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深緑野分さんが堪能し続けた夏の日々 甘いにおいと凜とした風の記憶

 若い諸君。以前の夏(20年くらい前)はこんなに暑くなかったんですよ。マジで。30度超えもそこまで多くなかったし、8月でも午前中は涼しかった。なので灼熱地獄の夏を生きる若い人よ、大人が語る夏の憧憬には、大いに「恵まれてた時代だったんだねハイハイ」と言ってほしい。気候がもう昔とは違うので、やせ我慢大会をいまだ開催中の大人はそろそろ大会終了し、炎天下なのに子どもをむやみに外へ出さないでください。クーラーつける!水分塩分をとる!無理しない、絶対!

 ……以上を踏まえた上で、私も夏が大好きだった、という話をします。もう失われてしまったかもしれない、居心地の良かった頃の夏の話です。

 夏の朝が好きだった。夏休みに入ると毎朝早起きして、同じマンションの子どもたちと連れだって小学校の校庭へ行き、ラジオ体操をやる。皆勤賞だとスタンプカードと引き換えにマクドナルドのポテトがもらえた。夏至より日の出は遅く、早朝はまだ空はうっすら紫色を帯び、朝日がもたらす凜とした金色の筋が走って、眠たげな雲をきりりと照らす。この時間帯に見る友達の顔や手足はいつもより青白く、影が濃く、まるで家々の間から現れた小鬼みたいだ。ひんやりと澄んだ空気は夏の朝独特の、青いような甘いようなにおいがする。ラジオ体操が終わり、校庭の花壇のオシロイバナで遊んでいる頃には、空の色ははっきりとした水色に変わって、蝉の声が聞こえはじめる。透明度の高い幻想を打ち破って立ち上がってくる夏の昼の強さ。

 いったん家に帰って朝ご飯を食べてから少し宿題をやって、プール道具を手にまた小学校に戻る。日焼けも気にせず、ひまわりとへちまの花壇のふちをビーチサンダルの足で歩いて、順番を待つ。鼻を刺激する塩素のにおい、歓声、プールサイドは熱くて素足がやけどしそう。なぜプールは底を水色に塗ってあるんだろう。陸上では活発な私だけれど、水中ではゆっくり動く。ひたすら潜る。水は海も川もプールも好きだけど、速く泳ぐのは苦手だし、私はただ水底から水面を見上げ、息の続く限りきらきらゆらゆら輝く波と光を眺めていたい。つま先で底を蹴り、水面から顔を出して、跳ねて形を変える水しぶきを見つめる。水を指で掻き、太ももに触れる水流のもやもやした感覚を、とろろこぶみたいだなと思う。プールから上がると体が鉛のように重く、気怠い。家に帰ると、母が「プールの水を飲んだのだから」と言って自家製の梅エキスをお湯で割って飲ませてくる。梅がプールの水を飲んだ胃に効くのかどうかは、検証したことがないので真偽のほどはわからない。

 食べるのはだいたいそうめん、すいか、とうもろこし、揚げ茄子、鮮やかなトマトと夏野菜カレー。そうめんのつゆに入っていた干し椎茸が嫌いだったのに、いつのまにか大好きになっていた。

 生まれてから19歳まで暮らした出身地の厚木は祭祀が盛んだった。今はずいぶん少なくなったようだけれど、当時は数ヶ月おきに何らかのお祭りをやっていたし、同級生の中にはお父さんが屋台を商ってる子がいたりもした。8月の花火大会、鮎まつりは、相模川沿いから河原、駅前までの数キロメートルを屋台が切れ目なく軒をつらね、どこもかしこもソースのにおい、綿菓子の甘いにおい、チョコレートのにおいで充満していた。肉を焼く煙が立ち上り、黄色っぽい電球がジリジリうなりながら光る。タオルを首やら頭やらに巻いたおっちゃんは滝のように汗をかいている。それはそれはものすごい人出だったけれど、河原までの道を歩きながら屋台をまわって、ヨーヨー釣りとスーパーボールすくいに夢中になっていた。決まって食べるのはチョコバナナ、すもも飴、たこ焼きと広島風お好み焼き。余裕があればジャガバターも。かき氷は今も昔もブルーハワイ派である。屋台がとにかく多いので、どの屋台でたこ焼きを買うか吟味する。適当に買ってしまうと、たこがすごく小さいとか、ハズレを引くこともあるのだ。

 厚木の打ち上げ花火はド派手で、スターマインの連発にもう煙なのか花火なのかわからない時もある。今年は新型コロナウイルスのために中止になってしまったが、昨年は姉家族と一緒に見に行った。相変わらず派手派手で、特に出資企業が大盤振る舞いしてくれると、火薬の煙たなびく河原からやんやと歓声がわき、変わらないなあとしみじみした。

 町内の盆踊り。幼なじみたちと連れだって公園へ行く。児童館で着る法被とお神輿、お賽銭お願いしますのかけ声。挙げればきりがない夏祭りの思い出。

 夏の記憶はめまぐるしく私の頭のなかで渦巻き、今ちょうど同じ時期、小学生時代を過ごしているはずのふたりの姪の目には何が映っていて、何を感じているのだろうと思う。

 以前とは違う夏。気候も気温も違うし、そもそも大人になった私は、もう以前の感受性を持っていないんじゃないかと疑ってしまう。

 けれども、去年のことである。キアゲハの幼虫が、たまたまうちのベランダで孵化したので、無農薬のパセリやにんじんの葉を与えて成長を見守っていた。はじめてのサナギがいよいよ羽化しようという時、七月の終わりの早朝、私はまたあのしびれるように甘い夏のにおいを、あの頃と何も変わらない凜とした風を感じた。心の奥がむずむずするような気持ちがはち切れそうになった頃、完全に翅を乾かしたキアゲハはベランダの虫かごから空へ飛び立った。紫色から鮮やかな水色へ変わる朝の夏空を、生まれたての蝶が弾むように舞い、新しい水と花を求めに行く。

 たぶんきっと私は、夏が大好きなままなのだ。