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昆布の長い旅 中沢けい

 十年ほど前のことになる。その頃、私の助手を務めていてくれた女性が「私、椎茸(しいたけ)と昆布が嫌いなんです」と言った。雑談で、そんな話になったのだが、私ははっとして鞄(かばん)に突っ込んだ手を止めた。大阪へ出かけたお土産に椎茸と昆布の佃煮(つくだに)を買ってきたのだ。なんとまあ、よりによってという場面だった。

 大阪のお土産と言えば昆布が代表格と言う時代があった。椎茸昆布、鰹(かつお)昆布、松茸(まつたけ)昆布と昆布と季節の具材を組み合わせた佃煮。塩昆布、切(きり)昆布などもあった。それにおぼろ昆布。それらを詰め合わせた立派な桐箱(きりばこ)入りのお土産をもらうこともあった。

 でも、昆布と椎茸が嫌いだというのも分からないではない。私も幼稚園に通っていた頃はお弁当に昆布巻きが入っていると泣きたくなった。先生に白湯(さゆ)をもらい、昆布巻きをお湯の中で解体して味を薄くして漸(ようや)く食べた。晩御飯に焼き椎茸が出ると不幸な気持ちになった。ああ、なんて不幸な子どもなのかしらと絵本に出てくる小公女の気分だった。昆布も椎茸も良い出汁(だし)がでる。それだけ味が濃いので子どもの舌には辛(つら)いものがあった。

 それが今では昆布巻きをせっせと作っている。那覇で食べた豚の三枚肉を巻き込んだ昆布巻きがたいそう気に入り、自分で作るようになった。我が家の昆布巻きは焼きハゼを巻くのが定番だった。横浜の平潟湾で釣れたハゼを焼き干しにして使っていた。焼きハゼの甘露煮も作ったが、もう焼きハゼを手に入れるのは不可能に近い。豚の三枚肉なら容易に手に入る。琉球料理は昆布を使ったものが多い。でも、なんで琉球で昆布を使うのかしら?と疑問を感じたとたんに、大阪土産が昆布なのはなんで?という疑問も一緒に湧いてきたのはいつの頃だったか?

 蝦夷地で採れた昆布が、日本海を南下する舩(ふね)に積まれ、若狭で陸揚げされ、山を越えて琵琶湖へ出る。琵琶湖から宇治川、淀川と下り大阪に昆布が運ばれる。後には下関から瀬戸内海を経由して大阪に運びこまれたそうだ。薩摩藩が昆布を買い込み、琉球へ運び、琉球から中国へと昆布が輸出された。琉球で豚肉が好んで食べられるようになったのは18世紀のことで、昆布を食べ始めた頃と同じ時期だとか。昆布はずいぶんと長い旅をしたものだ。

 昆布の長い旅がなければ、豚の脂と昆布の相性ぴったりという発見もなかったかもしれない。時々、築地場外に行くようになったのも最初は昆布が欲しかったのだ。出汁に使う少量ではなく、昆布巻きにする昆布をまとめて安く買いたかったからだった。築地市場はすっかり撤去され更地になっている。とうとう私は築地の場内に入ることはなかった。=朝日新聞2020年6月13日掲載