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平野紗季子さん「私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。」インタビュー 扉の先に広がる「物語」を味わう食体験の魅力

文:篠原諄也 写真:斉藤順子

――平野さんが食に関心を持ったのは、幼稚園の頃に福岡から東京に引っ越してきて、ご家族と外食に行くようになったのがきっかけだそうですね。

 東京に越してきてから、家族で時折レストランに行くようになりました。親もおのぼりグルメ的に、いろんなお店に行きたかったのかな。そこで連れられていったレストランという場所に衝撃を受けて。蛍光灯よりもグッと暗い照明の空間に給食や家のごはんとはまるで違うお料理が出てきて、しかもお嬢様みたいなサービスをしてもらえる。こんなに幸せな世界が存在するのか!と感動しすぎて「レストランって夢なんだ!」と思ったんです。

 一番印象的だったのは、両親がレストランに入った瞬間に仲良くなること(笑)。車で向かう途中って、喧嘩になることが多いじゃないですか。「そこ曲がってよ」「今駐車場あったのに」とか。でもさっきまで険悪なムードだったのに、扉を開いた瞬間にめちゃくちゃ仲良くなる。その変貌ぶりを、当時は魔法のようだと思っていました。家族揃ってテレビも見ずに目を合わせて仲良くおいしいものを囲める場所。レストランが自分にとって特別で大切なものになっていきましたね。

――そして食日記をつけはじめたことが大きかったそうですね。

 レストランではあんなに楽しかったのに、翌朝起きたらお腹が空いている。何もなくなっているのが悲しかったんですよ。たとえば、好きなアクセサリーやぬいぐるみだったら、宝物入れにしまって何度も見返すことができる。でも食べ物はそうはいかない。食が消えものであることの宿命に抗いたくて……もちろん当時はそんなふうに言語化できていたわけではないですが、なんとか食の幸福な記憶を残しておきたいと食日記をつけはじめました。

――平野さんはおいしいものを追うだけじゃなく、食をもっと広くカルチャーのように捉えているように感じます。

 私は食事というより食体験、という言い方をするのですが、扉の先に広がる味や空間や人が織りなす物語自体を味わうことが好きなんですよ。味だけを考えたら、もっとおいしいものはあるかもしれない。だけどそこに忘れられない何かがあるならば、それは素晴らしい価値ですから。なので極論言うと、まずくてもいいことになります(笑)。「犬かよ」は、決しておいしいとは言い難いけれど、たしかに印象に残った……という食体験も出てきます。ですからおいしさや快適さだけを求めてこの本に載っているお店に行くのは、ちょっと危ないかもしれないです……責任取れないかもって……(笑)。

店の中で「人生の積み重ね」に触れるとき

――今回、タイトルを『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』としたのは?

 パッと思い浮かんだものなので特に理由はないのですが。散歩とごはんが好きって犬かよ……と思っていたのでそのままつけました。表紙に犬を配置しすぎて、犬の本だと思われてペットコーナーに置かれていたりもするらしいですが……。

――「Hanako」本誌では特集されにくそうな街をあえて選んでいるそうですね。渋谷、浅草、六本木などのよく知られた街もありますが、雑色、柴崎、新丸子など、他ではあまり取り上げられないような街が多かったです。

 最初の五反田の章で「すべての街は面白い」と掲げています。どんな街にもその街なりの魅力がある。たとえばチェーン店だらけの街並みだったとしても、それはその街の個性ですし、そこで働く人の素敵さや思いがけない発見に出会うこともある。たとえば、神田の老舗の蕎麦屋「まつや」の向かいには、牛丼の「松屋」があるんです。この世には無数の路地が存在するのに偶然「まつや」と「松屋」が向かい合っている。そんなロマンチックなことある…?!って感動してしまって。

 楽しい街・つまらない街というのが存在するわけではなくて、すべての街にいかにこちらが面白さを見出せるかどうかだと思います。だから行き先はランダムに選んだりもしていました。東京の地図を家の壁に貼って、すでに行ったところに赤い点をつけて、まだこの辺行ってないから行ってみよう、とか、雑色(ぞうしき)って何て読むんだろう……?初めて知った街の名前だ、行ってみよう!みたいな。

――「犬かよ」本を読んでると、近所の街を歩いてみようと思いました。普段意識していないけれど、ひとつひとつの店にストーリーや時間の蓄積があるんだなあと改めて感じます。

 それはすごい感じますね。お店に余裕があると店主と話が盛り上がることもあります。あるとき、老舗喫茶店のおばあちゃん店主が「リンゴジャムトーストは母の代からあるのだけれど、母は作るのがゆっくりでね。私が『店が混んでるから早くして』って言っても、丁寧にしないとダメだからって聞かなかったのよ」と話してくれて。でもそのおばあちゃん自身も作るのめっちゃ遅いんです(笑)。お母さんから受け継いでいるものを実感して、おいしさと同時に胸がいっぱいになりました。

 私はよく外食体験の物語を味わう、という風に言いますし、さっきも言っていましたが……それはもしかしたらとても傲慢な考えなのではないか、とその時思ったんです。そこにあるのは都合よく誰かに消費されるための物語ではなくただひとつきりの切実な人生で、彼らが日々を積み重ねてきたある一瞬の時間に、私はお邪魔させてもらっているにすぎないのだと。

 だからジャッジメンタルで「店のホコリが気になるから星ひとつ!」みたいな気持ちにはどうしたってなりえないというか。それぞれが積み上げてきた人生が見えるお店にたいして、ケチをつけたいという気持ちが無くなりました。

