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東浩紀「哲学の誤配」書評 人の本質「予想外」の生む豊かさ

評者: 長谷川逸子 / 朝⽇新聞掲載:2020年06月27日
哲学の誤配 著者: 出版社:ゲンロン ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784907188375
発売⽇: 2020/05/01
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哲学の誤配 [著]東浩紀

 『哲学の誤配』は、主に韓国語の翻訳者の安天(アンチョン)氏によるインタビューの形式で語られる。安天氏の明快な質問のおかげで、東氏の考えがわかりやすく伝わってくる。韓国と日本の政治のあり方の違いまで読み込むことができる。
 人間は、国家や理念といった大きな物語に仮託した主体を生きている一方で、意識の外部の環境に左右され、物質としての身体を持ち、快楽に導かれる「動物的主体」でもある。この二層のずれが、人間という存在の本質を規定している。それ故、人間のやることは常に予想外を引き起こし、変化し、社会のあり方に大きな影響を及ぼす。人間はこうした「誤配」によって生きている。誤配はある種の無責任さ、軽薄さ、不真面目さを積極的に捉えなおす戦略でもある。人間の豊かさとは、そこから生まれてくるのだという。
 政治や公共性の感覚も実はこの誤配の自由の中からしか生まれてこない。今や人々の生活までもがゲーム化されている。国家と資本に最適化され、画一化され、規格化され、均質なグローバル化が進む世界に対しては、複数の言語ゲームを観客と共に見直さなければならない。
 日本は辺境の地であり、西欧の二次創作であるという東氏の意識は、私の世代の建築家たちも共有してきた視点である。だからこそ、地域に根ざし、地域の人たちと意見交換し、生の声を聞きながら設計することを意識してきた。観客たちと対話する場をつくり出し、そこから新しい建築を生み出し続けてきた。
 私は、こういった中から、「ガランドウ」という場のあり方を構想することになった。ガランドウとは、いわば無駄な空間である。機能をできるだけ限定せず、さまざまな人たちがいろいろな使い方を見つけ出していく、自由で、未来に開かれた場である。今振り返ると、このガランドウとは、実は誤配を生み出す場だったかもしれない。
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 あずま・ひろき 1971年生まれ。批評家・作家。『ゲンロン0 観光客の哲学』『テーマパーク化する地球』など。