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「伝説の漫画家」の日常、淡々と 堀部篤史さんが薦める新刊文庫3冊

堀部篤史が薦める文庫この新刊!

  1. 『つげ義春日記』 つげ義春著 講談社文芸文庫 1430円
  2. 『喫茶店の時代 あのとき こんな店があった』 林哲夫著 ちくま文庫 1100円
  3. 『暮しの数学』 矢野健太郎著 中公文庫 880円

 (1)は「伝説の漫画家」による昭和50年代の日記をまとめたもの。妻や家族との諍(あらそ)い、突如襲われる不安などが赤裸々に綴(つづ)られるが、ある種の私小説作品のように露悪的にも、自意識過剰にも陥らない淡々とした筆致が本書の魅力だ。「貧しさに惹(ひ)かれる自分の心が分析できない」と綴り、「無能の人」のように世捨て人を描いた作家としても知られるが、本書には原稿料や印税額が事細かに記され、当時の生活は安定していたことがうかがい知れる。当時の出版状況を知る上でも貴重な資料。

 (2)はコーヒーが初めて日本に伝来した17世紀末頃から、ファーストフードの席巻までを、膨大な資料を紐解(ひもと)き綴った文化史。著者は本書を喫茶店史の編纂(へんさん)を目的としたものではなく「ひとつのコレクション」の結果だという。例えば研究者であれば喫茶店の変遷を調べるため、小説家の回想記や詩人のエッセイを読みあさるだろうか。近代喫茶店史を描くために関連資料をあたるのではなく、膨大な書物の中から喫茶店にまつわる部分を蒐(あつ)めた結果できたのが本書。だからこそ、当時の町並みや、そこで交わされた会話まで聞こえてくるようで面白い。古本に関する著作も多い著者ならではの一冊。

 (3)われわれの生活と数学とは切っても切り離せない関係にある。十進法も両手という身体を元にしているし、ピアノの調律にも遠近法にも数学は切り離せない。抽象的な計算と具体的暮(くら)しの繋(つな)がりを実感できる実例が満載。(書店「誠光社」店主)=朝日新聞2020年5月9日掲載