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石川宗生「ホテル・アルカディア」書評 読むたびに姿を変える、奇想天外な21世紀版「デカメロン」

文:朝宮運河

 〈疫病文学〉としてカミュの『ペスト』などとともに再注目されているのが、ボッカッチョの『デカメロン』である。ペストの蔓延する都会から郊外に逃れてきた男女が10日間にわたって物語を披露する、という中世イタリア文学を代表する作品だ。

 SF界の新鋭・石川宗生の『ホテル・アルカディア』(集英社)は、まさしくこの『デカメロン』の形式にのっとって書かれた長編小説。芸術家が多数滞在するスペイン建築風のホテル・アルカディアでは、支配人の娘・プルデンシアがある日を境にコテージに閉じこもっていた。投宿していた7人の芸術家たちは、彼女をモチーフにしたアートを創作し、彼女にゆかりのある物語を話し始めるのだが……。

 こうした胸踊る設定のもと、21の奇想天外な掌編小説が紡がれてゆく。たとえば「代理戦争」で描かれるのは、体に棲みついた極小サイズの動物に悩まされる男だ。最初はキリンだけだったミニ動物たちは、日に日に種類と数を増し、ついには文明を備えたこびとまでが発生、侵略戦争をくり広げる。体のうえで地球の歴史が再現されるこの作品は、戦争の愚かさを描いた寓話と読むこともできるだろうが、愉快なホラ話として楽しむのが正しいだろう。賑やかながら抑制の効いた文体、いきいきとしたセリフの応酬によって、起きるはずのない奇妙な事件がつかの間ページ上に出現する。
 通読していて驚かされるのは、作者の引き出しの多さである。文学作品のタイピングが仮想空間に横たわる人の五感にさまざまな刺激を与える、という甘美なSF「タイピスト〈I〉」があるかと思うと、「すべてはダニエラとファックするために」のような性的青春小説もある。丸太造り師や迷宮技師など、一風変わった専門家を訪ね歩く「わた師」はいかにも人を食ったショートショート。かと思うと、夜空に浮かぶ死者たちを望遠鏡で観測する、というイメージが美しい「光り輝く人」のような作品もある。ホラー小説好きなら、市販のゾンビパウダーで人々がすすんでゾンビ化する社会を描いた「ゾンビのすすめ」が興味深いだろう。巨匠リチャード・マシスンの扱ったアイデアを、よりポップに展開させた怪作だ。

 個人的ベストは〈ある夜、本の挿絵がやってきた〉という一文から始まる「本の挿絵」。主人公の家に居座った挿絵は、恋人用のバスタオルを使ったり、夜の森に出かけて狩りをしたりする。一体全体、作者はどこからこんな物語を思いつくのだろう。
 バラエティ豊かな21編に共通点を探すなら、言語や記号へのこだわりと、文学作品への言及が生み出すブッキッシュな雰囲気だろうか。日本の地名・人名がほとんど出てこないこともあって、未知の海外作家によって書かれた奇想小説集を読んでいる、という気がしてくる。

 『デカメロン』のようなリレー形式の物語を一般に〈枠物語〉と呼ぶが、『ホテル・アルカディア』において枠の内側と外側の区別は曖昧だ。作品全体は「愛のアトラス」「性のアトラス」などの7つのパートに分かれ、各章の冒頭には枠の外側にあたるエピソードが挿入されているものの、それ自体が21編の作中作とまったく遜色がない、一編の奇想小説になっているからだ。
 枠の外側を歩いていたつもりが、いつの間にか内側を歩いている。まるでエッシャーの騙し絵のような物語なのである。この複雑に入り組んだ作品を、どう受け止めたらいいのだろうか。ホテル・アルカディアのはるか未来の姿〈アトラス〉を描いた(と解釈できる)「文化のアトラス」には、次のように記されている。

 「〈アトラス〉のすばらしい点は、おなじルートを何遍たどっても、その都度異なる景色を見られるということにあります。みなさんが〈アトラス〉を一周しているあいだに誰かが新たに〈手〉を加え、誰かが〈手〉を読むことで、たえず全体が変動していくからです。そしてもちろん、みなさんが〈手〉を読むことでも、べつの誰かが目にする風景に影響を与えることになるんですよ」

 これはそのまま本書にも当てはまる言葉だろう。『ホテル・アルカディア』は読み手によっていかようにも姿を変える、開かれた迷宮だ。いつまでも遊んでいられる巨大建築を、抜群の言語センスによって作りあげてしまった作者の手腕には脱帽である。