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「ランスへの帰郷」書評 人生と思想をめぐる痛切な省察

評者: 宇野重規 / 朝⽇新聞掲載:2020年07月11日
ランスへの帰郷 著者:塚原史 出版社:みすず書房 ジャンル:伝記

ISBN: 9784622088974
発売⽇: 2020/05/07
サイズ: 20cm/257p

ランスへの帰郷 [著]ディディエ・エリボン

 美しい装丁(大倉真一郎)の本である。母親と手をつなぐ小さな子どもの後ろ姿が写る白黒写真は、過去の失われた記憶を想起させる。パリで活躍する知識人が、振り払った労働者階級の家族、そしてゲイとしての自らの人生に向き合うために、故郷のランスに戻り、「自分がどこから来たのか」を考える。痛切で、透明感の漂う省察の書だ。
 著者のエリボンは『ミシェル・フーコー伝』などの著作で知られる。他にもレヴィ=ストロースやデュメジルなど、フランスの知の巨人たちと親しく交わり、これを社会学的に分析するスタイルで定評がある。本書もまた、サルトルとアロンにはじまり、同じく労働者階級の出身であり、親しみがあるがゆえに痛みを伴う批判の対象でもあるブルデューまで、戦後フランス思想の彩(あや)に満ちた紹介としても一級品である。
 しかし、本書を読んでまず感じるのが、戦後フランス地方都市の貧しい労働者階級の生活と、パリの知識人たちとの物理的・精神的な距離感である。その暮らしを恥じ、いわば家族を「見捨てた」著者が、罪責感ゆえに接触を避けてきた母親と再会し、父親が亡くなったことを知る。絶対的な貧困、アルコール、暴力、そして絶望感に満ちたその家族史に、さらにゲイとして差別され、痛めつけられてきた自分史が重なる。
 とはいえ本書を貫くのは、知識人の自己憐憫(れんびん)や自己正当化ではない。家族との安易な「和解」でもない。父母や兄弟をあらためて理解し、自分の思考を支配してきた枠組みと断絶することで、新たに自由を獲得しようとする著者の強い意志が印象的だ。
 ちなみに、かつて共産党を支持していた著者の家族たちは、今日では極右の国民戦線(現・国民連合)を支持している。その思いを単に批判するのでもなく、かといって同調するのでもない、洞察にみちた著者の考察も本書の読みどころの一つであろう。
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 Didier Eribon 1953年生まれ。社会学者、哲学者。レヴィ=ストロースとの共著に『遠近の回想』。