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記憶がねじ曲げられる現実を予見 「密やかな結晶 新装版」など辛島デイヴィッドさんが薦める新刊文庫3冊

辛島デイヴィッドが薦める文庫この新刊!

  1. 『密(ひそ)やかな結晶 新装版』 小川洋子著 講談社文庫 902円
  2. 『晩夏 少年短篇集』 井上靖著 中公文庫 946円
  3. 『庭』 小山田浩子著 新潮文庫 649円

 (1)鳥、バラ、小説。生活を彩る物の記憶が次々と消えていく島。そこでは記憶を手放さない住民は、秘密警察に消されてしまう。主人公の小説家は、多くを奪われ、追い詰められるなかでも、物語を紡ぎ続ける。第二次世界大戦下で書かれた『アンネの日記』にインスピレーションを受けた本作が日本で刊行されてから四半世紀。大きな力により記録や記憶がねじ曲げられるなか、この現実を予見した物語として、世界中で広く読まれている。

 (2)幼少期の記憶は創作の種の宝庫。昭和を代表する作家が「少年」を主人公に書いた短編を集めた本著では、飾らない文体が少年たちの魅力を存分に引き出す。常に大人の世界に片足を踏み入れている子どもたちだが、そこで芽生える複雑な感情を言語化する術をまだ持ち合わせていない。それでも、大人の心の動きを敏感に察し、秘密を胸にしまい込み、別れや死を乗り越える。繊細でたくましい少年たちに思わずエールを送りたくなる。

 (3)里帰りする夫婦、レストランでランチを楽しむ友人、動物園を訪れる家族やカップル。日常の何げない一場面、なんて油断してはいけない。虫や鰌(どじょう)から「義祖母」まで、小山田浩子の「庭」には得体(えたい)の知れない生物がうじゃうじゃ住みついている。自分がかけているこの眼鏡、実は虫眼鏡になったり、双眼鏡になったりする変幻自在の優れものなのでは。そう疑いたくなってくるが、不可解に見える風景が呼び覚ます感情はとてもリアルで切実だ。=朝日新聞2021年1月23日掲載