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「絶望を希望に変える経済学」書評 困難な時代 事実の重要性説く

評者: 坂井豊貴 / 朝⽇新聞掲載:2020年07月04日
絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか 著者:アビジット・V・バナジー 出版社:日経BP日本経済新聞出版本部 ジャンル:経済

ISBN: 9784532358532
発売⽇: 2020/05/13
サイズ: 20cm/523p

絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか [著]アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ

 貧しい国の人が高い賃金を得るために移民となる。このもっともらしい主張は間違っている。実のところ国家間の賃金格差は、移民になる決意に、ほとんど影響がない。戦争や内戦といった暴力が日常を破壊したとき、人は故郷を出る。実際、イラクやシリアからは多くの人が出て行ったが、いずれも最貧国とはほど遠い。そもそも人は、国内で都市部と農村部の賃金格差が大きいときでも、そう易々(やすやす)と住む街を変えない。
 だがもっともらしい主張は、ときに世の中で力をもつ。政策に影響を与え、移民の排斥がなされもする。移民が受入国の生活水準を下げることの、信頼に足る証拠はなくともである。それに対し著者らは事実を調べあげる。人間は、人間社会はどうなっているのかを調査する。著者らは昨年ノーベル経済学賞を受賞した開発経済学の研究者だ。デュフロについては最年少の受賞。昨今、経済学では事実を調べる手法の進展が目覚ましく、両名はその先導者である。
 著者らは、富裕国が直面している多くの問題が、途上国での問題と「気味が悪いほどよく似ている」と指摘する。例えば拡大する不平等。対処の一案としては万人に給付するベーシック・インカムをあげる。途上国での現金給付の調査によると、人は生活の心配がなくなると、仕事の質を上げたり、新しいスキルを身に付けたりする。傾向として、人は現金が給付されても、仕事を怠けるわけではないのだ。金をもらうと怠惰になるという安直な人間観を、著者らは事実の調査で斥(しりぞ)ける。
 本書の原題は「困難な時代のためのよき経済学」。この原題は、ディケンズの小説「困難な時代」を想起させる。その小説では、夢や空想が否定され、事実だけが重視される状況が描かれていた。一方、本書は悪夢と妄想がはびこる時代に、事実の重要性を説く。そのための「よき経済学」を提示する。
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A.V.Banerjee 1961年、インド生まれ。▽E.Duflo 1972年、フランス生まれ。両者の共著に『貧乏人の経済学』。