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浜田桂子さんの絵本「へいわってどんなこと?」 「あなたが生まれてきたことはすばらしい」と言い続けて

文:柿本礼子、写真:斉藤順子

戦争は「被害」じゃなくて「加害」なんだ

――2011年に刊行されて以来、20刷12万部のヒットとなった『へいわってどんなこと?』(童心社)。テレビや雑誌にも度々取り上げてられているこの絵本だが、タイトルだけ見ると少し身構える人もいるかもしれない。実はインタビューをする前、筆者もいつもと少し違う緊張感があった。ところが、アトリエ兼自宅の玄関で迎えてくれた作者、浜田桂子さんの雰囲気の穏やかさ、そして優美さに触れ、それまでの緊張が嘘のように溶けていった。

 この本は「日・中・韓平和絵本」シリーズとして作られました。前段として2004年、イラク戦争の自衛隊派遣への抗議として、絵本作家103人が参加して『世界中のこどもたちが103』(講談社)という本を作ったのです。以降、当時の首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の教科書記述削除などの問題が相次いで起きたため、絵本作家の田島征三さん、和歌山静子さん、田畑精一さんと私で、中国と韓国の絵本作家たちに手紙を書きました。そこで両国の絵本作家たちに受け入れられ、プロジェクトがスタートしました。

――2006年8月には日本の作家4人が韓国・ソウルを訪れ、2007年には中国の作家も交え中国・南京で会議をし、朝から晩まで絵本について意見を交わしあったという。昼は持ち寄ったダミー絵本をもとに激論を交わし、夜は宴会をして国境を超えた親交を深める。かけがえのない時間が浜田さんに与えた影響は大きかった。

 南京会議の際には、各国の出版社も決まり、編集者も同行していました。私たち日本の作家たちは「言い出しっぺなのだから、きちんと準備をしなければ」と事前合宿をして、各自ダミー本を作って行ったのですが、他の作家さんたちも皆、プロットを用意していましたね。以降、私自身、試作だけでも10冊以上書きなおしました。

南京でのホテルにて。夜一室に集まり語り明かした。誰かが歌えば、誰かが踊る。心を分かち合った仲間だからこそ、厳しい批評をしあうことができた

 打ち解けあい、本音で語り合えるようになったからこそ分かったことは沢山あります。ひとつは「戦争を“被害を受ける”ととらえている」という批判です。最初のプロットでは「へいわって せんそうする ひこうきが とんでこないこと」「そらから ばくだんが ふってこないこと」と受け身で描いていたんです。そこに大きな爆弾の広がる様子を描きました。それも「原爆に見える」と批判されたのです。

 最初はなぜ批判されるのか分からず、「ああ、私のことをまだ分かってくれていないのだ」と受け取っていたのですが、話し合う中で日本人は戦争を「被害者意識」として捉えているのだ、と気づきました。そして原爆は「(世界で)唯一の被爆国」という言葉で、ただでさえ少ない日本人の加害意識を払しょくしているのだ、ということも分かってきました。それが日本の植民地支配や武力侵略、慰安婦問題や徴用工問題について追及する声を弱めていると、そのように捉えられている側面もあるのです。

この見開きは、「優しくて、とても平和な様子が表現されている」と特に韓国の絵本作家に熱烈に支持された

 彼らとの話し合いの中で、「被害認識も戦争の実相を知る上で大事だけれども、本当に戦争を拒否するためには、加害意識を持つことが必要だ」と思うようになりました。被害認識は非常に危うくて、例えば、「家族が殺された、ごはんも食べられなくなった。だから戦争に立ち向かわなければ」と反転する可能性だってあるわけです。戦争には必ず、「正義のために戦う」という大義名分がつきます。その大義名分で、家では優しいお父さんが、ひとたび戦争になると、敵の子どもや女の人を殺したり、村に火を放ったりしてしまうのです。

 戦争という一つの狂気、その命令システムの中で、人間の持っている善なるもの、美しいものは全部押し殺して、殺さなければ殺されるという中で人間性がゆがめられる。――加害を意識するということは、個人の資質に関わらず、こうした状況下になると変わってしまうということを学ぶということです。その学びが、戦争そのものを拒否する力になると思いました。

 だから、決定稿では、「せんそうを しない」「ばくだんなんか おとさない」と端的に、力強く書きました。これは、私ひとりではできなかったことです。

ひとりという平和

 この絵本では、作家の田畑さんからの指摘も、とても大事でした。最初、私が作っていたプロットの中には、「へいわって ひとりぼっちにしないこと」という文があったんです。ひとりぼっちというのは、疎外とか仲間外れという意味で作った場面です。ところが田畑さんは「ひとりぼっちというのは、とても大事。浜田さんの意図もわかるけれども、戦争が始まるとひとりぼっちにしてくれないんだよ」っておっしゃる。「僕はそれを身をもって体験してきた」と。

 田畑さんは軍国少年として育ち、戦後どう生きるかに苦しまれたのです。それを聞いて私はハッとしたんですね。一人の意見とか、個というものがつぶされて、みんなと違うことをすると「おかしい」となり、「非国民」という言葉がかぶさってくる。みんなと一緒でないと攻撃される。それが戦争なのだと。

 もちろん仲間外れはよくないことですが、根本的な一人というものはしっかり持っていること、個人の尊厳が守られるということ。それが平和だと。それで、その場面をはずしました。

