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焼き海苔放浪記 中沢けい

 横浜に住む叔母が盆暮れに焼き海苔(のり)を送ってくれた。うちの娘はこの焼き海苔が大好物だ。ところが、東日本大震災をさかいに叔母から焼き海苔が届かなくなった。事情は尋ねていないが、おそらく海苔を扱っていたお店がなくなったのではないかと想像される。

 魚屋さん、豆腐屋さん、乾物屋さん、豆屋さんなど、個人営業の商店が次々と店を閉め始めてからもう二十年くらいになる。後継ぎがいないからと、その理由を聞いていたが、大きな災害のたびに個人商店が消えて行く。海苔は湿気を嫌うから、同じ湿気を嫌うお茶を扱う店で売っていた。お茶と海苔を売る店が消えたのは東日本大震災後だ。

 焼き海苔大好物の娘はスーパーやデパートで焼き海苔をかたっぱしから買ってみたが納得がいかないと言う。日本橋へ行くと有名な海苔屋さんがあるから、そこで探してみてはどうかと勧めた。関東大震災までは、日本橋に魚河岸があったそうで、海苔や鰹節(かつおぶし)を扱う有名店が日本橋に残っている。関東大震災後、芝浦で一時仮営業していたこともある魚河岸が築地市場となったのは昭和十年のことで、私の母の生まれた年と同じだ。

 日本橋の有名海苔店の海苔をかたっぱしから買ってみたけど、どうもこれという海苔がなかったと娘がぼやいた。超高級な海苔ではなく、ふつうに美味(おい)しい海苔が欲しいと言う。毎日食べて飽きないふつうの焼き海苔が欲しいと。難しいことを言うものだ。築地場外を探せばそういう海苔もあるかもしれないと言ったら、じゃあ、お母さん、探してきてよとなった。

 叔母が住む平潟(ひらかた)湾や乙舳(おつとも)海岸あたりは海苔養殖の盛んな場所だった。昭和三九年の東京オリンピックの頃までは冬になると海苔粗朶(そだ)が林立した。高度成長期になると養殖の新技術が出て、木更津あたりで盛んになった。平潟湾や乙舳海岸の養殖は少なくなったが、海苔の仕入れが上手なお店が残っていたに違いない。叔母が送ってくれた海苔と同じような海苔は見つかるかしらと、築地場外に行くたびに見て歩いた。売っている海苔は佐賀産の海苔が目につく。で、あっちのお店、こっちのお店と焼き海苔を買って歩くうちに「そう、この海苔なの」と娘が納得する海苔を見つけた。ふつうに美味しい海苔である。やはり佐賀産だった。

 自粛要請の間は、築地場外に出かけて行くのも気が引けていた。焼き海苔を買うために久しぶりに築地場外へ出かけた。いつもの海苔屋さんに顔を出す。「お客さんがいないの」と言いながら、大歓迎してもらった。生醤油(きじょうゆ)をちょこっとつけて食べる焼き海苔は関東の味だ。大阪では味付け海苔が好まれる。=朝日新聞2020年6月27日掲載