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#36 心が安らぐ、にんにくバター醤油の焼うどん 森沢明夫さん「おいしくて泣くとき」 

文:根津香菜子、絵:伊藤桃子

 フライパンから皿に盛られたのは焼うどんだった。「こども飯」でリクエストの多い人気の裏メニューだ。(中略)厨房から差し出された皿を受け取った。にんにくとバター醤油の香りのする湯気が立ちのぼり、たっぷりのせた鰹節が生き物のように揺れ動いている。(『おいしくて泣くとき』より)

 突然ですが、皆さんは泣きながら食事をした経験はありますか?それは「悲しい時」に食べたのか、それとも「美味しくて」涙が出たのでしょうか。今回ご紹介する「おいしくて泣くとき」は、貧困家庭の子どもたちに、無料で「こども飯」を提供する「大衆食堂かざま」を舞台に物語が展開します。中学3年生の心也は、父親が営む「こども飯」を食べにくる幼なじみの夕花と学級新聞の編集委員をやることに。一緒に過ごす時間が増えるにつれ、夕花の家庭の秘密を知った心也は、ある事件に巻き込まれていきます。作者の森沢明夫さんにお話をうかがいました。

心穏やかにごはんを食べられる場所の大切さ

——本作で「子ども食堂」を舞台にした理由を教えてください。

 日本はGDP(国内総生産)世界3位でありながら、6〜7人に1人の子どもが貧困のため、まともにご飯を食べられないと聞いたことが本作の構想のきっかけでした。それから3年ほど、こつこつと資料を集めていたのですが「子ども食堂」を経営している人に対して「偽善者」などと誹謗中傷があることも知り、これは小説にすべきだと考えました。

——子ども食堂に行かなくてはならない状況にいる子どもたちの心理は、ただ「無料でごはんを食べさせてくれる」だけではない、もっと辛いものを抱えているのだなと、本作を読んで改めて感じました。

 本来なら「子ども食堂」というものは世界から消えて欲しいと思っています。言い換えると、子ども食堂など必要ない世界であるべきだと思うのです。以前、とある有名な政治家が子ども食堂の活動を称賛していましたが、それでは駄目です。子どもの貧困をなくすために、政治が力強く機能すべきです。

——心也の父・耕平が作る「にんにくとバター醤油の焼うどん」は、「こども飯」でリクエストの多い人気の裏メニューです。心也が父に「こども飯をそろそろやめないか」と切り出す時や、ラストにも登場する本作の“キーフード”になっていますが、この焼うどんに込めた思いを教えてください。

 ギリギリで経営している子ども食堂でも定番にできるような「贅沢ではないメニュー」
であること。そして「その時の心ひとつで涙が出るほど懐かしく、美味しく感じるような食べ物は何だろう?」と考えてふと思い浮かんだのが、この焼うどんでした。青春時代の恋の思い出と当時の流行歌は、記憶の中で切っても切れないものになりますよね?それと同じく、この焼うどんも「子ども食堂」に食べに来た子どもたちにとって、大人になっても忘れられない「安らぎの味」なのだと思って描きました。要は、思い出が付随しているかどうか、です。

——この焼うどんを「にんにくバター醤油味」(魅力的♡)にした理由はあるのでしょうか。

 にんにくバター醤油味にしたのは、僕が子どものころから「自分で作れる美味しい料理」の味だったということと、大人も子どもも好きな味であるということです。そもそもバター醤油味は、個人的に「無敵」だと思うのです。熱々ごはんにバターを溶かして醤油をかけただけでも、ついおかわりが欲しくなるくらい美味しいですし。この味の焼うどんは、今でも執筆の合間に夜食として作ることがありますよ。バターのこってりした風味と、醤油のさっぱり感のハーモニー。それに、鰹節の「うまみ」とうどん(炭水化物)の甘みが加われば、どう考えても美味しいはずです。とはいえ、この物語の中での「味」の意味については、実はどんな味でもいいと思っています。甘くても、しょっぱくても、ハンバーグでも、カレーライスでも、なんでもいいのです。大事なことは、「幼いころ、自分の心が安らいでいた時に味わっていること」だと思います。本作では、夕花が唯一「心穏やかにごはんを食べられる場所」を思い出せる味ということで、この焼うどんが「安らぎの味」なのだと思うのです。

——焼うどんにのっている鰹節が熱で揺れ動く様子を、夕花の弟・幸太が不思議そうに見つめる気持ち、よくわかります! 森沢さんご自身は「揺れ動く鰹節」に何か思い出はありますか?

 焼うどんは子どものころから自分で作って食べていたので、僕自身、揺れ動く鰹節を見るのを楽しんでいました。その時のちょっとした感動を、幸太を通して描きました。
 僕が幼少期の鰹節といえば、母親に頼まれてせっせと削り器で削った鰹節です。子どもなので、大きく削れたもの、小さく削れたものと、サイズにバラつきがあったものですが、とりわけ大きく削れた鰹節が焼うどんの上で踊っている様は、動きがダイナミックなので見ているのが好きでした。でも、時間が経つと徐々に弱っていき、しまいにはへなっとしおれたようになって、焼うどんの上に倒れ込んでしまいます。それまで生きていたものが死んでしまう。そういう切なさまで、ちょっぴり含めて味わっていた記憶があります。

——森沢さんが「おいしくて泣いた」思い出を教えてください。

 学生時代、僕は日本全国を野宿で放浪していました。和歌山県の過疎地を旅している時、美しい川沿いに一人ぼっちで暮らしているおばあちゃんと知り合い、その家の小さな「はなれ」を無料で一週間ほど使わせてもらいました。僕は自然の中から獲ってきた食材をおばあちゃんに手渡し、それをおばあちゃんが地元ならではの料理にして一緒に食べるという、とても素敵な日々でした。最終日、おばあちゃんは和歌山の名物でもある「めはり寿司」、(ご飯を高菜で巻いたおにぎり)を弁当として持たせてくれたんです。別れ際、おばあちゃんは「うちに来てくれてうれしかった。本当にありがとね」と涙を流してくれました。僕は「このおばあちゃんをまた一人ぼっちにしてしまうのか」と思い、心苦しかったのを覚えています。その日の夜、僕は一人で別の川原にテントを張り、焚き火の前で「めはり寿司」をほおばりました。その味があまりにも優しくて、美味しくて……。うっかり涙をにじませてしまいました。

——森沢さんが一人ぼっちで食べたごはんは、どんな味で、どんな気持ちがしましたか?

 10代の終わりから20代の前半にかけて、年間120日くらい野宿で放浪生活をしていたのですが、ほとんどはオートバイでの一人旅だったので、夜になると山奥の河原などで焚き火を起こして、静かに自炊をする日々だったんです。その時のごはんは、単純に「生きるためのカロリー」だったような気がします。自分で獲った新鮮な魚や山菜などもよく食べていましたが、「美味しいね」と話しかける相手のいない食事は、やっぱり何を食べても空虚な味だったように思えます。とはいえ、そうやって孤独なごはんを何度も味わってきたからこそ、今、誰かと一緒に美味しいものを食べるという喜びを、一層深く味わえるになった気もしています。