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菊地秀行さん「城の少年」インタビュー 吸血鬼少年の恋を描く、ロマンティックな怪奇幻想絵本

文:朝宮運河 写真は菊地秀行さん提供

尽きることのない吸血鬼への関心

――昨年12月に刊行された『城の少年』は、イラストレーターのNaffyさんとコラボした絵本です。伝奇アクションやホラーの第一人者である菊地さんが、なぜ絵本を書かれたのか。執筆の経緯を教えていただけますか。

 この本を担当してくれた編集者とは長いつき合いなんですが、彼が絵本をよく出しているマイクロマガジン社に移籍して、「絵本をやりませんか」と声をかけてくれたんです。大きな城に少年がひとりで暮らしている、というアイデアも彼から示されたもの。僕の「吸血鬼ハンター」に、子どもの吸血鬼を主人公のDが城まで送り届けるという話があって(『吸血鬼ハンター29 D-ひねくれた貴公子』)、ラストでは少年がたったひとり城に取り残される。彼はどうもそのイメージに思い入れがあったみたいでね、こういう話を描いてくれないかと。

――村を見おろす丘にそびえる大きなお城。かつて暮らしていた大勢の人たちは姿を消し、今では少年がひとり住んでいるだけ……という寂しげな情景が印象的です。

 子どもの時からお城や大きな建物が好きなんですよ。外国映画を観ていても登場人物より、背景のお城が気になってね、うっとり眺めていました。僕はひょんなことから小説家になってしまったけど、本当は絵を描く職業につきたかったんです。最初は漫画家だったけど、同時に雑誌や図鑑に載っているお城や潜水艦の「図解」が好きで、ああいうものを描く人になりたかった。どちらも画力が及ばなくて、早々に諦めましたけど(笑)。今でも海外のお城は好きで、写真集を見かけたら買ってしまいます。特に廃墟や古城、すでに滅びてしまって、前の歴史がどうだったのか想像させるものに惹かれますね。

――かつてその城に住んでいたのは吸血鬼の一族。ふもとの村人たちは城を恐れ、丘の上までやってくることはありません。少年を見かけた旅人が悲鳴をあげて逃げていく、というシーンにはラヴクラフトの短編「アウトサイダー」のような悲哀があります。

 そうですか。作家の朝松健氏にも「あそこは『アウトサイダー』ですね」と言われたけど、当人は全然意識していなかったんですよ。
 これはあちこちで書いていることですが、僕は小学5年の時に「吸血鬼ドラキュラ」という映画を観て、とてつもない影響を受けました。あの映画の吸血鬼は絶対的な恐怖の対象であり、倒すべき存在。それが頭に染みついているので、吸血鬼は人間と敵対するものだというイメージが強いんですね。ただ長く小説を書いているうちに、彼らには彼らなりの考えや苦悩があると思うようになってきて。デビュー当初のように、単なる悪役とは描けなくなってきた。この主人公はまだ半人前の吸血鬼で、仲間といても「みなと違う」と感じている。何ものでもない、中途半端な存在なんです。

――菊地さんは「吸血鬼ハンター」シリーズや『夜叉姫伝』『蒼き影のリリス』などで、吸血鬼をくり返し描いてきました。吸血鬼への強い関心は、デビュー以来一貫されていますよね。

 これだけ書いてもまだ興味は尽きません。吸血鬼も人間と同じく多面的な存在なので、牙をむいて人間に襲いかかる奴もいれば、そのことに苦悩する奴もいる。いくらでも書きようがあるので、この先も飽きることはないでしょう。吸血鬼をこれまでと違った角度から取りあげた新シリーズも書きたいんだけど、なかなか時間と場所がなくてね。出版業界も今は新しいことにチャレンジさせてくれないので、そこだけは困っています。

