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「東條英機」書評 局所の合理性が大局で非合理に

評者: 呉座勇一 / 朝⽇新聞掲載:2020年09月19日
東條英機 「独裁者」を演じた男 (文春新書) 著者:一ノ瀬俊也 出版社:文藝春秋 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784166612734
発売⽇: 2020/07/20
サイズ: 18cm/383p

東條英機 「独裁者」を演じた男 [著]一ノ瀬俊也

 東條英機に対しては、「東條上等兵」「最も優秀な大尉参謀」「せいぜい大佐止まり」など、戦争指導者の器ではなかったというイメージが強い。街のゴミ箱視察のような姑息(こそく)な人気取りに勤(いそ)しみ、大局から戦略を構想する力を欠いていた、「敵機は精神で墜(お)とすのである」といった非合理的な精神主義に走った、と批判されてきた。
 しかし本書は、陸軍統制派を主導した永田鉄山の影響で東條が早い時期から総力戦思想を学んでいたことに注目する。これからの戦争の勝敗は飛行機や自動車の生産力に大きく左右されることを理解し、国民の積極的な戦争協力なくして総力戦を勝ち抜けないことを深く認識していた。航空戦備充実という陸軍の課題に一貫して取り組み、メディアを活用して世論を陸軍支持へと導いた東條が、陸軍の頂点に立ったのは必然だったと言える。だが世論への過敏な反応は、日中戦争における妥協を困難にし、日米開戦につながった。
 抜き打ちの視察・慰問などの「人情宰相」の演出は、戦時下の窮乏に耐える国民の不満を吸収する上で一定の効果があった。精神力の鼓吹も、物質力において米英に劣る分を補う意図からであり、最重視したのは航空機の増産だった。物量差が挽回(ばんかい)不可能なほど拡大していくと、特攻という文字通り「生命(いのち)がけ」の精神力で打開するという、悪い意味で合理的な発想に傾いたと著者は説く。
 東條は、陸軍の権益の維持拡大という組織の論理に照らせば合理的な軍人であった。問題は、局所的な合理性が大局的には非合理に陥る点にある。
 現下の新型コロナウイルス問題では、政府要人や自治体首長が実効性に乏しいパフォーマンスで努力をアピールし、法的根拠のない「自粛要請」を繰り返し、非常時を名目に「新しい生活様式」を押しつけようとしている。東條と大日本帝国の失敗は、決して過去のものではない。
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いちのせ・としや 1971年生まれ。埼玉大教授(日本近現代史)。著書に『皇軍兵士の日常生活』『戦艦武蔵』など。