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青山七恵さんが読んできた本たち 作家の読書道:第216回

本に関する最初の衝撃

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 小さい頃、絵本の「ノンタン」シリーズがすごく好きでした。なかでも『ノンタンのたんじょうび』っていうのが大好きで。表紙の裏にクッキーの作り方が書いてあるんですよね。それがすごくおいしそうだと思ったのが、読書の最初の記憶です。

>「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で

――自発的に本を読む子どもでしたか。

 読んでいたと思います。歳の近い妹がいるので、一緒に読んでいた記憶があります。

――ご出身は埼玉県の熊谷市ですよね。新作の『私の家』のモデルだと思いますが。

 モデルそのものではありませんが、『私の家』に出てくるような、北関東の片田舎の家でした。何を借りたのかはあまり覚えていないんですけれど、町の図書館によく連れていってもらいました。

――家で本を読んで過ごすことも多かったですか。

 そうですね。玄関入ってすぐに「物置」と呼ばれている、1.5畳くらいの部屋があって、小さな子供用の本棚が置かれていたので、そこでよく読んでいました。英語のちっちゃい絵本があって、当然字は読めないんですが鳥が結婚してケーキを焼くような話があって。とにかくその絵が好きでよく見ていたような記憶があります。やっぱりクッキーとかケーキが出てくるものが好きでしたね。だから小さい頃の読書というと、図書館のような広々としたところで読んでいた記憶ではなく、狭くてちょっと薄暗い場所で読んでいたという感じ。猫とかと同じで、狭くて暗いところが好きだったんでしょうね(笑)。

――小学校に上がると、また読書生活も変わりましたか。

 教室のうしろに学級文庫があったのですが、落ち葉でできた人間みたいなのが出てくる絵本がすごく気に入って、誰にも読まれないように学級文庫の奥に隠していた記憶があります。ちょっともの悲しいお話で、主人公の女の子と落ち葉人間が友達になるんですが、最後にはお別れのときが来るんです。

――そこから、だんだん文字の多い本も読むようになって......。

 小学2年生の教科書に載っていた『そして、トンキーもしんだ』というお話は特によく覚えています。戦時中の上野動物園の話で、飼育している動物を殺さなくてはいけなくなるんですが、象のトンキーは大きいので毒が効かず、餓死させることになってしまうんです。このお話を忘れられないのは、授業中、生徒の机の周りを歩きながら朗読していた先生が、途中で泣き出しちゃったからなんです。
 びっくりしました。大人が泣いているところを見るのはたぶん初めてだったので、「あ、先生がお話読んで泣いてる」って思って。「大人でもこうやって本を読んで泣いちゃうことがあるんだ」とショックを受けつつ、「先生はこの話を何回も読んでいるはずなのに、なんで泣いちゃうんだろう」と不思議にも思いました。トンキーのお話そのものよりも、先生の涙と、そのときの驚きをよく覚えています。

――めちゃくちゃ冷静な子どもですね。

 大人になった今では、先生、もしかして象の話が悲しかったというだけじゃなくて、私生活でたまたま何かあったのかもしれないなと考えたりもしますが(笑)。それから今、大学で受け持っている授業のなかで小説を朗読する時間があるんですけれど、やっぱり何回も読んできた小説でも、声というかたちで自分の身体を通った物語とは、黙読している時とは違う回路で交感している感じがするんです。涙を流すほどじゃないけれど、胸がつまって読めなくなっちゃうことがよくあるんですよ。あの先生が涙したのも、そういうことだったのかもしれませんが、とにかく本当に、子ども心に衝撃でした。「お話って大人の先生を泣かせちゃうくらいのものなんだ」という、物語の力と怖さを目の当たりにした感じがしました。

――それにしても、冷静な子どもだったのですね。

 でも、あの日泣いている先生を見てそんなに驚いたということは、先生にも自分と同じように、悲しんだり怒ったりする心があるということを実感としてわかってなかったからだと思うんです。そういう意味ではすごく鈍いところもあったのかもしれません。

海外小説への憧れ

――ではその後の読書生活は。

 小学校が、子どもの足で1時間くらいかかる遠いところにある学校だったんですが、同じ方向に住んでる子があまりいなくて、帰りは1人で帰ることが多かったんですよ。退屈なので、帰り道にはよく図書室で借りた本を読んでいました。二宮金次郎状態(笑)。危ないですよね。のどかなところだったので無事でしたけれど。

――どんな本を借りていたんですか。

 福永令三さんの「クレヨン王国」というファンタジーのシリーズが好きでした。それから、イーニッド・ブライトンの『おちゃめなふたご』シリーズがもう大好きでした。少女の寄宿生活の話なのですが、ジンジャーエールとか、アンチョビとか、よく分からないけれどおいしそうな未知の食べ物が出てくるし、先生たちにばれないように子どもたちだけでごちそうをこそこそ食べる真夜中のパーティーという催しがあって、猛烈に憧れました。