日・韓・中とも表紙のデザインは変えないということも、話し合って決めた

 昨年、香港版が出版されました。小さな出版社が熱意をもって出版してくれています。12月に初版3000部が出て、またすぐに3000部が増版されました。香港の人口を考えるとすごいことです。こうして熱心な伝え手によって広がっていく様を見るのは、本当に作り手冥利に尽きますね。今年7月、2020 Hong Kong Book Prize(香港図書賞)を受賞しました。香港では一番知られている賞で、ジャンルを問わない中国語出版物のなかから9点が選ばれ、絵本は1冊だけだったようです。

生まれてきたことは、すばらしい

――幼少時から絵本を作りたいと夢見る少女だったという浜田さん。絵本雑誌「キンダーブック」で初山滋、茂田井武、武井武雄などの絵本を見て育ち、高校生時代に日本橋丸善で開催された「世界の絵本」展で海外の優れた絵本を目の当たりにし、アートブックとしてのクオリティの高さに圧倒される。桑沢デザイン研究所を経て、日本を代表するグラフィックデザイナー・田中一光の事務所に勤める中でも、絵本作家への思いは変わらず持ち続けていた。

 田中一光先生の事務所は、一言で言えば「学校」のようでした。田中先生はアートディレクター(AD)という立場なので、音楽、演劇、ファッション……お仕事の範囲も幅広かったです。私がいた70年代っていうのは、グラフィックデザインというものが光り輝いていた時代で、デザイナーとかイラストレーターという響きが、今よりもはるかにブリリアントでした。

 三宅一生さんがNYで成功して田中先生のところにいらして、新しい事務所を借りに一緒に行かれたりして、どんどん世界のミヤケになっていく姿を、本当に素敵だなあと心躍らせながら見たものです。横尾忠則さんもいらしてね。一流とかカリスマと言われるクリエイターの方々は、皆さん非常に謙虚で、ご自分に厳しい方が多くて、「一流の人は才能とチャンスに恵まれただけの人ではないのだ、本当に努力の量がすごい」と、生の勉強をさせていただきました。貴重で、非常にインスパイアされた時間でした。

 助手としては5年いて、結婚して子供が生まれるタイミングで退職しました。先生は「いいじゃない、子供を連れてくればいいよ」なんておっしゃるの。「そんなことできません。先生、今日で失礼します」って、それからいち主婦になりました。

 赤ちゃんが生まれたら毎日スケッチしようなんて思っていたのですが、とんでもない(笑)! 寝顔を描こうと思ったのに、私が先に寝ちゃってスケッチブックが転がっていたりね。そんな中でも自分の出産経験は大きな転換点になりました。

 私は両親を10代で病気でなくしているんです。それでずいぶん寂しい思いをしました。でも自分が子どもを産んだ時に「ああ、命というのがつながっていくのだ」と、出産を通して、私は私自身が生まれてきたことの凄さに気が付きました。自分が生まれるまで、自分の親、その親、その親と命がつながっていて、どこも途切れていないのだ、と。それまで当たり前と思っていた自分の命を「これはすごいことだな」と感じたのです。

 若い頃に憧れていた絵本の世界はすごく精神的な表現でしたが、初めて自分で鉛筆書きで書いたのは、命がつながっていくこと、でした。赤ちゃんを父や母に見せたかった思いを込めて、自分のために描いたものです。それは引き出しの奥にしまっていたのですが、ある日友人の絵本作家が「福音館書店に色校正に行くからよかったら行かない?」と誘ってくれて、「何か本の形になっているものがあれば、持っておいで」って言ってくれたんです。私には当時、描いているものがそれしかなくて、とてもお見せできるものではないとは思ったのですが、せっかくの機会だからご意見をいただこうと思って。それがデビュー作の『あやちゃんのうまれたひ』です。見てくださった編集者が「赤ちゃんが生まれるという絵本は、あるようでないんですよ。大切なテーマですからがんばって絵本にしましょう」って。

 数年かけて出版された『あやちゃんのうまれたひ』は、出版直後から、たくさんの反響のお手紙がどんどん届きました。たくさんの読者のお手紙の中から、私は自分の生まれてきたことが周りの喜びになるとか、生まれてきたことがよかったと思える大切さとか、今につながる肯定感、生まれてきてよかったという、私の絵本作りのベースになっていくことを、読者のお手紙から学ぶことになります。『へいわって どんなこと?』も根底のメッセージは同じことで、あなたが生まれてきてよかった、ということなんです。

 今は『まよなかかいぎ』『るすばんかいぎ』の集大成になる『おめでとうかいぎ』を作っています。『まよなかかいぎ』は小学校に絵本のお話に行ったとき、3年生の生徒さんから「浜田さんは、どうして家族の話が多いんですか? 私はお気に入りの文房具が主人公の絵本が読みたいです」と言われたことがきっかけで作った絵本です。子どもが使っている文房具や、身に着けるものは、親も先生も知らない、その子の個人的な思いをいちばん身近で受け止めているんだ、と思いをはせて、どんどんお話が膨らみました。新作は、主人公のゆうきくんが幼稚園を卒園して小学校に入学するまでを、通園バッグたちが励ましながら送り出すお話です。初めての人生の区切りを「おめでとう」と、そっと後押しできるといいなと思っています。