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宮内悠介さん「黄色い夜」インタビュー 「人類普遍の病」ギャンブルの深奥に迫る

浅野剛氏撮影

 世界のどこかにカジノだけで成り立つ国があったら――。作家、宮内悠介さんの新刊『黄色い夜』(集英社)は、そんな空想を出発点に現代社会の暗部をあぶり出す。芥川賞と直木賞の候補に入ること通算5回、旅人として過去に訪れた国は三十数カ国。ジャンルも国境も越える想像力で、ギャンブルの深奥に迫る。

 舞台は、東アフリカのエチオピア国境付近にある架空のE国。石油は出ず、ろくに作物も育たない国の産業は、専らカジノだ。バベルの塔を思わせる巨大な螺旋(らせん)状の塔がそびえ立ち、上の階へ行くほど賭け金が高騰。最上階では国王が自らディーラーとなり、勝てば国を乗っ取ることも夢ではない。

 少年マンガのような設定が浮かんだのは、デビュー前の2005年。転職のはざまにアラビア半島の南にあるイエメンから貨物船でアフリカ大陸へと渡る旅をしたときだった。仕事が忙しくて小説が書けず、「もしかしたら自分は世に出られないかもしれない」と感じ始めたころだったという。

 詩人のアルチュール・ランボーが筆を折った後の足跡をたどる感傷的な旅だったが、夜に宿で書き始めた短編が本作の元になった。小説であれマンガであれ、「ギャンブルものは、おのずと小さな共同体のなかの世界にとどまりがち。そこに社会的なビジョンを加えられないか」と考えた。

 10年に「盤上の夜」で創元SF短編賞の選考委員特別賞を受けてデビューしてから今年で10年となるのを機に、原点回帰のつもりで発表したという。タイトルも「夜」つながりだ。

 中学時代に祖母からマージャンを教わり、成人してのちプロ試験を受けたことも。勤め人だったころの社員旅行で、カジノの本場ラスベガスを訪れたこともある。そんな自身の体験も踏まえ、ギャンブルは「人類普遍の病」だという。

 「我が身を捨てる自傷癖に近い何かがあり、自我を拡大させて神に近づこうとするような厄介な側面もある。アンビバレントで不思議な話ですけれども、共通するのは、自分を自分でない何かにしたいという欲求ではないかと思います」

 それは、運を天に任せるといった単純なものではない。「私自身の体験でいうと、たとえばマージャンを打っていて、たまに異様なまでに直感が働いて、ほとんどの人の手が読めたりするようなケースがある。その万能感みたいなものは、あたかも自分が神に近づいたかのような錯覚を抱かせてくれる」。作中で描かれるバベルの塔に似たタワーは、その戯画でもある。

 物語のなかでカジノの攻略を目指す「ルイ」こと日本人の龍一は、とある理想国家を胸に抱く。キーワードとなるのは狂気だ。

 「現代社会において、狂気は共同体の側が覆い隠そうとしているもの」と宮内さん。だが、「私たちがこの難しい社会を生きていく原動力の背景にも、じつは狂気がある」。覆い隠すことで「社会的な透明人間になってしまう人もきっといるし、主人公のような考えに至ってしまう人も必ずいるはずで、そこには何らかの抑圧がある」。

 現実の日本でも、カジノを含む統合型リゾート(IR)事業が進む。産業としての賭博をどう見るのか。

 「別にやればよいのではと思うんですけれども、ただ一つ懸念がありまして、それはカジノは文化だということです」。洗練された空間のなかで、いかにしてお客に気持ちよく負けてもらうか。ディーラーにも素質が求められる、と言う。

 「カジノが持つ文化の側面が、本当にきっちり輸入できるのかどうか。IR事業のカジノも、それがただの賭場で終わってしまうならば、さすがにちょっと問題かなと。そうならないことを願っています」(山崎聡)=朝日新聞2020年8月26日掲載