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翻訳ミステリー実りの秋、訳者が語る魅力と読みどころ 田口俊樹さん×山田蘭さん、オンライン対談

山田蘭さん(左)=翻訳ミステリー大賞事務局提供、田口俊樹さん=永友ヒロミ氏撮影

英語は赤点…でも翻訳家に

――田口さんは高校の英語教員を経てこの道に入ったそうですね。

田口 英語の科目は好きだったんですが、大学では英語の「え」の字も読まない4年間を過ごしてしまって……。英語の教員になってからは、生徒に質問されたら即答したい、その方がかっこいい、だから英語力をつけたい、と。それが翻訳をやってみようと思ったきっかけです。早川書房に友人がいて、声を掛けたら「ミステリマガジン」の短編(注:ジョン・ウィンダムの「賢い子供」)をやらせてくれた。文章を書くのはもともと好きだったから、初めて翻訳したときは「こんなに面白い仕事があるんだ! それでお金までもらえる!」と。その喜びは今でも覚えてます。

――山田さんはどのような流れで?

山田 小学生ぐらいからアガサ・クリスティにのめりこみ、そのまま手当たりしだいにいろいろなミステリーに手を出しました。中学生のときにたまたまある女性翻訳家にお目にかかる機会があって、その方がすごく素敵だったんです。そういうお仕事についたらかっこよくなれるのかなあ、って。だから翻訳家を志したのは早かったんですが、問題は、私、英語がすごく苦手で……。赤点を取りまくっていたので、人には翻訳家志望だなんて絶対に言えなかった。それでも大学は無理やり英語の科に入ったんですが、やっぱり苦手だったから死ぬかと思いました。いまだに苦手感は消えないですね。

田口 実際に翻訳の仕事をし始めたきっかけは?

山田 大学を卒業後、翻訳学校で鎌田三平先生のもとで勉強しました。鎌田先生の下訳などを経て、1997年に独り立ちしました。

山田 初めて田口先生に声をかけていただいたのは2011年の、第2回翻訳ミステリー大賞のコンベンション会場でした。田口さんは『音もなく少女は』(ボストン・テラン)と『卵をめぐる祖父の戦争』(デイヴィッド・ベニオフ)の2作品で、私は『陸軍士官学校の死』(ルイス・ベイヤード)が候補に上がっていました。

田口 『陸軍~』は感動しました。重厚で面白かった!

山田 エドガー・アラン・ポオが探偵助手として登場し、詩を披露するんですが、そこでいろいろ考えたことが『カササギ殺人事件』で役に立ちました。

ホロヴィッツ新刊、俳句訳に工夫

田口 ホロヴィッツの新刊『その裁きは死』には俳句が出てきますよね。

――俳句の部分の原文は、これです。

You breathe in my ear
Your every word a trial
The sentence is death

山田 英語の俳句は、同じ5・7・5の音節数でも情報量が多すぎるんですよね。だから情報をものすごく削りこんで、日本生まれで欧米育ちのある登場人物が詠んだ感じにみせないと、今作では意味がない。そこがいちばん考えたところですね。

田口 好き嫌いで言うと、おれは山田さんの翻訳が好きです。なぜかというと、余計なことをしないから。翻訳というのは、もちろん原文あってのことですが、内容を伝えるために訳者があれこれ削ったり加えたりしてもいいと思う。それを何もせず、「そのまま」という印象。なかなかできないことなんですけどね。だから「赤点」の話を聞いてびっくり。すごく英語ができる人だと思ってた。

山田 田口さんの本の中でいちばん好きなのは、ボストン・テランの『その犬の歩むところ』。格調高い文章がとてもきれいで、覚えておきたいと思うフレーズがたくさんあって。私にとって特別な一冊です。あと、すごく好きなのはポーランドのシャツキ検察官のシリーズ(注:ジグムント・ミウォシェフスキの『もつれ』『一抹の真実』『怒り』)。

田口 それはそれは! あれはもっと売れてほしかった(笑)。

山田 実は私、ポーランドには縁がありまして。私の名前の「蘭」はポーランドからとってるんです。父が経済学者でポーランドの研究をしていたので。私の知ってるポーランド、もっと知りたかったポーランド、そして今まで見えていなかったことがたくさん盛り込まれていて、すごく面白かったです。

田口 それだけ山田さんがポーランドに縁のある人だと編集者に知れてたら、おれに仕事が回ってきたかどうか……(笑)。

山田 調べ物がたいへんだったと思うので、読ませてもらう側で幸せでした。

田口 ポーランド気質って、日本人にも通じるところがあるような気がする。

山田 冗談をいっぱい言うんだけど、どこか暗く鬱屈したところがあったりして。あの作品はどういう風に見つけたんですか?

田口 見つけてきたのは編集者。シリーズ第3作の『怒り』でブレークしたみたいで、ちょっと読んでみないかと言われて。そしたら主人公の男が面白くてね。

山田 そうですね。わりとしょうもない人なんだけど(笑)。

田口 女性蔑視だし。

山田 ほんとですよね。「こいつ!」と時々思う。でもそんなところもリアル。第2作『一抹の真実』ではポーランド人のユダヤ人に対する微妙な感情もよく伝わってきました。

グーグルマップは便利だけど…

田口 『カササギ』との出会いは?