――寄宿舎ものには欠かせない場面ですよね。のちのち「あの小説に出てきたあの未知の食べ物はこれだったのか」というのがいろいろあったと思いますが。

 よく覚えているのがアンチョビのエピソードです。下級生は上級生の靴を、靴クリームをつけてきちんと磨かなくちゃいけないという決まりがあるんです。その靴クリームを、故意にパンに塗るアンチョビぺーストと入れ替えて、パンに靴クリームを塗るいたずらをする、というシーンがあるんですね。子どもの頃はアンチョビがどういうものか分からなくて、「靴クリームとアンチョビペーストって似ているんだ」と思ってました。大人になってアンチョビを食べると、なにか靴クリームの味がするような気がして(笑)、あまり楽しめなくなっちゃいました。

――それは残念(苦笑)。シリーズものが好きだったのですか。

 そうですね。武鹿悦子さんの、「りえの旅」シリーズも好きでした。りえという女の子が日常からはぐれて、不思議な旅をするシリーズです。クレヨン王国が好きだったのも、木が喋ったり虫が喋ったり、日常とはかけはなれた世界だったからだと思います。とにかく現実味のない、別世界のお話が好きでした。小学校高学年になると、アガサ・クリスティーのポアロシリーズに夢中になったのですが、これも名前のアルファベット順に人が殺されるとか、絶対自分の身近では起こりそうにないことでしたから、強く惹かれました。

――なるほど。外国のファンタジーはいかがでしょう。ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』とか?

 『はてしない物語』や『指輪物語』は妹が読んでいましたが、そっちは妹の領分だから、という変な遠慮というか意地があって、私は読まなかったんです。もったいないですよね。
 王道ですが、『赤毛のアン』や『長くつ下のピッピ』も好きでした。『赤毛のアン』でアンとダイアナが「腹心の友」みたいなことを誓いあっているのを見て、私も仲のいい友達と誓い合ったりしました(笑)。具体的な話の内容はほとんど忘れていたんですけれど、数年前『ハッチとマーロウ』を書く際に「自分がハッチやマーロウの年頃だった時に読んだ本を読み返してみよう」と『赤毛のアン』を読み返してみたんです。すると、「あれ、こんな文章、わたしもどこかで書いたような」と思うくらい、いかにも自分が書きそうな文章がところどころに見つかって、子ども時代に吸収した言葉の影響力をひしひし感じました。

――へええ。ではたとえば、『若草物語』とかは?

 『若草物語』はテレビアニメで見ていました。4人の女の子がいて、全員見た目と性格が違うというのがいいですよね。そういう点では、「美少女戦士セーラームーン」もすごく好きでした。

――『若草物語』でいうと、姉妹の誰が好きだったんですか。

 三女の、病弱なベスです。次女のジョーは元気すぎる感じがしたし、一番下のエミリーも明るすぎて友達にはなれそうにないなと思って(笑)。長女のメグもいい人そうでしたが、おとなしくて地味なベスが好きでした。

――伝記などノンフィクションなどは読みましたか。

 自分で借りては読みませんでしたが、家には子ども用のナイチンゲールの伝記がありました。フローレンス・ナイチンゲールはフィレンツェで生まれたからフローレンスという名前をつけられた、というところをよく覚えてます。子ども向けに書かれたナイチンゲールの伝記って、いかにこの奉仕の精神を伝えるかという教えとか諭しの要素しかないと思うんですが、実際いちばん記憶に残っているのは「ナイチンゲールはフィレンツェで生まれたからフローレンスという名前」ということ (笑)。絵本の『花さき山』も、自分を犠牲にして人のためにいいことをするときれいな花が咲くよという立派な教訓話だと思うんですけれど、子どものわたしには山ンばが怖すぎて、そういう教えのようなものはいっさい入ってこなかった。それでも、そういう理由のわからない怖さとか、ナイチンゲールのファーストネームみたいな他人の一生の切れ端が、記憶の基礎にあるんだと思うと面白いです。

――ああ、ストーリーは憶えていないけれど挿絵だけ妙に憶えているとか、そういうことってありますよね。

 そうなんです。今でも「フィレンツェ」と聞くと、反射的にナイチンゲールが浮かぶんです(笑)。そういう記憶のあり方がすごく面白いなと思っていて。

――さきほど「セーラームーン」が出てきましたが、アニメや漫画で好きだったものはありますか。

 漫画雑誌では「りぼん」か「なかよし」は買ってましたね。お小遣いに限りがあるから、どちらか1冊しか買えないんですが、特に付録がほしいんですよ。読みもののほうは共有できても付録は独り占めしたいから、妹と私は付録目当てに1人1冊ずつ買うこともありました。シールとか、紙でできたペン立てとか、もう、渇望していました(笑)。

本に関する第二の衝撃

――作文は好きでしたか。

 好きでも嫌いでもなかったような気がします。コンクールに入賞したことが1回だけありましたけれど、得意と思ったことはないですね。

――その頃、ご自身で物語を想像したり書いたりはしていましたか。

 そうですね。小学校からの帰り道は、本を読んでいるか空想しているかのどちらかでした。その頃からうすぼんやりと、大人になったら子ども向けの本を書く人になりたいと思っていました。

