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本と自炊の旅 津村記久子

 時間が長いとか、分量が多いとか、一つのことをたくさんやれと言われると怖(お)じ気(け)づくほうだ。放り出すのが怖い。若い頃は「飽きたから」で済んだが、大人になると「やり遂げられない」ということが怖くなってくる。きみもうだいぶ大人やのにこんなことも我慢できひんのか。内なる声が聞こえる。

 それで仕方なく「見立て」で乗り越えようとする。要するに、これは十八分もある曲だと思うから長いんであって、短編小説を読むと思えばいい、と音楽を小説に見立て、これは合計千頁(ページ)以上ある本だから手に負えないと思うのであって、旅だと思えばいい、と読書を旅行に見立てる。ちなみに前者はドヴォルザークの「ピアノ協奏曲ト短調第一楽章」で、後者はJ・G・フレイザーの「金枝篇(へん)」だ。ドヴォルザークは聴き通せたが、「金枝篇」の旅からはまだ帰っていない。案内人であるところのフレイザーが、「イタリアにあるネミの森の祭司は、なぜ金枝を折った者に殺されなければいけなかったのか?」ということについて考えながら、「そういえばね」と世界中の参考にできそうな習俗などを引き合いに出して答えに近付いていきたいとしながらも、「そういえばね」の回数があり得ないほど多く、寝ていても横で言うし、トイレにまでついてくる勢いだ。

 料理も、これはゲームだと思えばなんとか着手できる。大根を切って経験値6。人参(にんじん)を切って経験値4。玉ねぎを切って経験値3。鍋に水を張って火にかけたらレベルアップ。レベル3になる頃合いで、豚汁ぐらいなら食べられる。よくやった、今日もよくゲームをプレイした、と自分を褒めながら晩ごはんを食べる。

 それでも小説を書くことだけはいつまでも「小説を書くこと」として悩んでいるのが情けないと思う。そろそろ何か別の作業に見立てられないものか。ただ文章を書くこと自体は、小学一年の時にやったチューリップの花壇を整地する作業にかなり似ている。=朝日新聞2021年1月13日掲載