大人にも読んでほしい、秘めた恋物語

――そんなある日、各地を旅するロマニーたちがやってきて、城の庭にテントを張り、賑やかな音楽を奏で始めます。舞台としてイメージしているのは、東欧でしょうか。

 ルーマニアあたりのイメージですね。ドラキュラ伯爵のモデルになったヴラド・ツェペシュの城跡があるのがルーマニアでしょう。ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』には、当時ジプシーと呼ばれていたロマニーの人たちが、棺を担いで歩くという場面があります。吸血鬼と東欧とロマニーは強く結びついているんですよ。
 僕は音楽に詳しい方じゃないけど、ジプシーの音楽や踊りにも心惹かれます。忘れられないのは「ヤング・フランケンシュタイン」という映画のオープニング。そこでジプシー音楽が流れるんだけど、なんとも言えない哀愁があって、いい曲なんですよ。

――美しいロマニーの少女に恋した少年は、彼女を追って城から飛び立ちます。怪奇幻想譚であると同時に、吸血鬼と人間の切ないラブストーリーでもあります。

 城に留まっている少年と旅するロマニーの娘が出会って、恋に落ちて、別れることになる。そして数十年後に、という話ですね。正直、恋愛ものにはそれほど興味がないんです。ホラーやアクションと絡めれば書く気になるけど、ただロマンティックなものには食指が動かない。書くとしても、仄めかすくらいがちょうどいいですね。胸の奥に恋心を秘めたままで生きていく、みたいなものが好き(笑)。この作品でもいかにも幸せなシーンって書いてないですから。

――子どもよりむしろ、大人の読者にこそ沁みる物語かもしれませんね。

 そうそう。幼い頃はこういう複雑な感情が分からないから。理解できるとしても、小学校高学年くらいからじゃないですか。僕としては読者のお母さんやお父さんにこそ読んでもらいたいです。

――主人公の少年は、吸血鬼にも人間も属することができません。こうした「寄る辺なさ」も、多くの菊地作品に共通する特徴ですね。

 だとしたら書いている当人のせいですよ。昔から人づきあいが大の苦手でね。そのくせ他人には好かれたいんだけど、寄ってこられるといやになっちゃう(笑)。生まれついての性質なんでしょう。
 僕は子どもの頃、扁桃腺が腫れてよく熱を出したんですよ。実家は大衆食堂だったんだけど、店の奥に布団を敷いて、学校を休んでよく寝ていた。自分の子ども時代といったら、まずあの座敷の眺めを思い出します。こう聞くと不幸なようだけど、本人は一向に平気でしたね。好きなものを買ってもらえて、誰にも会わず、上げ膳据え膳で暮らせるわけだから。
 あの感覚が忘れられなくて、小説家になったようなものです。小説家になって何がよかったって、原稿さえ書いていれば誰にも会わずにすむこと。一歩も外に出なくていいし、お金がもらえて好きなものが買える。僕にとって、こんなにいい仕事はなかったですね。

――『城の少年』の絵を担当されたNaffyさんは、自主制作した絵本『Mou』で注目された気鋭のイラストレーターです。完成した絵をご覧になっての感想は。

 まったく文句なしです。イラストレーターと仕事をする時は、いつもほとんど口は出さないんですよ。僕の中にも思い浮かべているイメージがあるけど、イラストレーターにも独自のイメージがあるはずだから、それを優先してもらいたい。案の定、Naffyさんが描いてきたキャラクターや構図は、こちらの想像を超えていました。
 特によかったのは、ロマニーの少女がカスタネットを持って踊っている見開き。構図といい色使いといい、あの絵にはぐうの音も出なかったです。唯一直してもらったのは少年の影ですね。半人前の時代にはまだ影があって、一人前の吸血鬼になると影がなくなっている、という風にしてもらいました。

――物語の後半には、剣を携えて馬に乗り、吸血鬼を追っている「黒づくめの若者」が登場します。ひょっとしてこの若者の正体は……?