――頭の中でどんな物語を繰り広げていたのですか。

 変身できるとしたら誰になって何をするかとか、何かひとつ特殊能力を授けられるとしたらどの力を選ぶかとか、クラスの女の子ひとりひとりにドレスをデザインするとしたら誰にどんなドレスを着せるかとか。物語にもならない空想です(笑)。

――中学生になってから読書生活は変わりましたか。

 中学校の図書館で、吉本ばななさんの『アムリタ』を読んだとき、「そして、トンキーもしんだ」と同じくらいの衝撃を受けました。「トンキー」のときは、先生の感情を目の当たりにした驚きだったんですが、『アムリタ』のときは、小説というものを目の当たりにした驚きだったと思います。これはいままで自分が読んでいたものとは何か違う、小説って、もしかしてこういうもののことをいうのかな、って思ったんですね。
 『アムリタ』では、誰も魔法を使わないし、木も虫も喋らないし、アルファベット順に人が死んだりもしません。そのかわりに、主人公の女性が頭を打って記憶をなくしたり、弟が急に超能力に目覚めたり、死んだ妹の恋人と仲良くなったりする。実際にはいろんなことは起こってはいるんですが、それまで読んでいたものと比べると、この本では何も起こっていないように見えて、愕然としちゃったんです。でも、直感的に、これはこれまで好きで読んでいた別世界の話じゃない、これは自分にも何か関係のある話だ、というふうに思いました。そして読み進めていくうち、こういうものこそが「小説」と呼ばれるものなんじゃないかと感じ始めて、なんだか、「あれれっ」と思っちゃったんですよね。

――「思っちゃった」という言い方だと、なにか違和感みたいなものがあったのかなと思えますが......。

 違和感というか、なんていうんでしょう。お話を書く人になりたいとこっそり願いつづけていたくせに、自分には何も見えていなかったんだなという驚きと呆れです。たとえばいま、私がここに立っているとするじゃないですか(と、会議室の大きなテーブルの一角を指す)。それでずっとあっち(テーブルの外側)の壁紙の色なんかを見ていろいろ夢想を膨らませていたけれど、ふと振り返ってみたら、実は自分がこんなに広大なテーブルの上に立っていたと気づいた、みたいな。
 それまで好んで読んでいたのは、自分とは関係のない、日常からできるだけ離れた世界を描いた物語でした。でも、物語の世界って、それよりもっともっと広いんだと気づいたんです。『アムリタ』のなかでは、多少特殊なことは起こってはいますが、基本的にご飯を食べたり、おやつを食べたり、ダイエットをしたり、音楽を聴いたりとか、そういう日々の営みが丁寧に描かれています。ただ生きている、ということを書くことで一つの作品世界が成り立っている、そのことに心底びっくりしたんです。こういう世界をもっと知りたいと思って、それから吉本さんの他の作品を読み始めました。

――前にインタビューで青山さんが「日常は冒険だと思う」というようなことをおっしゃっていましたが、その原点を今知った気がします。

 そうですね。実際自分が経験を重ねて、それをはっきり実感するようになったのはもっと後のことですが、『アムリタ』の影響は大きかったと思います。

――吉本ばななさんの作品は『アムリタ』以外に何がお好きでしたか。

 『TUGUMI』、『哀しい予感』、『キッチン』、短篇集の『とかげ』などです。私自身、作家として、居候や、おばと姪、血縁のない人たちがひとつ屋根の下に暮らすというモチーフを好んで描いてしまうのですが、それもやはり最初の"小説体験"が吉本さんの作品だったからだと思います。

読書と旅の関係

――なるほど。じゃあ、そこから現代女性作家たちを読んだりとか......。

 そうなるのが自然だと思うのですが、その後突然、川端康成ブームが来たんです。修学旅行先が京都だったんですが、どうやら京都の話らしいということで、クラスの一部で『古都』の回し読みのようなことが始まって。私は初めての京都だったので、小説を読んでこれが京都なのか、ここに描いてある場所に今から行くのか、と旅行の前から気持ちが高揚していました。

――青山さんが旅好きになる原点がここにありますね。

 いまもどこか外国旅行に行く前には、その国の作家の作品を集中的に読んだりします。『古都』のなかで、千重子と真一が円山公園で待ち合わせをするシーンがあるんですが、先に着いた真一は地面にごろんと寝転がって千重子を待っているんですね。修学旅行で円山公園に行ったときには、「あ、ここだ」と思って、同じ班の子の目を盗んで一瞬草の上に寝転がってみたりしました (笑)。二人がデートする清水寺に行けたときも嬉しかったですね。

――そういう感動ってありますよね。今おうかがいしていて思い出しましたが、数年前に、綿矢りささんと『古都』を課題図書に京都を旅してませんでした?

