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岡崎琢磨さんが高校時代にはまったチャップリン 「街の灯」のラストシーンの解釈は?

映画「街の灯」から

 先日、あるバラエティ番組で爆笑問題の太田光さんが、好きな映画にチャップリンの「街の灯」を挙げていた。中でもラストについて、「映画史に残る重要なシーン」と前置きしたうえで、次のように語った。
「(少女の)何とも言えないこの、会えてうれしいんだけど、がっかりした表情も混じる……」
 おや、と思った。私が記憶していたものと、いささかニュアンスが異なるように感じられたからだ。そこでおよそ二十年ぶりに、私は「街の灯」を観直してみることにした。

 チャップリンにはまったのは、高校生のときである。
 記憶が定かでないが、確かNHKのBSで、数週にわたってチャップリンの映画を放送したことがあった。取り立てて映画好きではなかったものの、当時からお笑いやコントの番組をよく見ていたので、コメディという点に惹かれたのだろう。観てみるか、と思い立ち、いくつかの作品をチェックした。
 「街の灯」は無声映画、「独裁者」はトーキーになっていたが、いずれにしてもそれほど古い映画を観ること自体、初めての体験だった。にもかかわらず、現代でも古びないユーモアに大いに笑いつつ、楽しく観た。そんな中で、十代の自分の記憶に強烈に残ったのが、やはり「街の灯」のラストであった。
 多くを語らない唐突な幕切れに、それまで観賞したいかなる映像作品とも異なる、新鮮な感動を味わったのだ。無声映画だからこそ、字幕が短かったのがまたよかった。チャップリンの"You can see now?"という台詞は、初見では「見えるの?」と訳されていたはずだ。その四文字が強く印象に残った。あの場面は、寡黙であればあるほどいいと思う。

 以来、ついに観返す機会のなかった「街の灯」を、あらためて観た。そして、ラストに対する印象が変わらなかったことをうれしく思った。少女は最後にチャップリンの手を引き寄せ、口元で微笑む。注意していなければ見逃してしまうような一瞬だが、確かにフィルムに刻まれている。これが、喜びの表現でなくて何であろう。あれは純粋なハッピーエンドだと、私は再認識した。
 もっとも、映画通で知られる太田さんの印象が誤りだと断じるつもりは毛頭ない。あのラストシーンはその寡黙さゆえに、解釈の余地を残していると思うからだ。受け手によってさまざまな感想が生まれる、それがフィクションのよさでもある。そしてまた、そうした違いが作品を観直す契機になる。二十年の時を経て、さらに忘れがたい作品となった。