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朱川湊人さん「鬼棲むところ」インタビュー 古典を大胆に脚色、鬼の正体に迫る

文:朝宮運河

日本人の“知らぬ火”をたどって

――朱川さんの新作『鬼棲むところ 知らぬ火文庫』は、鬼にまつわる説話を脚色した短編集です。『花まんま』など昭和を舞台にした幻想小説で知られる朱川さんが、古典文学の世界に挑まれたのはなぜなのでしょうか。

 おっしゃるとおり、僕の書くものはよく〈ノスタルジック・ホラー〉だと言われるんですが、本人はそこまで昭和にこだわっているつもりがないんです。『花まんま』を書いた前後、たまたま興味が昭和40年代に向いていただけ。当時は40歳くらいでしたし、ちょうど少年時代を懐かしく感じる年齢だったのかもしれませんね。
 古典文学を扱ったのは、「知らぬ火文庫」というサブタイトルと深く関わっています。“不知火”といえば海上の蜃気楼を指しますが、この本は“知らぬ火”、つまり知らず知らずのうちに心に灯っている火のことです。僕たちが日本人として生まれ育って、いつの間にか刷りこまれているものの見方や感じ方。格好いい言葉を使うとミームみたいなものは、一体どこからきたのかという興味が以前からあって。一度過去までさかのぼって考えてみようというのが、この「知らぬ火文庫」シリーズなんです。

――日本人というテーマには、以前から関心をお持ちだったのでしょうか。

 いえ、むしろ日本人も外国人もそうそう変わらないだろう、という意識で長年ものを書いてきました。僕の小説はホラー的な味付けがされていますが、基本的には「人間って何だろう」「生きる意味って何だろう」というテーマを扱っているものだと思います。対象はあくまで国籍を越えた人間ですし、それは今後も変わりません。
 しかしそうは言っても、日本人には日本人の長所・短所がある。古典を通じてそれを考えてみるのも面白いかな、と思ったんですね。ここ最近、日本人のある一部分だけを抽出して、日本人とはこうだと主張するいびつな日本人論が増えているように思います。そうした風潮へのアンチテーゼ、という意識も少しはありました。

――2017年刊行の『狐と韃(むち) 知らぬ火文庫』が、「知らぬ火文庫」シリーズの第1弾。説話集『日本霊異記』を下敷きに、人に化ける狐、地獄からの使いなど不可思議なエピソードが収められていました。

 「知らぬ火文庫」では古代から近代まで、時代を追って日本人の心模様を描いていきたいと思っているんです。『狐と韃』はその古代編ですね。日本最古の説話集と言われる『日本霊異記』には、飛鳥時代から奈良時代まで多くのエピソードが収録されているので、古代の日本人の心を推し量るにはちょうどいい素材でした。

――もともと説話文学がお好きだったのですか。

 もちろん。怖いものや不思議なものが好きな人で、説話文学に興味がない人はいません。僕は昭和38年生まれで、「ウルトラマン」などの特撮番組やオカルトブームの直撃世代。その影響もあって、子どもの頃から、別の世界を覗いてみたいという願望が強くあります。説話はそうした世界とも響き合うジャンルなので、強い関心がありましたね。

――説話を下敷きにした小説といえば、芥川龍之介の名前が浮かんできますが、意識はされましたか。

 芥川と似たことをしているな、と自分でも感じたので、あらためて読み返しました。ただ「鼻」にしても「芋粥」にしてもストーリーは古典に忠実なんですよね。合間に挟まれる心理描写が、明治人の自我を反映したものになっている、というのが芥川の手法です。僕は原典との落差をもっと重視したかったので、ストーリーは派手にいじっています。古典では語られていない部分も多いので、そこを想像力で膨らませて、胸躍るエンターテインメントに仕上げていく、という書き方ですよね。

現代人が忘れている、鬼の正体

――先日刊行されたシリーズ第2弾『鬼棲むところ』のテーマは、コミックなどの影響もあって昨今注目を集めている“鬼”。『伊勢物語』『今昔物語』などを下敷きに、さまざまな鬼が登場する8編が収録されています。

 誰かを知ろうと思ったら、その人の嫌いなものを知ればいいとよく言いますが、国民性も同じです。日本人をよく知ろうと思ったら、日本人が何を恐れてきたかを考えるのが早道かなと。それで浮かんだのが、鬼というテーマでした。
 一口に鬼と言っても、複雑な背景を持っています。かつては人間の魂や亡霊を鬼と呼びましたし、朝廷に従わない者たち、アウトローも鬼と呼ばれた。非常に範囲の広い言葉なんですよ。

――角を生やして金棒を持っているだけが、鬼ではないんですね。

 日本社会からはみ出した者の多くが、かつては鬼と呼ばれていた。その事実をなかったことにして、節分や昔話のイメージだけで鬼を語るのは、どうも据わりが悪い気がするんですね。大げさな表現をするなら、それは歴史の隠蔽じゃないかなと。もちろんファンタジー的に楽しむのは自由ですし、悪いことではないですが、「本当はこういう背景があったんだよ」と知っている方が、日本人を深く理解できると思います。

――巻頭作「鬼一口」は、女性を連れて逃げた男が鬼に襲われる、という『伊勢物語』『今昔物語』の有名なエピソードが原典。ただしストーリーに大胆なアレンジが加えられて、凄絶な怪奇譚に仕上がっています。

