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澤田隆治さん「永田キング」インタビュー 伝説の芸人を調べ尽くす

澤田隆治さん

 永田キングとは何者か。

 ほぼ忘れられているが、喜劇王エノケン(榎本健一)や漫才の横山エンタツ・花菱(はなびし)アチャコと並び、戦前を代表するお笑い芸人だ。「てなもんや三度笠」や「花王名人劇場」など演芸番組を手がけてきた澤田隆治さんは、朝日放送の新人社員だった昭和30年代初め、大阪なんばの劇場で永田キングの野球コントを見た。

 「投げて打って、滑り込む動作をスローモーションで演じたので、目を見張りました。完璧で面白くて、どこにもない芸でした」

 調べ始めたのは10年ほど前。血縁の人が京都・三十三間堂の近くに住んでいたという知人の一言で、キングのおいを探し当てた。彼に届いた年賀状からたどって、キングの息子3人に会う。吉本興業の「出番表」から出番順や演目を探り、都新聞などの記事や広告も追った。この本の50ページ超の年表に結実している。

 「政治・外交や経済の歴史は徹底的に調べられているのに、大衆芸能はなかなか歴史にならんのです」

 キングは1910年、京都の生まれ。妹とコンビを組み、野球選手の物まねなど「見せる」芸で、「スポーツ漫才」といわれた。トーキー主演映画がエノケンより早く作られるほどの人気だった。戦後は息子たちと米軍キャンプを回る。59年、米NBCテレビに出演し、全米各地やブラジルを巡業、61年に帰国した。

 「キングは不運です。芸は時代に先駆けていたが、テレビが躍起になって出演者を探している時は、米軍キャンプを回っていた。海外から戻ってきたら、居場所がなかった」

 この本の出版後に開くはずだった主演映画の上映会は、コロナ禍のため中止された。「不運はまだ続いている」と澤田さんは言う。でも没後43年、新たな伝説として本に残された芸人は、不運ではないだろう。(文・石田祐樹、写真・横関一浩)=朝日新聞2020年9月5日掲載