1. HOME
  2. コラム
  3. ひもとく
  4. 「旅に駆りたてるもの」本でひもとく 「もっと先へ」、抑えられない 旅行作家・蔵前仁一さん

「旅に駆りたてるもの」本でひもとく 「もっと先へ」、抑えられない 旅行作家・蔵前仁一さん

1986年、インド・コルカタの玄関口ハウラー駅前。大衆車アンバサダーでごったがえす=蔵前さん撮影

 新型コロナウイルスで旅行に行けないという方も多いことだろう。僕もインドへの航空券を泣く泣くキャンセルした。ああ、いつになったらまたインドへ行けるのか。

 40年、世界各地を旅してきた。旅へのモチベーションは何ですかと聞かれることがあるが、それは単純に好奇心だ。ここではないどこかはどうなっているのか、見たい、知りたいと思う心を抑えられない。だから旅に出る。旅先がよく知られていない辺境だと「冒険」といわれたり、マニアックだと「物好き」といわれたりする。

 北澤豊雄の『ダリエン地峡決死行』は、旅行者の間で越すに越されぬ伝説の国境として知られるダリエン地峡を渡る話だ。中南米のコロンビア・パナマ国境は陸でつながっていながら、密林に覆われ、満足に道路もなく、ゲリラが出没する危険地帯。ハイキングも苦手という33歳が、バイトをしていた日本食レストランの社長に「面白いと思うんだよね」と半ばそそのかされて挑んでしまう。

 正直言って、この挑戦に深い意味や動機があるとは思えない。だが、いったい伝説の国境はどうなっているのだろうと彼は突き進んでいく。長年の謎だったダリエン地峡が、この本を読んでようやくイメージできた。そして、あきらめがついた。

暮らし知ろうと

 田中真知の『たまたまザイール、またコンゴ』もまた、まったくの素人の冒険的旅行だ。なにしろ井の頭公園でボートをこいだ経験しかない男性が、ザイール川(現コンゴ川)を丸木舟でこぎ下るのだ。しかも「優雅なクルーズができるよ」と妻をだましてひっぱりだしたという。著者はこれが冒険だとは思っておらず、「それはたんに、そこに暮らす人たちの日常世界を訪ねること」だという。だから、この本で描かれているのは、彼が知りたかったこの川の沿岸に住む人々の暮らしである。それがたまらなくいとおしい。

 僕はよくインドの田舎へ民家の壁画を見にいく。観光地ではないので地元の人に聞きまわりながら壁画を探す。言葉も話せないのに、なんでこんなところまでやってきたんだと地元の人に言われるが、実はガイドブックにも載っていない町や村へ、多くの物好きな連中が足を運んでいる。蒸気機関車が走っていると聞けば、東欧の誰も知らない村まで出かけ、美しい布があると知れば、ホテルもろくにないインドネシアの村へ分け入る。それは彼らにとっては冒険でもなんでもない。

ただ一皿を求め

 『日本の中のインド亜大陸食紀行』の小林真樹は、インド料理に溺れ、長年インドに通い続ける。ただ一皿の料理を求めてインドの片田舎まで何時間もバスに揺られ、この料理を食べに来るだけの価値があると断言するような物好きだ。その結果、インド食器輸入業者となって、今度は日本全国のインド料理店を巡るようになる。普通の日本人ではまず発見できない移民コミュニティーのレストランや、モスクの礼拝後に供される食事を探し出していく。

 著者は仕事柄、南アジア系の人々との付き合いが一般の日本人とは比較にならないほど濃密だ。そこから見えてくるのは、日本に住む南アジア系の人々の生活そのものだ。

 旅に出て目的地へ着くと、必ずもっとその先があることを知る。今いるこの先には、何かおもしろいものがありそうだと思うようになっている。もっと美しい風景があるかもしれない、どんな人々がどんな暮らしをしているのだろう、とさらなる一歩を踏み出してしまう。それが旅なのだと思う。今の状況では最初の一歩を踏み出すことさえできない。世界が閉ざされ、息苦しさを感じる日々だ。=朝日新聞2020年5月23日掲載