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「ご近所という宇宙」本でひもとく ぽつんと歩いて味わう「詩」 エッセイスト・宮田珠己

『まちの植物のせかい』から(写真・鈴木純)

 大変なことになったものだ。外出を自粛して出来る限り家にいるのだけれど、旅行に出かけられないどころか街にも出られないのは、結構つらい。

 あんまりつらくなってくると、ひとりで散歩に出る。とにかく人がたくさんいる場所には行かないように、近所の川べりや住宅街のなかを、ぽつんと歩く。川べりに大きな桜があり、たった一本だけどこの状況においては重要な絶景スポットだ。あと川に泳ぐ鯉(こい)を上から眺めるのもちょっとした観光と言えるかもしれない。行動範囲が大幅に縮小したぶん、小さなものを大切に味わうことが重要だ。

 実は、これは偶然なのだが、新型コロナウイルスの流行が始まる前から、私は何の変哲もない自分の町をどう楽しむかという問題について考えていた。観光スポットなど何もない単なる住宅街からいかに旅の感慨を引き出すか。紀行作家として、ふつうの旅に飽きはじめていたこともあったのだろう。見渡せば、期せずしてそのような町の楽しみ方を実践している人が多くいることに気がついた。

小さな絶景発見

 たとえば『まちの植物のせかい』が紹介する町歩きはまさにそんな旅の典型と言ってもいい。公園や緑地だけでなく道端やアスファルトの隙間に生える雑草まで、身近な植物をミクロな視点で観察して面白がり、好奇心にまかせて次々と不思議を見出(みいだ)していく。葉っぱを覆うビーズのようなもの、奇妙な形のおしべ、葉の表面で咲いているようにみえる花など、豊富なカラー写真で紹介される植物の世界は小さな絶景に満ちている。

 そうか、こうやって楽しめばいいのか。そういえば私も、そのへんに生えていた知らない花のめしべを見たら、想像を超えたすごい色と形で驚いたことがあった。石ころでも何でも自然の細部に注目すれば、自宅のまわりを一周するだけで大冒険ができるかもしれない。

 着目する対象は人工物だって構わない。『はじめての暗渠散歩』は、暗渠を伝って町を探検する。暗渠とは「蓋(ふた)をされた川」のこと。今は道路になっているが、かつてそこに川が流れていたという場所は少なくない。そうした川の痕跡を探し、それをたどり、土地の歴史に思いを馳(は)せる。それって面白いの?と疑問に思う人もありそうだが、始めてみると、目に見えているのとは違う風景が脳内に浮かびあがり、何の変哲もないと思っていた町にも、小さな不思議や秘密の歴史が隠れていたことに気づく。ありふれた町など実はどこにもないのだ。

 最近は、このような独自の視点で町を歩く人が明らかに増えてきた。着目する対象は、電線や鉄塔、看板、エアコンの配管、公園遊具、給水塔に坂や階段など多岐にわたる。町にはさまざまなレイヤー(層)があり、どのレイヤーを選ぶかでまったく違った顔を見せてくれる。

斬新な着眼点も

 『片手袋研究入門』は、なかでも異色な一冊だ。著者が目をつけたのは手袋の落とし物。片一方の手袋だけが落ちている光景を写真に撮りコレクションしている。一瞬何のことだか理解できなかったが、落ちている片手袋からその町の人々の営みを読みとろうとしているらしい。なんという斬新な町歩きだろう。本書はそれをいかに体系立てて理論化するかという苦闘の記録とも読めるが、無理やり考え出したテーマではなく、子どもの頃からずっと気になっていたという点で、もはや文学に近いのかもしれない。

 こうしてさまざまな視点を手に入れたとき、われわれは町が詩であふれていたことに気づく。外出が制限されたから負け惜しみを言うのではない。町ははじめから広大な宇宙だったことを発見するのである。=朝日新聞2020年4月25日掲載