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カール・シュミット「政治的なるものの概念」 近代の逆説直視「敵か友か」

Carl Schmitt(1888~1985)。ドイツの法学者・政治学者 写真:Ullstein bild/アフロ

大澤真幸が読む

 「政治に固有な区別は、敵、友(清水幾太郎訳では『味方』)という区別にある」。本書の中心命題である。本書は、まず一九二七年にベルサイユ体制(第一次大戦後の国際秩序)への批判の意味もこめて発表され、一九三二年に大幅に改訂された上であらためて出版された。

 シュミットによれば、政治の最も重要な任務は誰が友で誰が敵かを決断することにある。敵は、物理的手段を用いて殺害する可能性もある他者のことなので、この政治概念には不穏な含みがある。この概念から普通に連想されるのは、君主や主人が臣下に「敵を倒せ!」等と命令している姿だろう。するとシュミットの政治観は前近代的で保守的なものだと思いたくなる。しかしそうではない。

 まったく逆に、この政治概念は、近代性ということをまじめに純粋に受け取ったときにこそ導かれるアイデアである。近代性とは、誰もが受け入れる(内容豊かな)普遍的な価値や善は存在しない、ということだ。全員に自明なものと見なされる善の観念や宗教的な規範はない。だから普遍的な善や正義が存在しているかのように仮定し、それらによって政治行動や戦争を正当化することは許されない。

 では近代の条件のもとで、政治はどうすべきなのか。暴力的とも見える仕方で秩序を押し付けるほかない。それこそが、友と敵の区別だ。「この命令を受け入れる者が友である」とする決然たる意志が必要になる。

 シュミットが反対したのは、中立的な枠組みを与えておけば話し合いで秩序が生まれるとか、利害の調整だけで秩序が得られる、といった発想だ。内実をもった普遍的価値が前提にできないとき、こうした方法では現実的な秩序は導出できない。

 シュミットは、近代的な政治の危険な逆説を直視した。法の支配は暴力的なものに依存している、と。シュミット自身、一時はナチスに近づき、この危うさを身を以(もっ)て示したかっこうだ。しかしこの逆説から逃げたら、政治は不可能だ。=朝日新聞2020年7月4日掲載