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島耕作72歳、相談役に就任! 弘兼憲史「相談役 島耕作」(第113回)

 1970年に初芝電産(現テコット)に入社してから半世紀。2008年に社長、2013年に会長になった島耕作は、2019年ついに「相談役」に就任した! 数あるサラリーマンマンガの中でも、72歳の相談役が主人公の作品などほかに例がないだろう。「モーニング」(講談社)で1983年から始まった「島耕作」シリーズは、サラリーマンマンガとして前人未踏の領域に達したわけだ。

 相原コージと竹熊健太郎は1990年に刊行された『サルでも描けるまんが教室』で、当時課長だった島が会長になることを予見していた。レッスン24「ウケる老人まんがの可能性」で、竹熊は「団塊の世代が老人になる20年後には老人向けマンガが誕生する」と喝破。2010年発行の架空の老人マンガ誌「週刊ビッグオールド」は定価1210円、表紙には「会長 島耕作」の文字が見える。それから物価がほとんど変わらなかったことは想定外だったとしても、わずか3年の差で『会長 島耕作』の誕生を予言した慧眼は見事。これが実現したことにも驚いたのに、さらにその上を行く「相談役」編まで続くとは思わなかった。
 もっとも、「サルまん」の「週刊ビッグオールド」はあくまでギャグだ。1990年当時、島がいずれ社長や相談役にまで昇進すると本気で予想していた人は作者・弘兼憲史も含めて誰ひとりいなかったに違いない。

 そもそも当時の島はフィリピン・ハツシバで同期の出世頭・樫村の部下として働いていた。その後の夭折がなければ樫村こそが将来の社長候補であり、そうなれば島の社長就任はなかっただろう。課長時代の島はとりたてて仕事ができたわけでもないし、出世欲もまったくなかった。フィリピン赴任の直前には「いやな仕事でえらくなるより好きな仕事で犬のように働きたいさ」というキザな名言も残している。
 相談役になった島の給料は会長時代の100分の1。「それで十分暮らせる」そうなので、以前は億単位の年収があったことがわかる。就任直後に前相談役の万亀が病死して、島の上司だった人間は社内にいなくなった。悠々自適であるはずの相談役になっても、経済交友会の代表幹事も務める島は現役バリバリで忙しく、東京オリンピック開催を前に「スポーツビジネス」の世界に乗り出す。この分野では日本はひどく遅れているらしい。2013年の時点でアメリカのスポーツ市場が約56兆円に対して日本はわずか4兆円など、これまでのシリーズ同様、たいへん勉強になる情報が満載だ。

 ところが、新型コロナウイルスのせいで東京オリンピックがまさかの延期に! 4月16日発売の「モーニング」20号では島もマスクを着け、岩手県と進めていた仕事も延期が決まってしまう。その延期を伝えるため島がガラガラの新幹線で岩手に乗り込むのにはビックリしたが、これってもちろん緊急事態宣言が出る前という設定ですよね、弘兼先生?