 そうなんです。『古都』に出てくる北山杉のあたりって、かなり山のほうなので、修学旅行では行けなかったんですね。いつか見てみたいと思っていたんですが、嬉しい巡りあわせで綿矢さんが一緒に行ってくれることになり、2人でバスにごとごと揺られて、行きました。
 実際バス停から歩いて北山杉の里のあたりに入っていくと、蜂がぶんぶんいて、繋がれている大きな犬がわんわん吠えて(笑)、怖かったですねえ。でも天気もよくて、杉林は青々として、本当にきれいでした。帰りのバスを待つあいだ、全然バスが来ないので、2人でブロック塀のようなところに座って、小説の結末についてあれこれ話したのを覚えています。幸せな思い出です。

――いい話。その後、川端もいろいろ読むようになったんですか。

 そうですね。でもほとんどわかりませんでした。

――今、気持ちいいくらいの即答でしたね(笑)。

 『伊豆の踊子』の終わり、主人公の学生が旅芸人の一座と別れて船の中で涙を流すじゃないですか。「頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。」というところです。この涙って、いったいどういう涙なのか。単純に、踊り子たちと別れるのが悲しいということで流れる涙じゃなさそうだけれど、じゃあどういう涙かというと、うまく言葉にできない。でも『アムリタ』を読んだときと同じで、これはいつか自分に関係してくる涙だぞ、ということはなんとなくわかりました。でも『雪国』なんかは、本当、どう読めばいいのかさっぱりわからなかったです。

本に関する第三の衝撃

――では、高校生活では。

 中学校は家から徒歩で10分ほどのところにあったんですが、高校は自転車で40分、バスで30分くらいのところで、その距離に恐怖を感じたんですね。大袈裟ですが、もはや何があっても歩きでは家に帰れない、という恐怖。初めて家から徒歩圏外の生活が始まるわけです。それで高校生になる前の春休み、この恐怖に打ち勝たなきゃいけないと思って手に取ったのが『風と共に去りぬ』です。スカーレット・オハラのように力強く生きなければと励まされたけれど、同時にこんなドラマチックな生き方は私には無理だなとも感じました。でもとにかく、久々に海外の小説を読んで、やっぱり未知の国のお話はスケールが大きいし、食べものも着るものも自分の身の回りとぜんぜん違って面白いなあと思ったんですね。それで高校に入ってからは、図書室で面白そうな海外の小説を探していたのですが、そこでフランソワーズ・サガンの小説に出会い、また衝撃を受けました。

――『悲しみよこんにちは』でしょうか。今度はどういう衝撃だったんですか。

 この作品が自分とそれほど変わらない年齢の作家によって書かれたということ、さらに主人公のセシルもまた自分と同世代なのに、ここに書いてあることがまったくわからないというショックです。川端の『雪国』を読んだ時もわからないと思いましたが、サガンのわからなさはなんだかそそられるわからなさなんです。自分の精神的な幼さを突きつけられた気がして、それでどうにかこの作品のなかに入れてもらえないかと懇願するような想いで、何回も繰り返し読みました。
 加えて、もし本当にいつか小説家になりたいと思っているのなら、いつかなんて悠長なことは言わず、サガンのようにできるだけうちに書き出さなければ駄目なんじゃないかと、すごく焦りました。

――書いてあることが分からなかったというのは、主人公の心理とか?

 そうですね。とくにお父さんの婚約者になったアンヌに対する思いが複雑に感じました。それから、なんでこの子は未成年なのにお酒飲んだり煙草吸ったりしているんだろうと(笑)、父親との関係性も含めて、文化の違いに驚きました。

――分かろうとして何回も読み返したというのも印象的です。読み返すたびに感想を記したりしましたか?

 いえ、ただ読んで呆然としている感じです(笑)。『ある微笑』や『ブラームスはお好き』も、やっぱり大人っぽすぎて私には遠い世界だなと途方に暮れました。ただ、もはや私もセシルではなく父親やアンヌの年に近いので、いま読み返すと、「アンヌはこれが最後の恋のつもりだったんだろうなあ」とか「お父さんも寂しくて焦っていたんだろうなあ」とか、ここに描かれた大人たちについて、しみじみ感じられるところがあります。

――さきほども小説家になろうという思いは持ち続けていたようですが、大学は筑波大学で図書館情報学を専攻されていますよね。大学進学の時点で司書の資格をとろうと思われていたのですか。

 そうですね。小説家になりたいと思いつつ、それは難しいだろうという諦めもあったので、せめて何か本を関係のある仕事をしたいということで、図書館員を目指しました。図書館情報大学という専門的な勉強ができる大学があることを知ったので、そこを卒業してどこか静かな町の図書館司書になり、働きながらこっそり小説を書くという人生の計画を立てました。

――そして実家を離れて。どんな学生生活だったのでしょうか。

 1年目は大学の敷地内に寮があったので、そこに住みました。高校に入学するときは徒歩圏外の生活にあれだけ怯えていたのに、実家を離れて新たに自分の拠点を作ることにはほとんど恐怖を感じませんでした。肝心の図書館学のほうは、勉強を始めるとそれほど興味を持てなくなってしまったのですが、ひとつだけ文学の授業があって、それは楽しかったです。その課題でまた吉本ばななさんの作品や、大江健三郎さんの「個人的な体験」を読んだりしました。

