素通りすることはできない」と編者が述べているが、言い得て妙。時おり「あの件は今頃どうしているだろう」と考えて、背筋がひやりとすることがある。こんな怖さを味わえるのも、百閒動物園ならではだ。

 一條次郎『動物たちのまーまー』(新潮文庫)は、『レプリカたちの夜』で鮮烈なデビューを飾った新鋭による初の短編集。カバーの猫(猟銃とピザの箱を抱えている)に惹かれてページをめくると、そこにはなんとも奇妙でオフビートな無国籍風動物園が広がっていた!
 たとえば「アンラクギョ」の舞台は化学工場の事故以来、チワワくらいの象や空飛ぶダンゴムシなど、おかしな生物が相次いで発生するようになった町。助役の電話を受け、天然記念物のアンラクギョをトッピングした1枚23万円のピザを配達に出かけたピザ屋の店長は、夜道でネコビトに絡まれ、荷を奪われそうになる。ネコビトとはその名のとおり、人のように二本脚で歩く獰猛な怪猫だ。どうやらネコビトはアンラクギョにご執心らしい。
 そのほか、雇い主から預かった猫が騒音でみるみる巨大化していく「テノリネコ」、清掃中の別荘のプールにラッコが浮かんでいる「貝殻プールでまちあわせ」など、思わず笑ってしまうような7つのシチュエーションのもと、「私は一体どうすれば……」とひそかに頭を抱える人々の姿が活写されてゆく。
 まさにピザのお供にふさわしい愉快痛快な小説だが、底に横たわっている感情は、百閒文学のそれとも響き合う。そういえば百閒にも、猫がどんどん大きくなる小説(「梅雨韻」前掲アンソロジーにも所収)があった。

 『まーまー』とは対照的に静謐な世界を作りあげているのが、第32回小説すばる新人賞を受賞した上畠菜緖『しゃもぬまの島』(集英社)。しゃもぬまは中型犬くらいの大きさで、姿はロバに似ているという馬だ。祐の生まれ育った小島では、しゃもぬまは人を天国に導く霊獣だと信じられている。島を離れ本土の出版社で働く祐の部屋に、ある日突如しゃもぬまが現れる。
 架空の獣、島の暮らし、死の祭礼がリアリティをもって描かれる一方、不眠症の祐を取りまく日常はどこかふわふわしていて得体が知れない。天国と地獄、無数の死者たち、日常を侵食する「おばけ」。不穏なイメージを散りばめた本書は、「怪奇幻想小説」の呼称がしっくりくるような長編だ。「宮部みゆきさん、爆推し!!!」のコピーにつられジャケ買いならぬ帯買いした作品だったが、これは大成功。奇しくも内田百閒、小川洋子と同じく岡山県出身の新世代幻想作家に要注目である。

 田辺青蛙『人魚の石』(徳間文庫)に登場するのは人魚。といっても童話やアニメでおなじみのあの人魚とは、だいぶイメージが違う。祖父の山寺を継ぐことになった青年・由木尾は、庭の池の底にすっぱだかの男が横たわっているのを発見。色白で睫毛が長いその男は、かつて祖父が琵琶湖から釣り上げ、寺に連れてきたというオスの人魚だった。「うお太郎」と名づけられた人魚によれば、山には不思議な力を秘めた石がたくさん埋まっており、由木尾の一族はそれを見つけることができるという。
 なんとも突飛な話だが、それでも妙に納得してしまえるのは、著者の雰囲気作りと設定が巧みだから。読者はいつしか由木尾とうお太郎の呑気な日常も、幽霊が飛び出したり、記憶を封じこめたりする奇石の存在も、この現実と地続きのものと感じているはずだ。幻獣・鉱物というマニアックな題材を扱いながら、このリーダビリティーの高さは驚異的である。
 土着性と奇想、ポップさと不気味さ、おかしみと淋しさ。田辺作品を構成してきた諸要素をぎゅっと詰めこみ、短編と長編の面白さを共存させた『人魚の石』は、著者のひとつの到達点だと言える。今回の文庫化を機に、愛すべき人魚(ナルシストで女装癖あり)の住む山寺にも足を運んでみてほしい。