1. HOME
  2. コラム
  3. 中条省平のマンガ時評
  4. M・アトウッド「侍女の物語」グラフィックノベル版 全て奪われた人々の理不尽

M・アトウッド「侍女の物語」グラフィックノベル版 全て奪われた人々の理不尽

 カナダを代表する女性作家、マーガレット・アトウッドのブッカー賞受賞作『誓願』が、鴻巣友季子さんの素晴らしい翻訳で公刊されました。

 『誓願』は、アトウッドの最も有名な小説『侍女の物語』の続編で、つい最近『侍女の物語』のグラフィックノベル(マンガ)版の邦訳も刊行され、カラー画面の美しさに息を呑(の)みました。

 『侍女の物語』の原作小説は、けっして読みやすいとはいえなかったという記憶があるのですが、マンガ版の『侍女の物語』は、鮮やかな色彩のおかげで、緻密(ちみつ)で暗鬱(あんうつ)な物語に立体的かつ繊細なふくらみが加わり、感覚的に把握しやすい世界観を築きあげています。『侍女の物語』をまだお読みでない方にぜひお薦めしたいと思います。

 『侍女の物語』の舞台は近未来のアメリカで、キリスト教原理主義者がクーデターで政権を成立させます。その結果、女性は職業も財産も奪われ、厳格な身分差別の対象とされます。「侍女」というのは、エリート層の男性の子供を産むための身分です。オーウェルの『一九八四年』やハクスリーの『すばらしい新世界』に匹敵するディストピア(暗黒社会)小説の傑作です。

 多くの人はこれを空想の絵空事と思うでしょう。しかし、アメリカの歴史上、同じような事実があったのです。『侍女の物語』の女性が、女性であるがゆえに職業も財産も奪われたように、日系アメリカ人はある日突然、日本人の血を引くがゆえに仕事も財産も家も奪われました。同じ第2次大戦の敵国であるドイツ系の人もイタリア系の人も集団強制収容されなかったのに。

 ジョージ・タケイの実体験に基づくグラフィックノベル『〈敵〉と呼ばれても』は、第2次大戦下での日系アメリカ人への国家的差別を描いています。

 タケイは「スタートレック」の宇宙船操舵(そうだ)手役で世界的に有名な日系アメリカ人の俳優ですが、真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まったとき、4歳でした。まもなくタケイと父母と弟妹は多くの日系アメリカ人とともに職業と財産と住居を奪われ、「所詮(しょせん) 日本人は日本人でしかない」という理由で、大統領令により強制収容所に送りこまれます。

 本書には、その理不尽が事細かに物語られます。そして、それは絵空事でも他人事(ひとごと)でもないのです。その恐ろしさに戦慄(せんりつ)します。しかし、暗黒のなかで生きぬく人々の真実の生活も描かれていて、大きな勇気をあたえられます。理不尽に負けてはならない、と。この日系アメリカ人の記録は、まさに今こそ、真剣に読みつがれるべきものです。=朝日新聞2020年11月11日掲載