――1年目は敷地内の寮で......。

 2年目以降は寮を出ましたが、近くに市立図書館があったので、よく本を読みにいきました。それで遅まきながらこの図書館で、文芸誌というものを発見したんです。小説だけを載せた雑誌があるのかとぺらぺらめくってみると、新人賞公募の告知文がある。実はその頃、大学の実習室のパソコンで小説のようなものをこっそり書き始めていたので、完成したらこういうものに応募してみようかなと心に留めました。

――その時に小説のジャンル的なものは意識しましたか。

 小説にジャンルというものがあることをわかっていたか、あやしいです。純文学の雑誌を手に取ったのも、単に表紙がきれいだったとか、そのくらいの理由だったと思います。ただ、ちょうどその頃、金原ひとみさんと綿矢りさんが芥川賞を受賞されて話題になっていたので、「すばる」や「文藝」が目についたということもあると思います。

――過去の受賞作を読んでみたりしましたか。

 いえ、何もしませんでした。そのとき書いているものを完成させるための、なんとなくの目標がほしかったんだと思います。

――書こうと思ってすぐ書けましたか?

 わりと書けました。なぜなら全部サガンの模倣だったから(笑)。もちろんサガンのようには書けないんですけど、学校のプリンターで印刷したものを読むと、自分の手書き文字じゃないというだけでなんとなく小説みたいに見えてしまうから、「うわ、書けてるかも?」とテンションが上がっちゃうんですね。女の子が行き場をなくして街を彷徨う話でしたが、今思えば、当然ひとさまに読んでいただけるようなものではありませんでした。

――文藝受賞作の『窓の灯』は、在学中に書いて、就職してから受賞の知らせを受け取ったんでしたよね。何回応募したのですか。

 文芸誌には3回応募して、3回目で受賞しました。

――小説の投稿をはじめた大学時代、読書生活はどんな感じだったのですか。

 やっぱり海外文学が好きでした。サガンのエッセイにアンドレ・ジッドという作家が出てきたので、図書館で探して『狭き門』とか『田園交響楽』を読みましたが、正直、あまりピンとこなかったんです。それで古典の文庫の棚ではなく単行本が並ぶ棚に行くと、パッと目を引くきれいな装幀の本がたくさんある。新潮社のクレスト・ブックスだったんですが、それでジュンパ・ラヒリとか、ゾエ・イェニーを知りました。ゾエ・イェニーはスイスの女性作家ですが、吉本ばななさんに影響を受けているという紹介に惹かれて『花粉の部屋』という作品を読んだら、すごく良かった。さきほど、最初に書いた小説はサガンの模倣と言いましたが、もっと正確にいうと、サガンとゾエ・イェニーを足して何にも割れてない感じの小説です(笑)。
 それから、ジャン=フィリップ・トゥーサンもお気に入りでした。最初に読んだのは『浴室』でした。白くてつるつるした感じの表紙に惹かれて手に取ったのですが、内容もすごくおしゃれでクールな感じがして、でもなんていうんだろう、ドライすぎずに人間臭い感じもして、この人の書くものはすごく好きだなと思い、図書館にある作品を全部読みました。

――集英社からいろいろ出ていましたよね。

 そうですね。一連のトゥーサン作品の翻訳者の野崎歓さんにも憧れました。翻訳って素晴らしいお仕事だなあと。作家になって野崎さんとお目にかかれた時もすごく嬉しかったです。
 トゥーサンの、すごく都会的でおしゃれな感じと、素朴ですっとぼけた感じが同居しているところ、文庫の棚のほうで頑張って読んでいたジッドやモーパッサンといった古典とは違う、軽やかな書き方がすごく好きでした。この絶妙な軽やかさは簡単には真似できませんが、自分が書こうと思っている小説が向かっていくのは、こういう感じのところなのかなという予感はありました。

――ああ、古典はジッドのほかにモーパッサンにいったんですね。

 大学でフランス語だけは一生懸命勉強していたので、『女の一生』は途中まで頑張って原著で読みました。当時、筑波西武の佃煮屋でアルバイトをしていたんですが、休憩時間は誰とも喋りたくなくて、社員食堂でひたすら『女の一生』を読んでいました(笑)

東京への不安を拭い去った小説

――卒業後は旅行会社に就職されたんですね。

 大学生活は好き放題の生活でとても楽しかったので、卒業後、ちゃんとした会社員みたいな生活はできそうにないと悲観していました。東京に行くのはすごく怖かったけれど、ずっと大学に留まるわけにはいかないし、でも地元に帰るという選択肢もなかった。それでほとんど消去法で東京で就職ということになったんですけれど、就職が決まってからも、とにかく東京に行くのが嫌で嫌で。そんな時、吉田修一さんの『パーク・ライフ』に出合いました。

――東京の日比谷公園が出てきますね。発表当時、作中にスターバックスが出てきたことも話題になりました。

 そうです。それで、もしここに書いてある東京があの東京だというならば、私はここでやっていきたいって思ったんですね。『古都』の時とまるっきり同じなんですけれど、小説のなかの東京に魅惑されてしまったんです。日比谷公園とか、スターバックス、心字池、駒沢公園、そこを猿を連れて散歩している人とか、なんだ、東京、けっこう楽しそうじゃないかと、急に恐怖心がすっと消えてなくなっちゃったんです。これも『古都』の時と同じですけど、上京後は日比谷公園のベンチに座りにいって「ここかあ!」と感激しました。
 それから『東京湾景』もありましたね。就職した旅行会社の同期たちと研修を受けた時、「新宿から羽田空港に行く道のりをレポートせよ」という課題が出されて、私は京浜急行チームではなくモノレールチームだったんです。モノレールに乗って、「あ、これは『東京湾景』だ!」って、このときもすごくはしゃいで見ていました(笑)。

