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吉田喜重「贖罪」書評 断片から本質へ 精緻につづる

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2020年05月16日
贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争 著者:吉田喜重 出版社:文藝春秋 ジャンル:小説

ISBN: 9784163910994
発売⽇: 2020/04/13
サイズ: 20cm/349p

贖罪(しょくざい) ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争 [著]吉田喜重

 少年期に歴史上の事件や人物の断片を記憶する。長じてその全体図を理解し断片の本質がわかってくる。
 1941年5月、ナチス・ドイツの副総統だったルドルフ・ヘスが、単身飛行機で敵国イギリスに乗り込んだ。講和を企図してだ。
 まだ10歳だった「わたし」は、その新聞記事を「謎めいた暗号」のようにおぞましく潜在化していった。時折ヘスの存在を思い出しつつ70年余を経て、戦犯としてただ一人、ベルリンの監獄に残され生きながらえたこの男の人生とはいかなるものだったのか、歴史小説として作品化した。
 主語を省いた回想録をヘスが残したという形で、彼の人生が克明に語られる。エジプトのアレクサンドリアで育った幼年期、ドイツに留学した少年期、第1次世界大戦に従軍した経歴が語られ、ドイツ人であろうとする屈折した心理が浮かびあがる。戦後はミュンヘン大学で学ぶのだが、やがてヒトラー(この作品ではHとして語られる)の情熱にひかれ秘書にもなる。
 ヘスは地政学(ゲオポリティク)教授のハウスホーファー一家と親しく交わるが、この教授とヒトラーを結びつけたことが、『わが闘争』を生み、ナチスの呼び水になったと明かされる。その罪の意識。こうした経緯は全てヘスが自殺前に書き残したとの前提で解きほぐされる。
 むろん本書は「小説」という枠組みで読むべき作品だが、しかし書かれている内容は史実の上からは全て事実である。あえて小説と称したのは、ヘスやハウスホーファーの息子の遺書などが「筆者」の視点で書かれているが故のことであろう。この内容とてあまりにも精緻なので読者はとまどいを持つはずだ。
 著者は自らの人生体験を通して、重要な「基軸」を次代の者に、そして歴史の中に刻み込んだ。「生きあわせた時代との呪う、呪われるといった相反する二重の関係」による迷いと葛藤、そこでの学びこそ生きる強靱さだと著者は教えている。
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 よしだ・よししげ 1933年生まれ。映画監督。代表作に「秋津温泉」など。著書に『小津安二郎の反映画』など。