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色褪せぬ読書メモの言葉たち FWD富士生命代表取締役社長兼CEO・友野紀夫さんの本棚

地中海周辺に惹かれ読書で歴史探訪を堪能

 私の最初の読書体験は、幼稚園の頃の「週刊少年マガジン」。骨折して入院した時にベッドでずっと読んでいたのです。漫画雑誌ですが、当時はふりがなつきの読み物も豊富で、それで文字を覚えたほど。自然と読書の楽しさも覚えました。

 好んで読んできたのは歴史物。特に地中海周辺の歴史に興味があります。前の会社で社長をしていた時は、業績の良い職員や代理店を対象に褒賞旅行を実施し、イタリア、スペイン、ポルトガル、マルタ、クロアチアなどを行き先としていました。これら地中海沿岸の国々には、ローマ遺跡が各地に残ります。『文明が衰亡するとき』は、ローマ帝国などの衰亡史について書かれた名著。キケロ、ギボン、アダム・スミス、ハンチントンといった古今の知識人の衰亡論も豊富に出てきます。私がメモしたのは、通商国家ヴェネツィアが変わりゆくさま。ヴェネツィアは巧みな外交や造船技術などを通じて貿易都市として栄えました。しかし、豊かな時代が続いたがゆえに、「冒険を避け、過去の蓄積によって生活を享受しようという消極的な生活態度」に変わっていったと、著者の高坂正堯氏は分析しています。経済が収縮する中で、生活水準を維持したいという気持ちの現れだろうとも書いています。こうした現象は、今の日本にも見られると思います。社会、政治、経済などに現れる衰亡の兆しは、現代への問いかけにも感じられました。

 地中海周辺の歴史探訪を満喫できる書といえば、『ローマ人の物語』。例えば「ハンニバル戦記」の巻は、何度となく起こったローマ帝国とカルタゴの攻防史に興味があるので、ワクワクしながら読みました。このシリーズもたくさんメモしました。心に残っているのは、紀元前2~3世紀に万里の長城を築いた秦が滅んだ一方で、街道を整備して異文化同士の往来を促したローマ帝国はその後形を変えつつも15世紀まで持続したという話。私は会社の破綻(はたん)や統合を経験し、現在は多様なバックグラウンドを持つ中途採用者の多い組織を束ねています。ローマ帝国の「壁ではなく道」の戦略を、企業戦略に重ねて読みました。

自分も渦中にいた金融危機の詳細を知る

 『ポールソン回顧録』は、ブッシュ政権(息子)の財務長官として金融危機の対応にあたった著者が、リーマン・ショック前後のアメリカの政財界の動きを克明に記しています。「リーマンの次はAIGか!?」という状況の中、どんな判断からAIGを救済したのかも書いています。当時私はAIGスター生命(現・ジブラルタ生命)の社長を務めていました。あれは親会社の情勢が緊迫した夜。金融庁から午前0時近くに「日本法人は破綻の心配がないと明朝発表してほしい」との指示があり、夜中に担当者を集めてプレスリリースを用意しました。結果的にAIGは公的資金の投入によって救済され、新CEOのエドワード・リディが日本にも来て幹部の前でスピーチしました。私はその前夜に彼と会い、背広につけていたAIGのバッジを「1ドルで譲って」と頼まれました。本国の社員は針の筵(むしろ)なので、誰もバッジをつけていないと言うのです。リディは無報酬でCEOを引き受けていたので、「私の報酬より高いバッジだ」と笑っていました。そんな当時の混乱を生々しく思い出した本でした。

 『ペンタゴン・ペーパーズ「キャサリン・グラハム わが人生」より』は、海外出張の折に機内で映画版を見て面白かったので、原作も手に取りました。亡夫に代わってワシントン・ポストの社長となり、ベトナム戦争などの機密文書、いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」報道や、「ウォーターゲート事件」報道に踏み切った著者の回顧録です。一介の主婦だった女性が男社会の中で経営者として成長し、政府の圧力に屈せず表現の自由を貫いた実話に感動しました。映画ではメリル・ストリープが演じましたが、最高のキャスティングだったと思います。