 そこは想像にお任せします。読んだ人から出版社に手紙が来たらしいんですよ。「あの黒い服のお兄さんの正体が、いくら読んでも分かりません」って(笑)。作中で一切明かしてないので、これは誰だと思っても無理はないですね。某シリーズの主人公と思ってもらってもいいし、ただの謎めいた旅人ととらえても構いません。どちらの読み方でも、楽しめるんじゃないでしょうか。

ホラーは決して滅びない

――菊地さんご自身は、子どもの頃どんな本を読まれていましたか。絵本や児童書で印象に残っている作品はあるでしょうか。

 ないです。だって子ども向けの本ってつまらないんだもの。ホラーだと『フランケンシュタイン』や『ジキルとハイド』が児童文学全集に入っていましたけど、大人の小説を子ども向けにやさしく書き直しても、面白くもなんともないんですよ。海外の怪奇小説が子ども向けに翻訳されるのは、もっと後になってからですね。
 むしろ夢育んでくれたのは漫画ですね。当時は月刊誌の全盛期で、『鉄人28号』が連載されていた「少年」だとか、面白い雑誌が各社から出ていた。さっき言ったように体が弱かったもので、布団に寝そべってよく読んでいました。さらにイマジネーション豊かだったのは貸本漫画。月刊誌よりもどぎつい作品が多くて、これにも夢中になりましたね。

――やはり怖い話を中心に読まれていたんでしょうか。

 いやいや、田舎の貸本屋の品揃えなんてたかが知れていますから、選り好みしている余裕なんてない。読めるものなら何だって読みましたよ。当時、貸本漫画の四巨頭と言われたのが、小島剛夕さん、白土三平さん、楳図かずおさん、水木しげるさん。この人たちの漫画があれば欠かさず読んでいました。小島剛夕さんはアクションものでも怪談ものでも、何を描いても面白くてね。水木しげるさんの『墓場鬼太郎』も、後年の『ゲゲゲの鬼太郎』よりずっと不気味で面白かった。

――子どもの頃は、怖がりなタイプでしたか?

 それはもう、大変な怖がりでしたね。具体的に何がっていうんじゃなくて、夜暗い部屋で寝ているのが怖い。そんな時に限って、昼間映画で観たお岩さんやろくろ首、貸本漫画で読んだ怖い絵を思い出すんですよ(笑)。たとえば同じ怪談映画を観ていても、気の強い奴っていうのは映画館を出たらころっと忘れちゃうんです。ところが僕みたいな人間は、そのイメージにとっ捕まって、一晩中忘れられない。ホラー作家になるような人間は、案外こういうタイプが多いような気がします。
 ちょっと話はずれますが、僕が子どもの頃はまだ戦争の記憶が色濃くて、近所の家にも機銃掃射の弾痕が残っていたりしました。親からも戦時中の体験をいろいろ聞かされてね、あれは聞きたくなかったな。あの怖さに比べたら、お化けの怖さなんて罪がないと思いますよ。

――子どもに怖い本を読ませるのはいかがなものか、と考える方もいるそうですが、そういう意見についてはどう思われますか。

 うるさくしても意味がないんじゃないですか。親がどうこういっても、読みたい子は勝手に読みますから。僕だって「そんなに気持ち悪い本を読んで」といわれながら、貸本漫画を読んでいました。
 一口に怖いものといっても、目を覆いたくなるような残酷な話もあれば、お化けが出てくるファンタスティックな話もある。少なくとも後者については、遠ざける必要がないと思います。好きな方なら共感してもらえるでしょうが、優れたホラーには「怖いのに感動する」という不思議な感覚がある。幼い頃からそういう感覚を養っておけば、その道に進むのに役立つかもしれない。怖い話を読んで死んだ人はいないんですから(笑)、安心して読んだらいいんですよ。

――ここ最近、雑誌『幻想と怪奇』が復活したり、書き下ろしアンソロジー『異形コレクション』が再スタートしたりと、ホラー小説が盛りあがっているように思えます。こうした動きを、大ベテランである菊地さんはどうご覧になっていますか。

 うーん、そうだなあ。長続きすればいいとは思っていますよ。ただホラーが求められているというよりは、出版業界がどこも厳しくなってきて、ホラーを書いても許される状況になった、という方が正しい気がします。ホラーがさらに脚光を浴びるには、力のある書き手が何人も出て、ヒット作を連発しないといけないでしょうね。
 まあ、もっともホラーというのは恐怖や残忍さといった人間の暗い面を扱うジャンルなので、脚光を浴びるというのも無理な話なんですよ(笑)。でも決して滅びることはないと思う。ブームと沈静化をくり返しながら、脈々と受け継がれていくのが、ホラーというジャンルなのだろうと思いますね。