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#3 往来堂(東京) 本好きの集まる谷根千で、地味に生活に欠かせないものを売る

文・写真:朴順梨

 自分はどんな本屋が好きなのかと、ある時ふと考えた。すると「棚が探しやすくあまり広くなく(広い書店はそれはそれで楽しいけれど、気合いを入れないと全てを見きれない)、「あ、これ欲しかった」だけでなく「へえ、こんな本があるんだ」と思える店」という、当たり前すぎる答えが自分の中から返ってきた。

 東京都文京区の往来堂書店は、その条件にマッチする書店のひとつだと思っている。

マンション1階にある、往来堂書店。

千駄木の街で四半世紀

 東京メトロ千代田線の千駄木駅から根津方面に5分ほど歩くと、時計店の並びに「鬼滅 あり〼」と書かれた看板が目に入る。約20坪の店内は日本全国、どこにでもありそうな町の本屋さんという風情だ。地元の方と思われるお客さんが3人ほどいて、皆熱心に棚を眺めている。

 こんにちはと声をかけると、店長の笈入建志(おいり・けんじ)さんが笑顔で迎えてくれた。

アルバイトの方が書いている、入口前のポップ。

 往来堂書店がオープンしたのは1996年。笈入さんは94年に早稲田大学を卒業後、都内の大型書店に6年間勤めたあとに往来堂書店の店長となった。千駄木が地元というわけではなく、以前の店長が辞める際に、店長募集の広告を見たのがきっかけだ。

 「その時勤めていた書店の仕事も充実していましたが、ここの前の店長が『小さな本屋にも良いところがある」とアピールしていたのをずっと見ていまして。千駄木のことはよく知らなかったのですが、来てみたら本が好きな人が多い街で、良いところだなと思ったんです。最初の頃は何も知らなくて、納品に来た地域雑誌の『谷中・根津・千駄木』の方に『何も知らんのね」と言われるところからのスタートでした(笑)」

最近読んだ中で印象に残っているのは、パンデミックを描いた朱戸アオのマンガ『リウーを待ちながら』と語る笈入建志さん。

 笈入さんは千葉生まれの青山育ち。大学時代はトラディショナルジャズを研究するサークルで、日夜音出しに励んでいたそうだ。

 「大学を卒業して働かなきゃと思った時に、自分が想像のつく仕事はなんだろうと考えて、書店に就職しました。文学青年ではなかったけれど、本屋が好きで。今思い返すと学生時代は、高田馬場の芳林堂や早稲田のあゆみBOOKS、当時住んでいた町の駅前書店などで時間を過ごしていましたね」

 そして2018年に前の経営者から権利を買い取り、笈入さんがオーナーとなった。現在は笈入さん夫妻とアルバイト3人の計5人で、店を切り盛りしている。

今必要な人のために、取次まで本を取りに行く

 文庫や新書以外は取次からの配本を扱わず、タイトルと著者、添えられた短い説明文を見て、どの本を仕入れるか決めている。ただ個人の好き嫌いではなく、お客さんの好きを尊重しているという。書棚のラインナップはその結果の産物というわけだが、自己啓発書やいわゆる「ヘイト本」のたぐいは見当たらない。

 「特にヘイト本は、お客さんからの注文や問い合わせもないので、読んでいる人って本当にいるの? という感じです。よく『ヘイト本は売れるから作るんだ』って言葉を耳にしますけど、自分は疑問に思いますね」

入口すぐのフェアコーナーは、毎月テーマが替わる。

 代わりに売れているのは、自然科学系の本だ。それって東大が近いから、というワケではないらしいが、NHKテキストや子ども向けの学習ドリルもよく売れている。とくに学習ドリルは緊急事態宣言以降、家庭学習のために買っていく子どもやその親がぐんと増えた。4月、5月と店を開け続けていたことから、これまでなじみのなかったご近所さんがやってくるようになったので、笈入さんもスタッフも「かなり忙しい時間を過ごした」と語った。

 「でも本を読む以外趣味がないし、お客さんが来ない方が不安なので、とくに休みたいと思いませんでした。学校が再開した6月以降はドリルの売り上げは落ち着きましたが、必要とされる本とはどういうものなのかを考えるきっかけになりましたね」

 またたとえば『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)の脇に、フェミニズムをテーマにした新旧の本が並ぶなど、ヒット作に興味を持ち「●●について学びたいのだけど、どの本が良いのだろう?」という思った人がさらに深く追求していけるような書棚の構成になっている。大型店ならまだしも、広さ20坪で在庫は雑誌・コミックも含めて約1万冊の規模の書店では、ちょっと珍しいのではないかと思った。