 『巨象も踊る』は、1990年代に業績不振に陥ったIBMの再建に取り組み、復活させたルイス・ガースナーの経営観が詰まった一冊。冒頭に経営会議の様子が書かれているのですが、最初の会議では、男性幹部の全員が白いシャツ、著者だけがブルーのシャツを着ていたが、数週間後の会議では、著者だけが白いシャツ、他の全員が色物のシャツだったそう。このエピソードだけで同社がいわゆる「大企業病」に侵されていた様相がわかり、その後の変化を予感させます。ガースナーは実行力と緻密(ちみつ)なコミュニケーションによって社員を奮いたたせ、ビジネスモデルの転換に成功しました。スティーブ・ジョブズのようなカリスマタイプではありませんが、私のような凡人は、ジョブズよりもガースナーのように地道なリーダーに教訓を見つけられる気がします。(談)

友野紀夫さんの経営論

 2013年に設立し、香港・マカオ、タイ、インドネシア、フィリピン、シンガポール、ベトナム、日本、マレーシアに進出。アジアの生命保険市場で急成長を遂げているFWDグループ。傘下のFWD富士生命の取り組み、目指すところとはどのようなものなのでしょう。

アジア発の「人生を楽しむ保険」

 FWD富士生命は、パシフィック・センチュリー・グループの保険事業部門としてアジアで事業を展開するFWDグループの日本法人。FWDは2013年に設立し、香港・マカオ、タイ、インドネシア、フィリピン、シンガポール、ベトナム、日本、マレーシアに進出。現在、中国展開の準備も進んでいる。

 「FWDグループは、成長めざましいアジアの各市場で年40〜50%の成長を目指しています。当社の日本での総資産は8,800億円超(2019年3月末現在)と、規模ではまだまだ小さな存在ですが、魅力的な商品をご提供できれば、毎年2桁成長を期待できると考えています」と、友野紀夫社長。

 ブランドビジョンは、「人々が抱く“保険”に対する感じ方・考え方を刷新すること」。いわゆる「漠然と将来の不安に備える保険」とは一線を画した「今を思いきり生きるためのエネルギーとなる保険」がコンセプトだ。

 「収入保障保険『FWD収入保障』、がん保険『新がんベスト・ゴールドα』など、シンプルでわかりやすい設計の商品をそろえています。お客様には将来の不安を感じることなく、人生を思いきり楽しんでいただきたい。そのサポートができる存在になることを目指しています」

強みは人材とテクノロジー

 友野社長は、再編に次ぐ再編の生保業界において、会社の破綻・吸収・合併・改称などを数々経験している。

 「最初の勤務先である千代田生命では、財務部門に長くいました。主軸の保険部門ではなかったわけですが、破綻の半年前というタイミングで経営企画部に異動。社長と行動を共にすることになりました。すでに『Xデーはいつか』という経営状況でしたので、Xデーの前後に行うべき会合や事務手続きの準備に追われる日々でした」

 同社は2000年に破綻、翌年AIGスター生命へと名前を変えて再生に踏み出す。その後、プルデンシャル・ファイナンシャルに買収されたことに伴い、ジブラルタ生命と統合。一方、2013年4月、AIG傘下の富士生命が、AIG富士生命に改称。その折に代表として白羽の矢が立ったのが、AIGスター生命の社長やジブラルタ生命の副会長を歴任した友野さんだった。そして2017年、FWDグループがAIG富士生命を買収。FWD富士生命として新たなスタートを切った。

 「当社には多様なバックグラウンドをもった人材が多く、その国籍も様々ですが、競争の激しい日本市場におけるビジネス体験の価値を共有しています。一方、日本の先を行くアジアのテクノロジーもグループの強みです。互いの特色を生かしながら成長を目指していきます」

 多様な人材を率いる上で、どのようなことを心がけているのか。友野社長は、アンドリュー・カーネギーの墓碑に刻まれている“己よりも優れたる者に働いてもらう方法を知る男ここに眠る”という言葉を座右の銘にしている。

 「己を客観視して不足を自覚し、それを補ってくれる優れた人材を見いだし、力を発揮してもらう。経験上、これがいちばん自分に向いている率い方かなと思っています」

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