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「三島由紀夫と戦後日本」本でひもとく 思考停止が招く二度目の「死」 作家・島田雅彦さん

警察署の道場で剣道に汗を流す三島由紀夫=1964年、東京都大田区田園調布

 三島由紀夫は死後も独自の進化を続け、彼が生きた時代を知らない者にも恩恵と呪縛の両方をもたらす。私もその影響を免れることはできず、『仮面の告白』、『豊饒(ほうじょう)の海』四部作、『命売ります』の三作品に対しては、それぞれ『僕は模造人間』『無限カノン』『自由死刑』という拙著をオマージュとして捧げているほどだ。

継がれゆく原像

 早熟のロマネスク作家だった三島は終戦を二十で迎え、漠然と死を渇望する戦時下の日々から本能剥(む)き出しの戦後の焼け跡に放り出され、自らの文学的生息域を失い、一度は官僚の道に進むものの、九カ月で辞め、自分を生まれ変わらせることを目的とした私小説を書き下ろした。

 生まれた時に産湯の盥(たらい)のふちに射(さ)していた日の光を見ていた「私」は、祖母に溺愛(できあい)され、軟禁生活を強いられた幼年時代から続く「異形の幻影」への偏愛を語り続ける。家の前を行進する兵士たちの汗の匂い、「聖セバスチャン」の絵、野蛮で逞(たくま)しい級友への憧れは愛する相手に似たいという熱望に変わり、自(おの)ずと同性愛者の告白の様相を呈してくる。のちに四部作の第二部『奔馬(ほんば)』、ボディービル、写真集『薔薇(ばら)刑』などに転移する三島の原像をここに見ることができる。

 「私」は戦時の危機感から友人の妹園子との異性愛も試みるが、肉の欲望は湧かず、やがて自分は「人間ならぬ何か奇妙に悲しい生物(いきもの)だ」との絶望に至るも、人妻になった園子と交際を続ける「私」はただ矛盾した情熱に突き動かされるだけなのである。この自画像は終生、死の欲動と戯れた三島の原像であり、四部作の第一部『春の雪』の清顕の禁断の恋、第三部『暁の寺』のエロスの饗宴(きょうえん)に引き継がれる。戦前と戦後に引き裂かれたナイーブな自意識の解剖と改造の報告書は二十年後には、輪廻(りんね)転生を小説の構造に盛り込んだ世界解釈の小説に進化する。

大衆路線に転じ

 三島は終生、戦後世界の空虚に苛立(いらだ)っていたが、それを仏教の空の観念に溶かし込む荒業に挑んだ。明治、大正、戦前、戦後、それぞれの時空に転生した人物たちと、その短くも熾烈(しれつ)な生の軌跡を追う解釈者本多は、別の誰かに生まれ変わりたかった三島自身とその滑稽な実態を解剖してしまう小説家の反映であるが、近代以降の日本人の空っぽな心を満たす思想や情熱、エロスを追い求めながら、結局、転生したのは空っぽな心そのものだったという結末が第四部には用意されている。

 身を挺(てい)して大衆社会のシニカルな表象たらんとする三島の試みは、サブカルチャーの領域でことごとく成功を収めた。六〇年代後半、天皇の大衆化に呼応するかのような「大衆路線」に舵(かじ)を切り、流行小説、エッセー、演劇、映画、テレビなどの諸ジャンルで露悪的に自己像の大量複製を行う中、週刊プレイボーイに連載された『命売ります』は、広告会社勤務のコピーライターが新聞に「命売ります」の広告を出し、顧客を募ると、次々と怪しい人物や組織が暗躍を始めるというスラップスティック・コメディーで、この手の陽気なニヒリズムは死後の時代風潮に合致していたので、自決しなかった三島を想像する時の最良の手がかりになる。

 戦後民主主義、経済成長、平和主義の信仰が生きていた時代、三島はそれらの欺瞞(ぎまん)を穿(うが)ち、文化防衛を唱え、アメリカに従属しない新しい国体を模索していた。空っぽな日本人の心を埋めようとした三島の知的闘争はクーデター未遂と自決で未来に託された。三島のニヒリズムは知性ある者には遺伝したが、今日の日本を覆う対米従属、新自由主義、反知性主義という名の思考停止が三島を二度殺そうとしている。=朝日新聞2020年11月21日掲載