 ふと棚に目をやると「※棚にない本は速攻でお取り寄せします」と書かれたテープが貼ってあった。なんでも神保町にある取次に直接取りに行くので、在庫があればその日の夕方か翌朝には入荷するそうだ。

 「これは前の店長が書いたものをそのまま使ってるんです。『この本が明日必要だ』ってお客さんもいるので、あれば即仕入れるようにしています」

笈入さんいわく「お取り寄せは速攻でできないこともあるけれど、気概です!」とのこと。

 そんな話を笈入さんから聞いていると、1人の男性が、私たちが立っている書棚を眺めたがっているのに気づいた。少し身をずらして会話を続けながら彼を見ると、ページをめくっては棚に戻す動作を繰り返している。この本も気になる、でもあっちも気になる。表情からそんな思いが読み取れた。

 私自身も客としてここに来た時、彼のようにあちこちの棚を眺めては手に取り、中を見て、巻末金額を何度もチェックする、ということを繰り返した。買いたい本は何冊もあるけれど、手持ちのお金で買えるものはどれかと真剣に悩んでいたのだ。だから「気持ちわかるよ」と、頭の中で勝手に共感してしまった。

 入口すぐのところに置かれた『文藝春秋』には、笈入さんが自ら書いたポップが添えられていた。「巻頭随筆に寄稿したので買って下さい」とさりげなくアピールしていたが、笈入さんは現在、文化通信社の星野渉さんとブックディレクターで編集者の幅允孝さんとともに、母校で書店文化論の講義を担当している。そのかつての教え子が、寄稿を依頼してきたのだそうだ。

「デカメロン」は伝説ではなく、今を生きていた!

 笈入さんは話しながらも、手は書棚の整理に余念がない。崩れた面陳を整え、隙間が空いたスペースにすかさず本を差し込む。

 「きれいじゃないから気になっちゃって」

 とはにかんだが、絶え間なく動く手は、まるで意思を持っているかに見えた。

 そんな中、文庫コーナーの一角がスカッと抜けたままになっていた。ここ置かれていたプルーストの『失われた時を求めて』が最近、ごっそり売れていったのだと教えてくれた。なんでも、2人の男性がそれぞれ読んでは続巻を求めに来るという。

 コロナ禍で自粛を余儀なくされたのを機に、未読の長編に挑戦してみたい気持ちは十分理解できる。そして『失われた時を求めて』だけではなく、ボッカチオの『デカメロン』もこの4月から5月にかけて売れたと笈入さんは言う。タイトルこそ伝説的に知られているものの、読んだことがあるという人に意外と出会わないこの本を、何人かが買っていったそうだ。

 『デカメロン』はペストを逃れて引きこもった複数名の男女が、日ごとにテーマを決めて退屈しのぎのトークをするという、現代ならZoomで繰り広げられている光景とリンクする話だ。まさにデカメロンは伝説にあらず。どっこい千駄木では今を生きているのだ。

プルーストの途中巻が抜けているのは、読む人がいるから。しかも1人ではない。

 「本は旅行やお祭りみたいな派手な引力はなくて、どちらかというと控えめなものだと思うんです。でもどこにも出かけられなくなったことで、地味な引力に惹きつけられたという人は多くいると思います。そして本の中にも短期的にヒットする派手なものと、派手さはないけれど読み継がれているものがある。この両方が揃っているのが、本の魅力だと思います」

 誰かがお会計をして去っていくと、別の誰かが店に入ってくる。年齢も性別もバラバラだけど、みんな真剣に書棚を眺め、ぐるぐると店内を歩き廻っては欲しい本を選んでいる。派手さはないけれど生活に欠かせない。そんな本屋がある街の住民を見ていて、ちょっとうらやましくなった。

売れ筋

●『リウーを待ちながら』朱戸アオ(講談社) コロナ禍とリンクするアウトブレイクもの。3巻完結という短さもいい。
●『道行きや』伊藤比呂美(新潮社) 詩人伊藤比呂美の最新随筆。結婚、子育て、移住、介護、配偶者の看取りを終えて日本に戻った彼女は今何を思うのか? 現在進行形の女の一生。凄みさえ感じさせる、そして美しい文章で綴ります。読んでいる間の幸福感と言ったら。
●『古くてあたらしい仕事』嶋田潤一郎(新潮社)