1. HOME
  2. コラム
  3. 藤巻亮太の旅是好日
  4. 藤巻亮太の旅是好日 「神田日勝」と「ウポポイ」に触れた、北海道の旅路

藤巻亮太の旅是好日 「神田日勝」と「ウポポイ」に触れた、北海道の旅路

文・写真:藤巻亮太

 歳を重ねるにつれて経験や常識に縛られ、あたりまえの日常からアウトして新たに行動することが減ってくるような気がするが、そのままでは面白くない。10月吉日、沸き起こった好奇心に任せて一泊二日で北海道を旅した。そのきっかけはEテレの「日曜美術館」という番組を通して、画家・神田日勝(1937~70)の絵を観たからだ。

 北海道で農業を営みながら、ほぼ他者との関係を断ち、絵を描き続けた画家であり、NHKの朝ドラ「なつぞら」で吉沢亮さん演じる山田天陽のモデルとされた人物だ。私が特に心を惹かれたのは、日勝の家族とともに荒地を開拓し、苦楽を共にしたであろう馬と牛の亡骸の絵だった。私はその絵の一体何に心を惹かれているのか、それを確かめに無性に行きたくなったのだ。

 どこで鑑賞できるのかと調べてみたらすでに東京での巡回展は終了し、北海道立近代美術館での展示を残すのみとなっていた。旅は道連れとばかりに、良く語り合う友人にこの話をすると即座に快諾してくれた。友人は好奇心に惹かれてそれを探りに行くならば、折角だからもう一つ新しいテーマをみつけてそこにも行ってみようと言い、その流れになった。話し合いを進めて、今年北海道の白老町にオープンした民族共生象徴空間「ウポポイ」を訪れて、アイヌの文化に触れて学んでみることにしたのだ。開拓者として生きた画家の視点と、その開拓によって結果的に独自の文化の多くを失った側の視点、その両方からの足跡を追い物事を考えてみる旅となった。

生命力を感じた日勝の絵

 東京から来る北海道は、早めの紅葉と澄んだ冷たい空気が心から気持ちよく感じられ、そのまま電車で一路札幌へと向かった。降り立った札幌駅からはツアーで来たときなどに必ず食べていた味噌ラーメンを目指してしばし歩き、そこでの味を堪能したあとは腹ごなしにまた歩いて近代美術館を目指した。友人と語り合いながらの道すがらは楽しい旅の始まりを予感させた。

 描かれた年代を追うように展示されていた神田日勝の数々の絵の中で、私は特に初期の作品に惹かれた。貧しさや死といった重く暗いテーマを扱っているのに、何故かみなぎる生命力を感じさせ、一言でいえばどれも明るいのである。

 そんなことを思いながら順に進んでいくと、その中盤あたりから作風を極端なまでに変えながら描いた中期以降の作品にたどり着くのだが、それらからはどこか創作の深い苦悩が伝わってきた。私自身も曲づくりで苦しんだ経験があるからか、作り手の苦悩が浮かび上がるようなその足跡に、共感を覚えた。日勝は決して長くはない画家のキャリアの最後には、初期の頃によく描き続けた馬を題材に新たな作品に取り組み、そしてその最中に32年の短い生涯を終えた。この作品は馬が半身描かれた未完のままで絶筆となったのだが、やはりその作風から闇や影といった要素をあまり感じなかったのだ。

 作品を見え終えた私と友人は美術館の近くの洒落たカフェに入り、互いの感想をじっくりと話し合った。それぞれの感想を言葉へ変えて紡いでいくのはとても大切で、濃密な作業だ。

ウポポイでの涙

 翌日、レンタカーを借りて札幌市内から白老町を目指し動き始めた。コーヒーを飲みながら会話を楽しむうちに、「ウポポイ」が姿を現してきた。北海道らしくその広い敷地内に博物館や体験交流ホール、伝統的コタン(集落)などが点在して、歩きながら楽しむことができる。そして15〜30分おきにアイヌ古式舞踊や伝統芸能、踊りのワークショップなどがあり、観て楽しむのももちろんだが、体験型の博物館という色合いが強いようだ。そこで観たアイヌ古式舞踊には、私は正直心を揺さぶられた。

 アイヌの文化を理解する上で重要なのは「カムイ」という言葉だ。神格を持つ霊的存在という意味で、万物のすべてにこの「カムイ」が宿っているとアイヌは考えるのだ。生きてゆくために自然から食べ物や衣類や住居や道具となるもの全てを頂いている感謝と、自然との深いつながりへの敬意、カムイへの敬意を舞踊で示すのだ。

 歌唱が始まった瞬間から空気が変わる。北海道の深い神秘の森の中に誘われるように心が吸い込まれてゆく。そして口琴という楽器でさらにその世界は深まり、最後に熊の魂を天に送るイオマンテ(熊送り)という舞踊は、歌声に導かれながら心と体が溶け合って、気づいたら涙が出ていた。アイヌの自然や大地に対する深い敬意の念と、自然とともに生きているという深い自覚がこの文化をつくっているのだと感じた。

 現代の合理的な社会の中で人間が使わなくなってしまったあらゆる鋭い感覚が、そこには詰まっていた。そして日本の近代化への歴史の裏返しともいえるアイヌへの迫害の歴史、それ故に消えかかっていたアイヌの文化から学ばなければならない大切なことがあると感じた。ウポポイが国立の施設で、共生を一つのテーマにしているのがメッセージであり、美しい文化の背景にある暗い道のりを辿り、そして越えていく未来を願っているのだろう。 

買い求めた一冊「アイヌ神謡集」

 アイヌの文化に触れた私はもう少し掘り下げてみたいと思い、ミュージアムショップで本を買い求めた。その中の一冊が『アイヌ神謡集』で、これは詩の才能を評価されながらも19歳で亡くなったアイヌの知里幸惠が、アイヌ文化の中で口伝によって継がれてきた神謡を選んだものを集めている。先にも触れたカムイという考え方で、神と人間と動物の境い目がどこかあいまいな世界の物語が特徴的だ。

 その最初に収録されているのが「梟の神の自ら歌った謡」。「Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe ranran pishkan」(銀の滴 降る降る まわりに 金の滴 降る降る まわりに)と始まり、お金持ちと貧乏人のもとに梟のカムイが降り立つところから様々な神が登場する。目に見えない因果で繋がった人間と自然の中である一つの調和のかたちを示す物語で、どこか幽玄的なのだ。

 今回の北海道の旅、きっかけはある絵からであったが、そこには光と闇を取り巻く物語があった。私自身、自分の創作にとってその振り幅をどう捉えて、何をつくるか、大きなテーマをもらった。そして何より、縁というものは目に見えるだけの因果を飛び越え、遥かに大きなダイナミックなウネリの中で動いているものなのだと感じる旅であった。