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祭りのあと 津村記久子

 先日、秋の事務手続き祭を開催した。自分は仕事と名の付くものがすべて苦手だということは承知していたのだが、ますますもって寒気がするほど事務能力が低下していた。

 請求書を表計算ソフトで作成し、申請書類に記入し、証明写真を切ったり貼ったりしたのち、申し送りの便箋(びんせん)を書き、数枚の封筒に宛名書きをした。請求書はA4が三枚分、一枚につき九項目だ。それをPDFファイルの形式に出力するまで三時間かかった。テンプレートに二十七行分データを入力するだけなのに。パソコンで表計算をするのが十年ぶりぐらいな上、二週に一回ぐらいしかパソコンの電源を入れないせいかアンチウイルスソフトのやりたいことがたくさん溜(た)まっていたようで、「あれ確認したい」「再起動したい」「あれはやった?」「これもやったほうがいいよ!」と矢継ぎ早に要求・提案され、「じゃあどうぞ」「それはしません」「やりたくありません」と一つ一つ判断しながら、このパソコンの実質的な主は自分じゃなくてこのアンチウイルスソフトなのではないか、と苦しんでいるうちに三時間が過ぎていた。

 パソコンもだめだけれども、自分もだめだ。封筒を二回書き損じて捨てた。三回目はもう気力がなくなっていて、二重線丸出しで投函(とうかん)した。申し送りの便箋だけはなんとかスムーズに探し出せて書けたのはよかったけれども、それは過去に手紙を添えて仕事先へ書類を送らなければならない時に無難な便箋を切らしてしまい、他は〈うんこ漢字ドリル〉の便箋しか持っていなくて夜中に呆然(ぼうぜん)とし、翌日便箋を大量に買いに走ったという経験を踏まえた上でのことだ。四十歳の時だった。それ四十歳がする経験なのか。

 文章を書く仕事をしていて、自分自身に関しては、なんだこの専門性のなさはとよく愕然(がくぜん)とするけれども、アンチウイルスソフトに道具を乗っ取られながら仕事をすることはさすがにない。改めて、通常の仕事のありがたさを思い知った。=朝日新聞2020年12月9日掲載