 身も蓋もないことを言ってしまうと、この世に鬼なんて存在しないと思うんですよね。いくら平安時代でも、角を生やして人を食べる鬼なんていなかった。では鬼とされているものの正体は何なのか。リアルに考えると、原典が伝えているのは、在原業平とされる主人公が女性と駆け落ちして、数日で連れ戻されたという事件なんだと思います。「鬼一口」ではそれをさらに脚色し、人が魔に魅入られる瞬間を描いてみました。

写真は朱川さん提供

――「安義橋秘聞」「松原の鬼」は、『今昔物語』収録のエピソードをミステリ的に解釈した作品。鬼の仕業と信じられていた事件の裏に、人間たちの思いが渦巻いています。

 鬼の説話を読んでいると、「これは人間の仕業じゃないかな」というエピソードにもよく出会うんです。バリエーションを出すためにも、ミステリ的な謎解きの要素は含めるようにしました。原典の限られた記述から、納得のいく答えを導きだすのが腕の見せどころ。もちろん研究論文ではないので、解釈が正しいかどうかよりも、ストーリーの面白さを重視しています。

――3話目「鬼、日輪を喰らう」は文徳天皇の后・染殿の寝室に好色な聖人が忍び込む、という淫靡にしてスキャンダラスな物語。

 すごい話ですよねえ。こんなスキャンダルを『今昔物語』に収録していることがまず驚き。しかも后が襲われたという事実だけを報告して、いきなり物語が断ち切られる。小説の結末は原典の通りなんです。『今昔物語』でも異色の作ですが、これもまた鬼の姿だよなと考えて、取りあげることにしました。ちなみに〈流志波聖人〉という原典にない名前は、旧約聖書の堕天使ルシファーから。聖人の弟子の〈江崎丸〉は、ルシファーが登場するエゼキエル書からとっています。分かる人には分かる、というささやかなお遊びですね。

――巻末に置かれた「血舐め茨木」「蓬莱の黄昏」の2作は、平安京の人々を悩ませた鬼の頭領・酒呑童子とその家来・茨木童子にまつわる物語。酒呑童子伝説の真相に迫るとともに、「鬼一口」の後日談ともなっています。

 やっぱり平安時代の鬼と言えば、酒呑童子は欠かせません。1話目を書いた時点で、この主人公を酒呑童子と絡めようと思っていました。伝説によれば酒呑童子は150年くらい生きている。現実的に考えるなら、酒呑童子と名乗る人物が複数いて、代替わりしたということですよね。酒呑童子という名前は、そもそも〈捨て童子〉に由来するという説もある。捨てられた人たちが、当時は鬼と呼ばれたのかもしれない。ありそうな仮説を繋ぎ合わせて、自分なりの酒呑童子を作りあげてみました。酒呑童子も茨木童子も、各地に伝説が残っているので、それらはできる限り物語に取り込んでいます。

日本人の精神史を書いていきたい

――現代小説よりも制約が多く、苦労がありそうですね。

 調べ物をしながら書くのは、嫌いじゃないんですよ。高度成長期を舞台にした『わくらば日記』では、自分が生まれる前の昭和を書くのがすごく面白かった。このシリーズでも同じです。古い資料をひもとくと、知らないことが山ほど出てくる。文章を通して、平安や鎌倉の人たちの声にも触れられる。本ってつくづくすごいメディアだなと思います。大学で国文学を勉強していた頃より、今の方がはるかに古典を読んでいますよ(笑)。

――古語を織りまぜた文章が、物語の美しさ、怪しさをより引き立てています。文体も本書の魅力ですね。

 カタカナ言葉は使わず、できるだけ当時の語彙を使って雰囲気を出すようにしています。ただ「こんな言い回しが平安時代にあったのか」と悩み始めるときりがないですし、調べても分からないことなので、割り切るところは割り切って現代風に書いていますね。
 執筆していてあらためて、日本語表現の豊かさに気づきました。濯いだような黄色のことを〈言わぬ色〉と呼ぶ。なんて雅な表現だろうかと。こういう言葉に出会うと、本当の意味で日本って捨てたものじゃないな、と実感します。

写真は朱川さん提供

――「知らぬ火文庫」の今後について、考えていることはありますか。

 大きなことを言うと、日本人の精神史を書いていきたいんです。『鬼棲むところ』で平安時代を書くことができたので、この先さらに時代をくだって、鎌倉・室町・江戸、さらには明治・大正あたりまで到達できればいいなと。もちろん出版状況次第ではあるんですが、作者としてはそんな野望を抱いています。「知らぬ火文庫」以外でも、古典文学は継続して扱っていきたいですね。鴨長明の『方丈記』が昔から好きなので、いつの日か小説にできればとも思っています。

――朱川版・方丈記ですか!それはまた興味津々ですね。では、これから『鬼棲むところ』を手に取る読者にメッセージをお願いします。

 作品の中で「人が考えるべきは、鬼が本当に或るか或らぬかではなく、鬼に成るか成らぬかだ」と書きました。『鬼棲むところ』に登場する鬼は、すべて人の欲や愛など、強烈な感情が生み出したもの。鬼と見なされていた者たちにも、こんな事情があったんじゃないかな、と思いを馳せてもらえると嬉しいです。なんだか真面目な話をしてしまいましたが、こう見えて僕は真面目な人間なんですよ(笑)。自分の中にある「知らぬ火」について考えるきっかけにしていただけたらとも思います。