山田 やっぱり編集者から「これ、リーディングしてみませんか」と言われて。私のところに来たのはただの運だったんですけど、読んでみたら「これは!」と思って、「自分にやらせてください! 版権取ってください!」と頼み込みました。

田口 版元に頼まれて読む機会は多いけど、「結果としてどんぴしゃな翻訳者だった」ということじゃないですか。作品がもともと面白ければ誰が訳しても面白いのかもしれないけれど、「この人がほれ込んで訳したからこそのヒット」と思うことがある。越前敏弥さんのダン・ブラウン作品や、相原真理子さんの検屍官シリーズ(パトリシア・コーンウェル)もそう。

山田 『カササギ』に関しては、私はラッキーだったと思います。その続編に取りかかるのはまだこれからですが、あれをどう続編につなげるのか?って思いますよね。あれから2年後の編集者スーザンが出てきて、また作中作もあって、これまた作り込みがすごい。日本では来年の秋に出る予定です。『メインテーマは殺人』『その裁きは死』に続くホロヴィッツ&ホーソーンのシリーズ第3弾も、ホロヴィッツさんが執筆中です。

――田口さんは北欧ミステリーやドン・ウィンズロウ作品など矢継ぎ早に刊行されています。

山田 新刊『娘を呑んだ道』(スティーナ・ジャクソン)はスウェーデンの自然描写がすごくきれいでした。

田口 失踪した娘を捜す父親の物語。30代の女性作家のデビュー作なんですが、格調のある物語ですよね。自分も娘を持つ身、父親の切なさもわかる。自然描写の箇所って面倒くさくて、はしょって訳したいぐらいなんだけど、そこはまじめに(笑)。

山田 自然描写とか、建物の様式とか、細かく書きこんであるのにどんな様子か全然わからないこと、多いですよね。最近はグーグルの画像検索があって助かりますが。ホロヴィッツの作品も、グーグルマップのストリートビューで物語の道をたどりながら訳しました。

田口 あれは便利だよね。正確さという点では、昔の翻訳より今の方が優れているのでは。逆に言うと、間違えられなくなってしまった……。以前は大きな図書館まで行って、一日こもってなきゃならなかったけど。

山田 私も独り立ちした頃は、やっぱり図書館で。爆弾の作り方とか解剖図とか、閲覧履歴を調べられたらかなりアヤしい人……。

古典の新訳、つねに生まれていい

――お二人は古典の新訳にも取り組んでいます。田口さんはアガサ・クリスティやロアルド・ダールの作品、山田さんはポール・ギャリコ作品や『ガリバー旅行記』など。

山田 『ガリバー』は頭でっかちな風刺小説かと思っていたら、実際に訳してみると作者の怨念や情念があふれているのがわかって、すごく面白かったです。ろうそくの光で「ちくしょう、ちくしょう」と思いながら暗い部屋で書いたんだろうなって、なんだか伝わってきて。多くの訳例があって畏れ多かったんですが、逆に、過去のちゃんとしたものがあるから一つぐらいは、ただ読みやすいものがあってもいいかなと。注釈なしで最後まで読めるよう頑張りました。

田口 百人訳せば百通りの訳がある。翻訳というのは一過性のもの。新訳はつねに生まれてきていいと思う。チェーホフなどを訳された神西清さんが、翻訳という問題はもともと生木のようにくすぶるのが運命、という風に書かれていて、まさにそういうイメージですね。一冊の翻訳が終わったとしても、完成形がない、終わりのない仕事。

山田 その通りだと思います。私がイメージするのは建物。ある風景の中に誰かが建てたら他の人はもう建てられない。新訳というのは、その建物を壊してその風景に新しい建物を建てる、そういうイメージです。自分の翻訳が最初で最後のものだと思うとその責任に押しつぶされそうになりますが、いつか誰かが建て直してくださるかもしれない、だからいまは自分に建てられる最良のものを建てよう、と。でも訳し終えた後、心のどこかでくすぶってる感じですよね。その時々で作品から見えてくるものは違ってきますし。今の自分に見えているものを拾い上げていくしかない。

田口 これから訳そうと考えているのは、レイモンド・チャンドラーの『The Long Goodbye』。村上春樹さんは『ロング・グッドバイ』のあとがきで、「マーロウの目によって切り取られていく世界の光景」、「精密なカメラのよう」なチャンドラーの視点に言及している。ただ、自分が昔、かっこいいなと思って読んだのは、清水俊二訳の『長いお別れ』の、一人称の語り口なんですよね。40前後のちょっと渋みがかったいい男の、語り口に酔った。そこに意欲が湧いています。

――田口版のフィリップ・マーロウ、楽しみです。来年刊行予定の『カササギ殺人事件』続編にも期待しつつ、それまでたっぷり、お二人の新旧作品を堪能したいと思います。

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