1. HOME
  2. トピック
  3. 解散した老舗出版社「創文社」の学術書、他社が継承 ハイデッガー→東大出版会、神学大全→講談社など

解散した老舗出版社「創文社」の学術書、他社が継承 ハイデッガー→東大出版会、神学大全→講談社など

創文社が刊行したトマス・アクィナス「神学大全」の第1巻。左が創文社版の原本、右が講談社が刊行するプリントオンデマンド版=講談社提供

 6月に解散した老舗の学術書専門出版社「創文社」の書籍を、講談社や東京大学出版会などが引き継ぐことになった。東大出版会は刊行途中だった「ハイデッガー全集」を引き取り、講談社は千数百冊を対象に、注文に応じて印刷する「プリントオンデマンド」(POD)の準備を進める。なくなる出版社の本を他社がまとまった形で引き継ぐ異例の試みだ。

 創文社は1951年創業。「ハイデッガー全集」やトマス・アクィナス「神学大全」をはじめ、哲学や歴史、政治などの専門書で知られる。70年近くの間に約1800冊を世に出した。

 しかし、事業は近年厳しさを増していた。元代表取締役の久保井正顕さんによると、少部数で高額な学術書は大学や地方自治体の図書館による購入が大きな割合を占めていたが、大学予算や研究費が削られ、公共図書館も学術書を入れなくなってきたという。2016年には売り上げが10年前の半分になり、会社をたたむことを決断。研究者や出版関係者の間では、直後から同社の手がけた本の行く末に注目が集まった。

 懸案の一つだったのは、85年から刊行中の「ハイデッガー全集」(全103巻)の扱いだ。本国ドイツでも刊行が続いていて、創文社が刊行したのは予定された巻数の半分ほど。編者などを通じて受け入れ先を探す中、手を挙げたのが東大出版会だった。

「ハイデッガー全集」創文社版第2巻「有と時」(左)とドイツ語原本=東京大学出版会提供

 東大出版会の後藤健介さんは「哲学や政治哲学などでは『ここから本が出せれば一人前』という出版社だった。廃業には読者としてショックを受けた」と話す。「全集はハイデガー研究の要の一つで、学問の世界ではインフラに近い」といい、哲学のみならず様々な領域に影響を与えたハイデガーの基礎文献として、採算も取れると判断した。年2~3巻をめどに刊行を目指す。既刊本は注文に応じPOD版で販売する。

 講談社は、創文社の刊行した書籍のうち、他の版元に移っていたり権利者が不明だったりするものなどを除き、全書籍を対象にPODの準備を進める。刊行開始から52年をかけて全45巻を日本語訳した「神学大全」をはじめ、権利処理が完了したものはすべて刊行する予定。「創文社POD叢書」(仮称)などの形でレーベルに社名を残すという。より広い読者が見込めるタイトルは、講談社学術文庫で刊行する可能性もある。

 講談社学術図書の園部雅一編集長は、創文社の刊行物全体として引き受けることに意味を強調する。「学術書の王道を行くラインナップ。60~80年代、日本人は学ぶことに貪欲(どんよく)だったし、新しいものが海外からどんどん入ってきた。その熱気が感じられる。創文社が作った一つの文化があった。その全貌(ぜんぼう)を示したい」

 技術の進歩も後押しした。講談社が創文社側に話を持ちかけたのは、今年2月。通常の商業出版だと、初版は少なくても数百から1千部は刷らなければ採算が取れないのが一般的だった。しかし、これまでPODを手がける中で、値段などによっては10冊程度から採算が取れるめどが立ったことが大きいという。

 出版不況は長引き、コロナ禍も重なる。事業をたたむ出版社は今後も相次ぐかもしれない。価値ある書籍を残すために、同様の取り組みが続く可能性はあると園部編集長はみる。創文社の久保井さんは「会社はなくなっても本は残って欲しい」と願ってきた。「いい本でも、絶版だと探し回らないといけない。手に取りやすい形で残っていくのはありがたい」(滝沢文那)=朝日新聞2020年8月26日掲載