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東山彰良のTurn! Turn! Turn! #13 小郡 愛情あふれる街からの巣立ち

文:東山彰良 写真:河合真人

 菜の花が咲き乱れるころ、我が街、福岡県は小郡を漫(そぞ)ろ歩いてみた。

 筑後地区にお住まいの方なら、このちっぽけな街をご存知だろう。西鉄の福岡(天神)駅から急行電車に乗れば30分ほどで着く、久留米の手前に位置する小さなベッドタウンだ。なにもない街で、長らく駅前のドーナツショップが唯一のオシャレスポットだったのだが、それもいつのまにかなくなってしまった。

 いちばんよく通ったのは小郡市立図書館だ。しかし、この日は新型コロナウイルスの影響で閉館していた。私は図書館の門前に貼られた閉館の告知を読み、途方に暮れてあたりをきょろきょろと見回した。いちおう念のために近づいてみると、自動ドアが静かに開いた。おっかなびっくり無人のロビーに足を踏み入れた私は、館内に人影を認めた。閉館してはいるものの、司書さんたちはふつうに立ち働いていた。お客さんが来なくても、仕事は山ほどあるみたいだった。私は持参した菓子折りを手渡し、街を離れる報告をした。そう、4月から私は新しい街へ移り住むのだ。

まだ冷たい風が吹き抜ける宝満川河川敷を歩く。菜の花が一面に咲いていた

 緑豊かなこの図書館には、ほんとうにお世話になった。作家としての私の方向性を決定づけてくれた数々の偉大は書物とは、ほとんどここで出会った。マルケスにセルバンテスにブコウスキー。子供たちが小さかったころは、よくみんなで自転車に乗って絵本を借りに来たものだ。借りてきたムーミンの本を静かに読んでいた次男が、出し抜けにムーミンパパの言葉を吐いたときにはびっくり仰天して開いた口がふさがらなかった。

 「人生は一度だけなんだ! 義務なんて、地獄に落ちちまえ!」

 あるとき、そんなアナーキーな次男を自転車の補助席に乗せて図書館へ向かっていると、草叢(くさむら)からカエルが一匹飛び出してきて、私たちのまえをぴょんぴょん横切っていった。彼は「カエル、カエル」と言って手をたたいたが、すぐあとに這(は)い出てきた大きな蛇を見て目を丸くした。蛇はカエルをじりじりと追い詰め、ぴょんと跳ねた瞬間にパクッと食べてしまった。私たちはなんだか得をした気分になった。

田園風景が広がる場所で、行き交う西鉄電車を見送った

 そもそもこの街に住むことになったのは、妻の実家があるためだった。いまから23年前、私は途方に暮れていた。博士論文はさっぱり書けず、定職もなく、そして生まれたばかりの長男を抱えてままならない人生におびえきっていた。子供に罪はない。なんとしても彼を一人前に育てようと決心したが、私にはその能力がなかった。妻はどうにかなると言って励ましてくれたけれど、私にはどうしてもそう思えなかった。身を粉にして働けば、あるいは細々と暮らしてはいけるかもしれない。しかしそうするには、私はあまりにも世間知らずで、自尊心ばかりが高く、そしてこらえ性がなかった。子供が必要とする愛情の量を数値化することなどできやしないが、たとえできたとしても、私は長男が必要とするその量を満たしてやる自信がなかった。

 とはいえ、私の考えでは、親の愛情だけが愛情ではない。私自身、5歳までは両親と離れて台北の祖父母の家に預けられていた。私たちは祖父を家長とする大家族で、曽祖母や祖母、伯父に叔母、それに従妹(いとこ)たちがひとつ屋根の下でかまびすしく暮らしていた。当時はまだ戒厳令下にあって禁止されていた麻雀(マージャン)をするためにしょっちゅう大人たちが寄り集まり、乾爸(ガンバア)(血縁はないけれど、家族同然に付き合いのある父親代わり)や大叔父にもよく映画に連れていってもらった。近所にも不良のおばさんたちがたくさんいて、みんなそれぞれのやり方で私を可愛がったり痛めつけたりした。つまり、こういうことだ。たとえ親の愛情が少々足りなくても、周りの大人たちが少しずつ目をかけてやれば、子供はちゃんと育つ。うまくいけば、作家にだってなれるかもしれない。

3月、宝満川の河川敷を訪れた。鉄橋を渡る西鉄電車の向こうに夕日が沈んでいった

 そんなわけで、小郡に住むことは、あのころの私にとっては唯一の選択肢だった。なにもない街だけど、妻側の親類縁者だけはたくさんいる。私の思惑通り、長男は愛情深い大人たちに囲まれて王子のように育った。仕事も学位も未来もない不肖の親父(おやじ)がいじけているときでも、彼を可愛がってくれるやさしい手や、彼を見守るあたたかな眼差(まなざ)しには事欠かなかった。

 私は思うのだけれど、ある場所に対する愛着とは、けっきょくのところ、そこにいる人々に対する愛着のことなのだ。小郡で暮らした最初の数年間、私は人生の不安と苦しみのなかで小説に逃げた。それでも子供たちが(とりあえずいまのところは)まっとうに育ってくれているのは、たくさんの人たちが彼らに少しずつ愛情を注いでくれたからだ。そのおかげで、彼らは彼らが必要とする愛情の量を十二分に得ることができた。妻の猫たちでさえ彼らを愛してくれた。

 とりたてて見どころも心躍るような景観もない街だけど、ぶらぶら歩きながら、私はやっぱりこの街にとてもやさしくしてもらったのだと思った。人生のもっともしんどくて、もっとも輝かしい時期を、私はここで過ごしたのだ。=朝日新聞2020年4月18日掲載