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東山彰良のTurn! Turn! Turn! #14 渚にて ままならぬ世を、おもしろく

文:東山彰良 写真:河合真人

 20年以上暮らした福岡県小郡市を離れてとうとう福岡市内に越してきたわけだが、新しい街は海の近くにあって、いつも強い風が吹いているのだった。

 子供たちが親元を離れたとあって、私と妻はこれからが第二の人生と思い定め、いつ何時雲の上におわす方からお呼びがかかっても悔いのない余生を送ろうと誓い合ったのだが、世の中ままならないことだらけだ。福岡県の緊急事態宣言は解除されたとはいえ、油断のならない日々は相変わらずで、私はいまだ疑心暗鬼に囚(とら)われている。海辺へ散歩に出れば、まるで事態はもうすっかり終息したかのように人生を謳歌(おうか)している人たちがいる。エーリッヒ・フロムに言わせれば、このような者たちこそが生きているということになるし、ポール・セローに言わせれば彼らこそが芸術家だということになる。しかし、私としてはこう叫びたい。たわけ者どもめ、いまにまた泣きを見ることになるぞ!

 もとより小心者のうえに筋金入りのインドア派の私は、外出自粛もさほど苦にならない。かねてより自宅で仕事をしているので、妻から邪険にされることもない。人間、命あっての物種だ。それに、引きこもりの日々にもなにかと愉(たの)しみはある。高杉晋作もこう言っているではないか。

 《おもしろきこともなき世をおもしろく
 すみなすものは心なりけり》

 至言である。歴史のことにはまったく疎い私だが、まあ、面白いも面白くないも、要は心の持ちようという意味だろう。

百道浜から西新まで続くサザエさん通り。案内板はサザエさんのシルエットが切り抜かれている

 そんなわけで私は規則正しく己を律し、門外不出の日々にささやかな面白味(おもしろみ)を見出しながら暮らしている。午前中に仕事をし、午後は本を読んだりギターの練習をしたりする。なにもなければ、夕方からは酒を飲んで過ごす。気が向けば、カクテルなんかもつくる。酒と割り材を混ぜ合わせるためのシェーカーなどは持たず、百均で買ったプラスチックボトルで美味(うま)いマルガリータをこしらえる。

 最近ちょっとはまっているのがエスプレッソだ。しばらくまえにテレビで直火式エスプレッソメーカーなるものを見て、その可愛らしさに一目惚(ひとめぼ)れして思わず通販で買ってしまった。イタリアではマキネッタというらしい。アルミ製のポットみたいな形状をしており、フィルターにコーヒー粉を敷きつめ、下部のボイラー部に水を入れてあとは弱火にかけるだけ。自分好みの味を出すのは容易ではないけれど(私もまだ鋭意模索中だ)、もともとコーヒーは大好きなので、その試行錯誤もまた愉しい。なにもかもがデジタル制御で動くいまの世に逆行しているような、まるでいっぱしのバリスタになったかのような、自分のまわりの時間だけが心地よく色褪(いろあ)せていくような、そんなひとときを楽しんでいる。

 それに外出を手控えるとはいっても、なにがなんでも自粛ばかりしているわけでもない。大義名分さえあれば、私だって堂々と外出する(妻の買い物の荷物持ちとか)。この日は、初夏の陽射(ひざ)しが強く照り付ける黄昏時(たそがれどき)に、本欄の担当記者と能古島へ渡る渡船所で待ち合わせた。もちろん、ぶらぶら歩きが身上のこのコラムを書くためである。能古島はかつて檀一雄が住み、かつ東山が魚釣りに訪れた博多湾に浮かぶ小さな島である。春は菜の花やポピー、夏はヒマワリやマリーゴールド、秋はコスモスやダリア、冬にはザザンカや椿(つばき)などが繚乱(りょうらん)する。

 ソーシャル・ディスタンシングを意識した私は、新居から自転車に乗って出かけた。心地よい汐風(しおかぜ)に吹かれながら海沿いの愛宕浜をただ無心に走っていると、この世に悩み事などなにもないような気がしてくる。浮かれ者どもはそこかしこにいて、マスクをしているのがなにかの冗談に思えてくる。孤独に海をにらみつけているやつもいる。そういう人たちを見ていると、ひょっとしたら間違っているのは俺のほうなんじゃないかという気がしてくる。病魔など如何(いか)ほどのこともなく、人生は楽しんだもん勝ち、世界は私が思うよりずっと強靱(きょうじん)で抜け目がないのかもしれない。

 ああ、そうであってほしいものだ!

さわやかな潮風に吹かれながら愛宕浜を走った。後方は能古島

 自転車を降り、海に沈む夕陽(ゆうひ)を眺めながら波打ち際を歩いていると、まだ月も昇らぬうちから月にまつわる詩が静かにこの胸に打ち寄せてくる。

 《人有悲歡離合
 月有陰晴圓缺
 此事古難全
 但願人長久
 千里共嬋娟》

 北宋の詩人、蘇軾(そしょく)が中秋の名月について詠んだ「水調歌頭」という詩の一節だ。私なりに意訳をすれば、さしずめこうなる。

 歓(よろこ)びや悲しみ、出会いや別れ
 月にだって満ち欠けがある
 物事はままならないけれど
 願わくはお達者で
 遠く離れていても同じ月を見上げよう

 世の中、いろんな人間がいる。それがこの世を面倒にもするし、面白くもしている。浮かれ者たちだって気鬱(きうつ)を抱えているし、小心翼々としている者たちだって臆病なだけじゃない。あなたに見えているものが、他の人にも見えているとはかぎらない。逆もまたしかりだ。まあ、安易に他人を否定しないことだ。根気よくやっていけば、いつかおたがいの目に同じものが映るかもしれない。

 それまで、皆さん、どうかお達者で。=朝日新聞2020年5月23日掲載