――「犬かよ」本に載っている、神奈川・新丸子の三ちゃん食堂(大衆食堂、居酒屋)に行ってみました。書かれていたように、のれんをくぐった瞬間に急に喧騒に包まれて、異世界に来たような感覚になりました。隣の席に夫婦と思しき二人がいて、部屋着のような格好でお昼に来ていました。何か感動するような話があるわけじゃないですけど、そこに二人の人生があることが迫ってくるんですよね。映画の中の世界に来たみたいな...。

 そうそう、それがわーって、ある瞬間に胸に迫ることがありますよね。神保町の餃子屋さん「スヰートポーヅ」の話を書いたことがあります。狭いお店なのに胃袋みたいな包容力があって大好きなお店でした。今年閉店してしまったのがすごく悲しいのですが。

「相席で向かいのおじいさんは戦国武将の本を読みながら焼き餃子とビールを行き来している。私と目が合うことはない。奥のスーツのおじさんは後輩にナイルレストランの由来の話をしている。隣の外国人の男の子はお母さんに叱られて泣いていた。いろんな時空が偶然ここにあって、餃子の皿を中心にぐるぐると回り続けている。なんだか、年を取るのが楽しみだ」(『生まれた時からアルデンテ』より)

 その一瞬、人生や世界を全肯定したくなる時が、レストランでは訪れるんですよね。もちろん生きていれば自分自身が善人でいられないこともあるし、世界にはたくさんの悪意が満ちている。それでも、みんなが思い思いに腹を満たしている光景というのは、どうにも幸せがこみ上げてきます。

――平野さんは「新しいものより古いものが特別に好きというわけではない」と書いていました。でもやっぱり「犬かよ」本には古いものが多いような気もするんですがどうでしょう?

 うーん、たしかに。多分新しくても古くても、人の血が通っていると感じられるものが好きなのかな。それはやっぱり古いものが多いってことなのかもしれません。

 新しくできたもの。たとえばピカピカの超高層ビルの中に長くいるとどうも居心地悪いなって。なんでそう思うんだろうと考えたときに、除菌されすぎているからかなあと思いました。すべてが効率化されて、セキュリティ万全で、不要なものは排除されて、そこに目的がある人しか入れなくて。裸足じゃいられない感じというか。でも逆に公園とかって誰でも入れて目的がなくてもよくて、いつまででも座っていていいベンチが用意されてて。「犬かよ」でも石神井公園について書いたんですが、「どこが前でも構わない」って感じでウロウロしてる人がたくさんいるんですよね。なんかその空気感にすごく癒されるというか。

 いろんな菌がうごめいて、いろんな刺激が混在して、みんなが自由で、でもお互いを尊重し合っている。そういう空間の一部になれているときは自分も居心地がいいですし、そういうものが育って発酵しているのは、古い店や古い場所が多いかもしれないですね。

食の「喜怒哀楽」を描きたい

――「おいしいだけじゃない」というお話ですけど、やっぱり平野さんは普段どうやっておいしいものを探すのか知りたいです。

 いろいろですね。有り体ですが、好きなものが近い人を見つけたり。インスタで自分が行っている店のタグをたどると、そこに行った人が他に行っている店が見つかるじゃないですか。そこから自分の知らない魅力的な店を見つけることは多いです。

 あとはけっこう料理雑誌は侮れないです。10年前の雑誌を読むんですよ。名店として紹介されている店が、今もあったら絶対いい店。あとはやっぱり自分で街を歩いて見つけるのが、一番自尊心が高まりますね(笑)。「自分冴えてんな」って思うお店に出会うと帰り道の多幸感が半端ないです。

――まさに犬の嗅覚のような感じですね。

 あるとき横浜の中華街を歩いていて、いい店は「凹んでいる」なって思いました。中華街は看板の「来てください!」アピールがすごい。「皇帝料理人が手掛けた!五つ星肉まん!」みたいな。でも宣伝が並んでいる中で、ポツンと何も出してない店があったんです。「聚楽 (じゅらく)」っていうんですけど、入ってみるとマーラーカオ(中華菓子)が焼き立てで、すごくおいしかったです。

 その時に、いい店って見えないんだ!って思いました。街の中でひっそり影をひそめてる。聚楽は家族でやられていて、観光客の方というよりも、街の人が主なお客さんのようでした。見える人だけが愛して通い続けている。その道を選んで商いをやられている方の作るものは、間違いがないなあと思いました。

――平野さんの今後のご活動の展望を教えてください。

 今年はコロナの影響もあり、特に外食産業に従事する方々にとってとても辛い状況が訪れました。自粛期間中に、ご店主の方々にインタビューさせていただく機会もあったのですが、本当に胸が痛くなるほどの苦境に立たされているお店も多くて。店を畳む決意をした、自分の居場所を奪われたような感覚に心が折れてしまったというお話もありました。

 私は食から幸せをもらって、食に生かされてきて、もう生きがいそのものであるというのに、それを与えてくださった方々たちが辛い時に何もできないんだな、と思いました。無力感も強くて。でもだからこそ、自分には何ができるのか、何をしていきたいのか、と考えるきっかけになりました。

 今は農業経済学やフードシステムについて勉強しています。食と社会がより良くなるためにはどうしたらいいのか。きれいごとだけではない現実を直視しながら考えていきたいんです。食の「楽しい」「おいしい」「嬉しい」の快楽の部分だけではなく、「哀しみ」や「怒り」からも目をそらさずにいられたらと思います。

 そんな思いも相まって、「APPE-TIDE」(アペタイド)という食のメディアづくりを画策しています。その場所では、食のおいしく楽しい話はもちろんですが、喜怒哀楽をちゃんと描くことをテーマに発信をしていきたいなと思っています。