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石川啄木「一握の砂」 近代短歌 完成させた一編

いしかわ・たくぼく(1886~1912)。歌人

平田オリザが読む

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹(かに)とたはむる
 
たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽(かろ)きに泣きて
三歩あゆまず

 誰もが耳にしたことのある石川啄木の短歌は、そのほとんどが一九一○年に出版された第一歌集『一握の砂』に収録されている。第二歌集『悲しき玩具』の出版は一年半後、啄木の若すぎる死の直後だった。

 しかしこの『一握の砂』一編で、啄木は近代短歌の完成者として後世に名を残す。文学史的に見れば、啄木の師でもある与謝野鉄幹・晶子夫妻を中心としたロマン主義の明星派と、正岡子規を源流とし、形式・描写を重んじるアララギ派の対立を見事に止揚した。それは、小説『破戒』において藤村が、近代小説という形式と、そこで書くべき内容の一致を「発見」したのと相似形をなしている。

 啄木はまた、政治にも強い関心を示した。歌集には収録されていないが、同じ一○年のいわゆる「日韓併合」に際しては、

地図の上朝鮮国にくろぐろと
墨をぬりつゝ
秋風を聴く

 という歌を残していた。先回取り上げた幸徳秋水が翌一一年に大逆事件で死刑判決を受け、六日後に執行された際は、公判記録をひそかに入手して分析、

われは知る、テロリストのかなしき心を――
言葉とおこなひとを分かちがたきただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、

 という詩を残している。

 前後して○九年、北原白秋が『邪宗門』を出版。日本近代文学は各方面においてほぼ完成をみる。そして世相は、啄木の言う「時代閉塞(へいそく)の現状」へゆっくりと傾いていく。=朝日新聞2020年4月18日掲載