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東山彰良のTurn! Turn! Turn! #16 西新商店街 青春の街に諸行無常の響き

文:東山彰良 写真:河合真人(福岡・エルボラーチョ・カルボン西新店で)

 ガキの時分、私たちにとって盛り場といえば、これはもう西新商店街しかなかった。私のガキの時分というのは、かれこれ40年ほど前のことである。

 大事なことは、ほとんどすべてここで起こった。インベーダーゲームが流行していた頃には、ワンゲーム10円でできるゲーム屋が数軒あった。小学5年生にあがったまさに初日に、私は生意気な態度が祟(たた)って担任から数十発のビンタを食らって大泣きした。むしゃくしゃしていたので、放課後に小銭を握り締めて10円インベーダーをやりに行った。店内は真っ暗で、くわえ煙草(たばこ)の男たちがハイスコアを出そうと躍起になっていた。そのような店ではもめ事も多く、カツアゲに遭っただのぶん殴られただのという話をよく耳にしていたが、その日に関していえば、私にちょっかいを出そうという命知らずはいなかった……。

様々な店舗が並ぶ西新商店街。小雨が降る中、店を探してか女性が一人、道の真ん中にたたずんでいた=福岡市早良区

 そんなわけで今月は、福岡市は早良区の西新商店街である。

 商店街のなにが面白い、どこも似たり寄ったりじゃないかと言うことなかれ。まあ、たしかに似たり寄ったりなのだが、作家の筆力をもってすれば、なんの変哲もない商店街を一枝独秀の特別な場所に仕立てることなどお茶の子さいさいである。梅雨の長雨は容赦がないし、コロナのせいで遠出もままならない。そんなこんなで、低く垂れ込めた雨雲の下、私は傘を差して歩き慣れた商店街へと繰り出すことにしたのだった。

 正味の話、どこへ行くにもこの商店街のアスファルトを踏んで行ったものだ。商店街から自転車で5分も走れば、埋め立てられるまえの百道浜に着いた。そこには現西武ライオンズの前身、クラウンライターライオンズの2軍寮があって、私はよく友達とのこのこ出かけては一生無名で終わった選手たちからボールやバットをもらった。

 それで思い出した。ライオンズのファンクラブに入ると、無料で平和台球場の外野席へ入ることができたのだ。いつも負け試合ばかり見せられたけど、あるとき友達が、ブルペンの上のフェンスを伝って行けば内野席に忍びこめると言い出した。二の足を踏む私たちを後目(しりめ)に、彼は薄笑いを浮かべてフェンスに取り付いた。が、どれほども行かないうちにファウルボールが飛んできて、背中を直撃してしまった。ドゴッという鈍い音が響き渡り、彼は蠅(はえ)のようにブルペンへ落っこちていった。その一部始終を見ていた私たちは、やっぱり悪いことはするもんじゃないなと思った。

かつて所属していた美術部の部室へ。当時のままの姿を残していた

 高校、大学、大学院と、西新にある私立の一貫校に通ったので、やはり毎日のように商店街をうろちょろしていた。思えばスリリングな街で、不良少年にからまれてビビりまくったこともあるし、路地裏で1対3の殴り合いをしたことだってある。大学のとき、商店街で2人連れの不良を見かけた。私はすぐに彼らが中学のときの同級生だとわかったが、彼らはそうではなかった。親しみをこめた私のまっすぐな視線を、彼らはちがうふうに解釈した。2人は早口でなにかをささやき合い、目を吊(つ)り上げて近づいてきた。

 「なん怖い顔しとうとや」。私はそう言った。「俺たい、俺」

 彼らはぽかんとし、目をすがめ、私を認めたあとはみんなであはあは笑った。

 大学院を出て、筑後のほうへ引っ越してからも、西新との関係は切れなかった。週に1回は帰ってきた。母校に中国語非常勤講師として雇ってもらったのである。あるとき、授業で仲良くなった空手部の学生と飲みに行った。彼は恋も学業もアルバイトも、なにもかも裏目続きの人生を嘆いていた。そんな彼になにを言ったか、私はまるで憶(おぼ)えちゃいない。私にしてみれば、若者の悩みなど酒の肴(さかな)でしかなかった。しかしなにを勘違いしたのか、空手部の彼は私を地下鉄のホームまで見送り、電車が動き出すと漫画のような太い涙を流して「フレー、フレー、東山!」と叫んだ。あまつさえ万歳三唱までする始末だった。私は穴があったら入りたいのと同時に、もっと親身になって話を聞いてやればよかったと後悔した。

西南学院大学内のチャペルを訪れた東山さん

 一曲新詞酒一杯
 去年天氣舊亭臺
 夕陽西下幾時回
 無可奈何花落去
 似曽相識燕歸来
 小園香徑獨徘徊

 北宋の詩人、晏殊(あんしゅ)が諸行無常について詠んだ詩である。

 〈新しい詩に一杯の美酒/去年の今頃もこの古びた亭(あずまや)は今のままだ/沈む夕陽(ゆうひ)は何時また昇るのか/花が散るのは如何(いかん)ともしがたく/帰ってくる燕(つばめ)はまるで旧知のよう/小さな庭園の花香る径(こみち)を私は独り彷徨(さまよ)う〉

 去年の燕と今年の燕はちがう燕だ。それでも詩人の目には、それがかつて見知った燕のように映る。その気持ちはよくわかる。詩人はちょっぴりセンチメンタルな気分に浸っていたのだ。

 降りしきる雨のなかをあてどなく歩き回りながら、西新はもう私が知っている街ではないと思った。不良たちや弱小球団への忠誠心やバンカラな大学生は朝露のように消え、オシャレでよそよそしい店が押し合いへし合いしている。

 なのに、そこはやっぱり私がよく知っている場所なのだ。よく見てみれば、古びた亭だってぽつぽつ残っている。商店街をほっつき歩く私は、義理堅い燕にでもなってしまったような気分だ。私自身はちっとも変わらないのに、誰ひとりそうとは気づかない。いや、私だって変わった。40年経っても変わらない者など、いるはずがない。

 ああ、詩人がいてくれてよかった!

 詩人だけが私を理解してくれる。このセンチメンタリズムをすくい上げてくれる。時にはそんな思い上がりに慰められる雨の日もあるのだ。=朝日新聞2020年7月18日掲載