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#37 受け継がれることで生きていく、豚肉の生姜焼き 原田ひ香さん「口福のレシピ」

文:根津香菜子、絵:伊藤桃子

 「さあ、食べなさい。冷めないうちに、さあ」しずえは旦那様に一礼し、箸で肉をつまんで口に運んだ。甘辛い醤油味にほどよい刺激と香りがあった。うまいと思った。特徴のあるたれのおかげで、肉の臭みがまったく感じられない。(中略)「これはポークジンジャーという料理だ」(中略)生姜……の香り、そして、醤油だろう。酒、みりん……砂糖も少し入っているだろうか。(『口福のレシピ』より)

 みなさんにとって「我が家の味」は何ですか? または、受け継がれているレシピってありますか? 今回ご紹介する作品のメイン人物は、昭和の初め、老舗料理学校を営む家に女中として奉公するしずえと、令和の時代に生きるSE兼駆け出し料理研究家の留希子。時代を超え、この2人をつなぐものが「豚肉の生姜焼き」のレシピでした。作者の原田ひ香さんにお話をうかがいました。

家庭料理の定番、昭和初期に確立

——本作は昭和初期と令和の現代、二つの時間軸で物語が進んでいきますが、昭和の初めに、料理学校や料理雑誌があったとは驚きでした。

 私も当時は食が割と豊かだったということに驚きました。『彼女の家計簿』という作品を書くために、ちょうど今から100年くらい前の暮らしを調べたのですが、婦人雑誌が100万部以上発行されていて、家計簿のつけ方や料理の作り方を当時の主婦の人たちに先行して教えていたということを知りました。そのことを思い出して、今作の舞台の一つを昭和の初期にしようと思いつきました。昭和4年に昭和恐慌が起きて国の経済状況は悪くなりますが、庶民の生活は、食文化を含め、割と楽しく華やかな時代だったようです。

——品川料理学園を運営する旦那様に連れられて、洋食屋で初めて「ポークジンジャー」を食べたしずえは「誰でも作れるように」と、生姜焼きのレシピ作りを任されます。この当時、一般家庭で肉料理を食べることは珍しかったようですが、中でも豚肉の生姜焼きを選んだ理由を教えてください。

 作中で、旦那様がしずえに「日本人はきっともっと肉を食べるようになる」「その時食べられるのは、牛肉じゃなくて、安価な豚や鶏だろう。だから、手軽にできて誰にでもおいしく食べられる、豚肉料理を教えたい」と言うセリフがありますが、例えばハンバーグやコロッケのように、ある程度「ここの洋食屋さんが最初に作った」ということがはっきりしているものは違うな、と漠然と考えていました。

 生姜焼きって、西洋からポークジンジャーというものが入ってきて、昭和の初め頃にある程度確立し、戦後に広まった料理だということは分かっているんです。洋食の中でも人気のメニューですし、家庭料理の定番なので、ちょうどいいなと思ってこのメニューを選びました。

——実は「食いしんぼん」(「#05 食いしんぼん」参照)でも、一度「ポークジンジャー」を取り上げたことがあるのですが、その発祥や歴史って意外と知らないなと思いました。

 そうなんですよね。だからこそ、この作品の中でも色々とアレンジをしました。生姜と醤油を使っているくらいが基本なんですが、それ以外にも方法はたくさんあるし、お肉の種類も、ちょっと厚めのもので作るのもあれば、切り落としで作っても美味しいです。

——しずえが試行錯誤しながら完成した生姜焼きのレシピが、少しずつ変化して留希子にも受け継がれることで、メニューが「生きていく」のだなと思いました。

 きっとどの家庭でも、最初にお母さんがテレビや本で見て作って「あぁ、美味しいね」と思った生姜焼きのレシピが、その後色々なものが省かれたり、何かを加えたりして変化していって「うちの生姜焼き美味しいんだよ」という味になっていくのだと思います。そうやって少しずつ形を変えても、親から子へ、または誰かに作り続けられることで、料理は生きていくものだと思うんです。今はTwitterなどでも、主婦の方が「これはこうやって作ると美味しいんだよ」っていうレシピがバズったりしますよね。そうやって広がることが面白いなと思いますし、今の時代の楽しさだなと感じます。

——しずえがこの生姜焼きに込めた思いとは、どんなものだったのでしょう。

 旦那様から生姜焼きのレシピ作りを頼まれて、初めてしずえは「料理をする」ということが楽しいということと、自分の存在意義を知ったと思うんです。それまでは自分の存在意義なんて考えなかったと思うし、それが当時の女性であり、そのことを不満に思わなかった時代なんですよね。

 本作は、女中の一人だったしずえが、旦那様から「お前ならもっと美味しくできる」とレシピを頼まれてどんどん変わっていくという、彼女の成長譚でもあります。作中で旦那様としずえが一緒にシュークリームを作るシーンがあるのですが、シュークリームって皮と中のクリームを作る材料はあまり変わらないのに、出来上がりが驚くくらい違うものになる。そういう経験が、彼女の中で段々料理というものを知っていく過程になっていくんですよね。しずえは生姜焼きのレシピ作りを頼まれて、その意義を理解し、頼られることの喜びを初めて知ったんだと思います。

——原田さんの生姜焼きのレシピを教えてください。

 私は2種類あって、一つはお肉を焼いているところへ生姜をすりおろして、醤油だけだったり、たまにみりんを入れたり、という簡単なものです。もう一つは、りんごジュースと玉ねぎと醤油、みりんと酒をミキサーにかけて、一度火を通したものをタレとして使うんです。少し甘めの味になりますが、そのまま冷凍もできます。カチカチに固まらないので、手で割ることもできるから、多めに作って少しずつ使うことが出来ますよ。

——生姜焼きの思い出はありますか?

 私の母は昔からしゃぶしゃぶ用の肉が好きで(笑)、いつも買ってくるんですよ。その薄い豚肉に、みりんなどの甘味を全く入れず、醤油と生姜だけで作るんです。私にはそれがなじみの味だから、結構好きなんですよね。多分、醤油とみりんを一対一、それに生姜というのが基本の味付けなので、一般的に言ったらそんなに美味しいものではないのかもしれないですけど、やっぱり時々、あの生姜焼きが食べたくなるんです。

——原田さんはレシピや料理に関する本を読むのもお好きなのだそうですね。

 昔から好きなんです。私が20代の頃には、栗原はるみさんや有元葉子さんといった料理研究家の方々のように、ご自身の生き方やステキなライフスタイルとともにレシピを紹介するような料理本がたくさん出版されました。その後登場した「クックパッド」は、ある意味料理家の先生たちもビックリされたんじゃないかなと思います。無料でいくらでもレシピが見られちゃいますから(笑)。もうここでレシピの紹介の仕方って出つくしたんじゃないかと思っていたら、今度はSNSやYouTubeでいろんな方がどんどんレシピを投稿する時代になりましたよね。 

 本作を書いたのは1年くらい前なんですが、その頃私はまだYouTubeをあまり観ていなかったんですけど、今は大きい存在ですよね。レシピのあり方や提供の仕方ってますます変わっていくだろうし、今後全く新しいレシピの形が出てくるのかなと思います。