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コロナ禍、人と人との新しいつながり方探る 若新雄純さん×佐渡島庸平さん対談イベント

佐渡島庸平さん(左)、若新雄純さん=篠田英美撮影

「ぜったい」の陰、見落とされた価値に光

 佐渡島 若新さんの専門はコミュニケーション。コロナ禍でオンラインコミュニケーションが世界中で増えています。
 若新 いま、テレビにリモート出演していますが、これまでなら「画質が悪い」と却下されたはず。それが一気に「完璧じゃなくてもOK」となった。社会が新しいものを採り入れていくときの、本来の在り方だと思う。

 佐渡島 大量消費社会では、品質に差異がないことが理想とされていた。ところが今回、多様性を認めようと変わってきている。

 若新 「ちょっとこういう状況なんで」と、新しい技術ややり方を試行錯誤できるようになった。

 佐渡島 ゆるさ、いい加減さ、雑さを受け入れることが突破口になるというのは、けっこうな「気付き」ですよね。しかも世界中で起きてるというのが、とてつもない。ただ、その中で学校がどこまで変われるか。子どもは時代に敏感。「これが絶対的知識です」という学びに対して、苦しいと悲鳴をあげてる子が多い。

 若新 漢字の「絶対」の反対は「相対」。でも、ひらがなの「ぜったい」の反対は「あいまい」だと思うんです。例えば、男子トイレと女子トイレ。「ぜったい」に違う方に行っちゃいけない。男子でも女子でもないと悩んでいる人たち、少数の悩みは拾いきれない。そういうことは世の中にたくさんある。「ぜったい」が運営上うまくいっていても、納得のいかない、おさまりきれない人は常に存在していた。多分そこを、今の日本は議論しなきゃいけない。

 佐渡島 クリエーティブなものって、あいまいな中から生まれてくる。組織を作っていると「ルールにして」とか「はっきりして」とか色んな声が上がってくるけれど、それに対して「まあいいじゃないか」とあいまいな状態のまま進むって、すごく重要だと思う。

 若新 少数なので我慢してきた人とか、見落とされていたこととか、発揮されていなかった価値を掘り起こすチャンスですよね。

 佐渡島 いろんな人を共存させられる方法を見つけられるかどうかで、コミュニティーに属している人たちの幸福度がまったく変わってきますね。

 若新 その「あいまい」には教養が必要だと考えます。「ぜったい」は、例えばチャイムが鳴ったら集まるとか、深く考えなくても運用しやすい。でも「あいまい」は、一回一回立ち止まって、本当にそれだけなのか、ほかにないかなと疑問を持たなければならない。自分とは違うものが存在することを知るのが大切です。

 佐渡島 教養って、他者の立場に立つための土台となる情報ですよね。大学に何のために行くのか、それはあいまいさを許容するための教養を学ぶため。

 若新 学生に「ぜったい」を身につけろという場所であってはいけない。学問の一つの意味は、価値観が大きく変わっても特定の時代や場所の価値観に縛られないものの見方、考え方を身につけることだから。(構成・西秀治)=朝日新聞2020年5月30日掲載