――ふふふ。ちなみに、旅行会社に就職されたわけですが、司書の道は選ばなかったんですね。

 そうなんですよね。楽しいことがたくさんあったので、公務員試験の勉強をするのが嫌になっちゃって(笑)。怠け心に敗けました。旅行会社を選んだのも、旅行が好きだったというのもありますが、そういうところに勤めていたら旅行に行っている気分になれるかも、というくらいの安易な理由でした。

小説家デビューした頃

――大学時代にいろいろ旅行はされたのですか。

 海外に5、6回くらいでしょうか。大学4年生のとき、初めての一人旅でアルバイトでお金を貯めてニューカレドニアに行きました。周りには「一人旅でニューカレドニアっておかしい」って言われましたが(笑)。

――ハネムーナーも多い、天国に一番近い島ですからね(笑)。

 そうなんですよ。勉強していたフランス語がどれくらい通じるか試してみたくて。

――フランス領ですものね。そして、卒業して就職してほどなくして受賞が決まったんですか。

 そうです。文藝賞の締切は3月だったので、大学4年生の春から『窓の灯』を1年かけて書きました。この4年間で見たり感じたりしたものを残しておきたいと思って始めたんですが、それをポストに投函した時点でものすごい達成感がありました。よし、私はここでやるべきことをやったぞ、と。すっかり頭は東京での新生活に切り替わっていたので、働き始めて4ヶ月後くらいに「文藝賞の候補になっている」と電話がかかってきた時には、夢の世界と現実が一瞬で入れ替わっちゃった感じがして、すごくびっくりしましたね。

――そして受賞が決まって。でも会社勤務は続けたんですよね。

 そうです。書きながら4年くらい働きました。

――ああ、デビューして2年後に「ひとり日和」で芥川賞受賞された時の記事に旅行会社に勤務とあったのを思い出しました。本当に、デビューしてからあっという間に芥川賞受賞されましたよね。

 思い出すのは、やっぱりここでも恐怖ですね。芥川賞発表の日は、会社を早退して河出書房新社の会議室で待たせてもらっていたのですが、待っているだけでもう怖い、早く済ませて帰りたい、と内心震え上がっていました。受賞の一報が来ると、記者会見場の東京會舘まで車で移動するんですが、会場に近づくにつれて外堀沿いの街灯の色がどんどん濃いオレンジ色になってきて、なんかもう、魔界に連れて行かれるような気がして(笑)。私、どうなっちゃうのかと、とにかく怖かったです。

――勝手に、青山さんには淡々と着実にやってらっしゃる印象がありました。

 そうでもないんです。デビューした時も、次を書かないとすぐに忘れられちゃうという焦りがありましたね。せっかく書くことの入り口に立たせてもらったんだから、はやく次を書かなきゃっていう気持ちがすごく強かった。芥川賞を受賞をした後も焦りましたが、できるだけ普段通りに会社に行って普通の生活をして書くということだけを考えていたので、それほど大きな変化はありませんでした。

――では、会社を辞めることを決めたきっかけは。

 そもそも旅行会社に就職したときから、5年間働いてお金を貯めたら、ワーキングホリデーか何かを使ってフランスに行くということを考えていました。ところが作家としてデビューできて、ある程度原稿の依頼もいただけるようになっていたので、このままずるずる会社員を続けていると結局機会を失ってしまいそうだなと思ったんです。

――そこまでフランスに憧れていたのはどうしてですか。サガンとの出合いは大きかったと思いますが。

 サガン以前に、フランス菓子のレシピ本が大好きだったんです。フランス菓子のお菓子教室で、ケーキをつくった後にみんなで『風車小屋だより』を原書で読む、みたいな光景に漠然と憧れていて......大学に入って、語学としてのフランス語に出合って、この言語の音にもすごく魅了されました。図書館の勉強にはそれほど興味を持てなかったのですが、フランス語の勉強にだけは熱意を燃やしてました。

――発音も難しいし、男性名詞女性名詞とか活用形など、複雑なイメージが......。

 若気の至りで、どうにかやりました。隣の大学からフランス人の留学生を見つけてきて、フランス語で書いた添削してもらったりとか。

――素晴らしい。それで、会社を辞めて。フランスのどこですか?

