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『「世界文学」はつくられる』秋草俊一郎さんインタビュー 定義あいまい、国ごと異なる解釈に迫る

秋草俊一郎・日本大学准教授

 「世界文学」とは何か。世界文学全集を思い浮かべる人もいれば、国際的な文学賞を受けた作品をイメージする人もいるだろう。近年は出版業界でキャッチフレーズにもなりつつあるが、「実は定義があいまいな語」。秋草俊一郎・日本大学准教授(比較文学)の新刊『「世界文学」はつくられる』(東京大学出版会)は、この言葉が国によってどう解釈されていったかをラジカルに解き明かす。

 「世界文学」はゲーテの造語“Weltliteratur”を起源とする。同書はまず、この概念が英仏ではなく、「他者への意識が絶え間なく働く」文化的周縁国ドイツで生まれたことに注目。さらに周縁に位置する国々でどう受容されていったかを検証していく。

 日本では明治時代、国民文学を生み出す際に参照すべき「理想の文学」として導入された。このとき持ち込まれた「世界文学=西洋文学」という暗黙の公式は今日まで続く。戦後は大学進学率が上昇して教養主義が開花し、新潮社や河出書房新社などの世界文学全集がヒット。本を売るためのキャッチコピーとなっていった。

 アメリカでは戦後、大学の教養科目の教材として世界の文学を収集したのが起こりだ。白人男性作家が中心だったリストは、ジェンダー意識の高まりやポスト植民地主義に影響され徐々に多様化したが、その「多様性」を一部の女性やマイノリティー作家に担わせることによる困難も読み解かれる。

 興味深いのは「世界文学」をマルクス主義の権威付けに利用したソ連。領域内の少数言語の文学から新国家の理想に合致する文学を抽出し、ロシア語訳によって「聖別」した。

 「世界中のあらゆる書物を収めた『バベルの図書館』が存在しない限り、『世界文学』はどこまでいっても作為的な部分集合でしかありません」。その作為性にその国の自画像が浮かび上がるさまが興味深い。

 ソ連を加えたのには理由がある。「英語圏―日本という二項対立だけでは見えてこないもの」があるからだ。資本主義とは異なる論理をもったソ連の事例は、「世界文学」のあり方を多層的に浮かび上がらせる。もう一つの文化圏を加えて比較する「文化の三点測量」が重要だという。

 文学はますますグローバルに流通する時代になった。一方で英語の一強が加速する文学界の現状への懸念もある。「仏文学や独文学ですら、単独での流通が成り立たなくなりました。『世界文学』と銘打ちながら英語圏の作品ばかりが並ぶ本もあります」

 例えば韓国では60~70年代に世界文学全集ブームが訪れるが、日本語からの重訳という問題もはらむ。中国やインド、イスラム圏の「世界文学」はどんな姿をしているのか。広がりのある問いかけなのだ。(板垣麻衣子)=朝日新聞2020年9月2日掲載