 3ヶ月だけですが、南仏のモンペリエというところで、私立の語学学校に通いました。楽しかったですね。フランス語はたいして進歩しませんでしたが、この調子で私はどうにかやっていける、と根拠のない自信が持てて、それでだいぶ気がすみました。

志に感銘を受けた作家

――帰国して、専業作家になって。読書はいかがでしたか。

 作家としては圧倒的に読書量が少ないと思っていたので、意識して古典文学を読みました。スタンダール、フローベール、トルストイなどです。イギリス文学で好きだなと思ったのはオースティンとトマス・ハーディの『テス』です。20世紀の作家ではフラナリー・オコナーの小説に惹かれました。『秘儀と習俗』というエッセイ集は何度も読み返しています。
 フラナリー・オコナーはなんというか、激しいんですよね。文体も鋭利で硬質で、ユーモアもあるんですけれど、そういう文体の裏で壁にガンガン頭を打ち付けているような激しさがある。『秘儀と習俗』は創作にまつわる彼女の考えが書いてあるんですけれど、志が凄まじいというか、つねに向かい風に身を晒している感じがします。

――向かい風に身を晒しているような人なんですか。

 とにかく辛抱強くあれ、と訴える作家だと思います。作家は鈍いくらいがちょうどよくて、目の前の何かをじっと見つめ続ける、凝視するまなざしを持ち続けることが大事だと言っているんですね。たとえばここにあるコーヒーカップを描写しようと思ったら、このカップをじっと見て、コーヒーカップの本質みたいなところまでちゃんと見なければいけない、というような感じですかね。描写って、本当に辛抱のいる作業なんです。カップの曲線や質感を言うのにも、安易に比喩を使わずにそれじたいを現すにはどうしたらいいんだろうと考えます。もうちょっと抽象的なテーマを扱う時にも、そのものをじっと見て考えを凝らすという態度がすごく大事なんだなということを感じます。

――青山さんは若くして川端康成文学賞を獲ったりと、文章もすごく評価が高いし読んでいてもいつも圧倒されますが、それも、表現ひとつずっと考えて生み出していたからなんですね。

 もともと、目の前の物事にパッと反応する、反射能力のようなものには恵まれていないと思うんです。ひたすら持久力です。だから推敲はすごくしますね。推敲はやり始めると終わりがない。でもずっとしていると本ができないので困ります(笑)。

完璧だと思った小説

――古典のほか、現代作家は吉田修一さんのほかにどういう方を読んできましたか?

 大道珠貴さんも大好きでした。大道さんの作品はもちろん扱っている内容も面白いんですけれど、とにかく文章が面白くて。もっともっとこの人の文章が読みたいっていう、身体的なレベルの渇望を感じるんです。特に作家に成り立ての頃に愛読していましたが、これがいわゆる、文体ってものなのかと圧倒されました。書かれていることも、人と人との名づけ難い関係とか、女性の身体のあり方とか、一筋縄でいかない内容ですごく惹かれるんですけれど、やっぱり文章自体の持つ魅力に強く惹かれます。

――大道さんといえば、『しょっぱいドライブ』とか。

 『しょっぱいドライブ』は完璧な小説だと思います。相性もあるのでしょうが、ここまで身体にしっくりくる文章っていうのがあるんだなあと感じました。

――そういえば話は変わりますが、少し前に、誰かの自伝を読んでいる話をされていましたよね......。

 それはベンヴェヌート・チェッリーニの自伝です。長いのでまだ読み切れていないのですが、ルネサンス期のイタリアを生きた彫金師の自伝なんです。自伝や評伝についての小説を書く心づもりがあったので読んでいたんです。

――ああ、自伝についての小説を。

 そもそも、イギリスの作家ミュリエル・スパークの『あなたの自伝、お書きします』という作品を読んだのがきっかけだったのですが、それは自伝の代筆を頼まれる女の子の話なんです。彼女が代筆する自伝というのはだいたい滅茶苦茶なんですけれど、これがあなたの自伝ですと差し出されると、不思議と依頼者はそれが自分の人生だと思っちゃうんですよね。「書く」ことにまつわるいかがわしさと、怖さと、マジックにあふれた作品なので、読んだあとは、すごく小説が書きたくなるんです(笑)。
 イギリスの作家では、エリザベス・ボウエンも好きです。最初に読んだのは『パリの家』でしたが、〈この奇怪に捩れた小説が気になってしかたがない〉という松浦理英子さんの帯に惹かれて手に取りました。イギリスから来た女の子がパリの家に一時的に預けられるという導入部なのですが、やっぱり私は『おちゃめなふたご』の記憶があるので、イギリス人の女の子というだけで反応してしまうんですね。この小説は一見、リアリズムで書かれた小説のようなのですが、急に回想が入り込んできたり、その過去から現在への呼びかけがあったりと、小説としての佇まいが何か不思議で心惹かれるんです。
 アンナ・カヴァンも好きですね。短篇集に収録されている「あざ」という作品が印象的です。『氷』という、原因不明ながらどんどん気温が下がっていって世界が氷に変わっていく、SFのような作品も夢中で読みました。

――本はどのように選んでいますか。

 新聞や文芸誌の書評は参考にします。読んで面白かったらその著者の他の本を読んでみるとか。読売新聞の読書委員になった時にはすごい量の本を読まなければいけなくて大変でしたが、いろんな作家を知ることができて楽しい2年間でした。委員会でたまたま手に取ったイタリアのエレナ・フェッランテの『リラとわたし』という、女の子2人の物語のシリーズは、「おちゃめなふたご」シリーズで女の子の友情物語が魂に染み付いている自分にはすごく響きました。
 それまでは小説ばかり読んでいましたが、面白いノンフィクションもたくさん読みました。ケイトリン・ドーティの『煙が目にしみる』はアメリカの葬儀業界に飛び込んだ若い女性の著書。亡くなった方をエンバーミングしたり、孤独死した人のところに行って遺体を回収したり、葬儀にまつわることを体験して書かれた本です。どう生き、どう死ぬかを考えざるをえない本で、書評には、「等身大の死を見つけたい」ということを書いた記憶があります。他にもダニエラ・マーティンの『私が虫を食べるわけ』という昆虫食についての本、生き別れになった双子の女の子が偶然インターネット経由で出会う「他人のふたご」という本もすごく面白かったですね。

――そういえば青山さん、一時期小説を書く際に、「裏世界文学」を設定されていましたよね。執筆の際にそれを意識して書かれた作品が。

 そうですね、『ハッチとマーロウ』は当然ブライトンの『おちゃめなふたご』、『めぐり糸』はブロンテの『嵐が丘』、『快楽』は大岡昇平の『武蔵野夫人』でした。今刊行目指して改稿中のものは、さきほど言ったように、『チェッリーニ自伝』と『あなたの自伝、お書きします』に刺激を受けていますね。

――現時点での最新刊となる『私の家』はご自身の実家の家がモデルですから、「裏世界文学」はないですよね。

 そうですね。小説のなかの家と私の実家は別の家ですが、だいたいの土地柄は生まれ育った町を思い出しながら書いていました。

――家というものを舞台に、そこに住む家族たちの姿が描かれる。同じ家に住んで仲は良いけど、それぞれ見ている方向が違うことが分かったり、過去の話も出てくるので時代によって家と家族のあり方が違うんだと実感させられたり。登場人物もみんな個性的で、いろんな読み方ができますよね。

 家について書こうと思ったのは連載が始まる1年くらい前でした。連載開始の直前から、ライター・イン・レジデンスのプログラムで2か月フランス西部のサン・ナゼールという街に行くことになっていたのですが、この滞在中に、小説全体の方向性が定まった気がします。

――あ、あれはフランスで書いたのですか。

 1話の改稿をして、2話、3話と書き進めていったのがサン・ナゼールにいた時です。
 その時、書くことを後押ししてくれたのがプルーストの『失われた時を求めて』でした。実はさきほどの、20代でちゃんと古典文学を読み通そうとしていた時期に、プルーストにもチャンレンジしていたんです。でもその時はしっくりこなくて、100ページもいかないうちに挫折してしまいました。以来、ちょっとしたトラウマのような状態になっていたのですが、ちょうどサン・ナゼール滞在のころ、仕事の関係で吉川一義先生による岩波文庫の新訳を読み始めたら、すっかり心を持っていかれちゃったんです。眠れない夜、主人公が今まで眠った部屋のことを思い出すという場面から始まるんですけれど、それがその時の、旅先で寄る辺ない感情にパッとはまったんですね。そこからはもう、小説の言葉がどんどん染み入ってきて、夢中になって読みました。『失われた時を求めて』は記憶についての小説ですが、家についての小説でもあると思うんです。田舎のコンブレーの家だとか、パリの家とか、おばあちゃんと一緒に行った海辺のホテルとか、いろんな家が記憶を作ったり、記憶に作られたりしている。そうして記憶の中でいろんな家が乱立している感じが、今自分が書こうとしていることと重なる気がして、心強かったです。
 それから、『失われた時を求めて』を読んでいて、自分がいかに飢餓状態にあったかということがわかりました。本をたくさん読んでいても、自分はすごく渇いていたんだということが。

――読んでいたけれど渇いていた、というのは。

 作家になってからの読書は、書評を書いたりする必要がなくても、最終的には何かしらのかたちでアウトプットをすることを前提に読んでいる気がしてしまうんです。自分のなかにある、書くシステムを動かすための、栄養補給をしている感じです。それはやっぱり、『おちゃめなふたご』を読んでいた頃の読書とは違いますよね。二度目のプルーストは仕事の必要性があって読み始めたというものの、途中からは『おちゃめなふたご』を読んでいたころの、ただ本が好き、という自分に戻った気がしていました。それは、書くシステムよりももっと根源的なところを満たしてくれる「読書」です。いまはプルーストを恩人のように感じています。

――普段はどのように生活していますか。執筆時間などは決まっていますか。

 どちらかというと夜型なんですけれど、執筆時間は決まってないですね。でも、加齢とともに集中力を保てる時間が少なくなっているように感じるので、「集中できそう」と思ったら、その予兆を取り逃がさないで、すぐに仕事に取り掛かれるような状態にしています。予兆がなかなか来てくれないときには、つい本を読んでしまいますね。

――そして今は、自伝についての話を改稿中、と。

 そうです。面白い話になると思うんですが、改稿中なので、まだ細かいことは言えないです(笑)。今年の秋ぐらいに出せればいいなと思っています。

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