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藤原印刷 個人やデザイナーに愛される兄弟の決意「紙の本でも、一人ひとりの思いと一冊に寄り添う」

藤原隆充さん(左上)と藤原章次さん(右上)=西田香織撮影

 家業の印刷会社を継いで、新しい風を吹かせる兄弟がいる。

 長野に本社を持つ藤原印刷の藤原隆充さんと章次さんだ。企画の段階からデザイナーやクリエイターから、クチコミで相談が寄せられる印刷会社の二人として注目を集める。

 兄の隆充さんは「『できません』を言わないから、『どうしようか』が生まれる」と話す。作り手の「こうしたい」にとことん寄り添い、複雑な造本を可能にする印刷会社の挑戦について聞いた。

使用済みダンボールの表紙と手描きのタイトル

 最初に、藤原印刷が手がけた前代未聞の写真集を紹介したい。

 クリエイターのケイタタ/日下慶太さんが自費出版した『隙のある風景』だ。使用済みダンボールを表紙に使い、ガムテープで手製本している。表紙のタイトルは、著者がすべて手描きしたという。

 手製本まで印刷会社が受注することに衝撃を受ける。手間を考慮すれば、断る会社もあるだろう。

 それでも、章次さんは、「『手間とお金がかかります。それでもやりますか?』とお伝えするのが大事。『できません』とジャッジするのは僕らじゃないんです」と話す。隆充さんも、「唯一うちらが無理と言うのは、安くて早い仕事です」と軽やかだ。

取材は、東京支店から長野の本社にいる隆充さんとオンラインでつないで行われた。

祖母が長野で立ち上げた会社

 長野県松本市に本社がある藤原印刷は、ふたりの祖母にあたる藤原輝さんが、1955年にタイピストとして独立し、「藤原タイプ社」を創業したのが始まりだ。

 後に自宅を改造してドイツ製の印刷機を購入。約50年前に東京に進出し、多摩エリアや三鷹を経て、御茶ノ水に移転。ここから教育書系の出版社との取引が広がった。

 隆充さんは、小さい頃から「なんとなく、家業を継ぐと思っていた」と話す。学校帰りに父親と母親が働く仕事場に行ったり、夏休みや冬休みなど長期休暇の際は兄弟で松本の工場で仕事の手伝いしていた。大きな転機は15歳のとき、創業者である祖母との別れだった。

 「本当にたくさんの人が祖母にさよならを言いに来てくれて感動しました。この人の血を継いでいることを誇りに思わないといけない。祖母が作った会社をもっとみんなに知ってもらいたいと思いました」

兄弟が「家業を継ごう」と思うまで

 藤原印刷に入社する前に経営を学ぼうと考えた隆充さんは、新卒でコンサルティング会社に就職し、後に印刷会社とは真逆のITベンチャーで働いた。後に、そのITベンチャーで、兄弟は一緒に働くことになる。

 「大学3年のときに、兄貴の会社で働いて。兄貴と机が隣同士になって、一緒にテレアポしたり会議に出たり。その半年間がものすごく楽しかったんです」

 「就活しなきゃってときに、兄貴とほとんど毎日、一緒に家を出て、仕事して、一緒に帰る。今でもそうなんですけど、何をやりたいかじゃなくて、誰とやりたいかが大事で。兄貴とやったら仕事楽しいだろうなと。それが僕の転機ですね」(章次さん)

 一緒に働いたことで、ふたりは話し合い、「兄弟で家業を継ごう」と決意。まずは2008年に兄が入社し、後に弟が2010年に入社した。

クリエイターとつながる新たな挑戦

「僕と弟が入った段階で、再販点数や初版部数がジワジワ減っている状況でした。長期的に会社を発展させるために、何をしたらよいのか毎日メールをして、毎週のように会って話していました」

隆充さんは入社当時をふり返る。

 出版市場は、1990年代後半をピークに下落し続け、入社時から出版不況と言われていた。

 9年前、同じ業界の先輩に相談しにいったという。章次さんは語る。

 「出版社以外のお客さんを増やすためにどうしたら良いかを相談したら、『デザイナーさんに営業してみたらいいんじゃない?』と。そのときのアドバイスが印象的で、『有名なデザイナーさんじゃなくて、これから一緒に伸びていく若手のデザイナーさんにアプローチした方がいい』と言ってくれたんです」

 ふたりは、オフィスの近くにある三省堂書店神保町本店で、デザイナーズファイルを購入し、グラフィックをやっているデザイナーに自らメールや電話をして、「ぜひ会ってください。どんな面倒くさいことでも一緒にお仕事したいです」と伝えた。すると驚くほどたくさんの人が会ってくれたという。

章次さんは、すでに他の印刷会社と取引をしている状況で、後から営業しているにも関わらず、こんなにも多くのデザイナーが会ってくれる理由は、「これまでに印刷や製本の仕上がりや営業の対応などに関して満足できなかった経験があり、もっとこうして欲しかったのにというもどかしさを多くのデザイナーが持っていたからだろう」と話す。

大学生が創刊したファッション誌との出会い

 ターニングポイントになったのは、あるファッション誌の再版だ。

 2012年、当時の現役大学生が創刊し、モデルの水原希子さんが表紙を飾った『N magazine』は、すぐさま完売するなど注目を集めていた。

左は初版、右は藤原印刷が手がけた再版。

 「すごい大学生がいる」。章次さんは、すぐに連絡を取った。

 「Twitterのアカウントに、『こんな素敵な雑誌を作るなら、ぜひ印刷させてください』と連絡したら、『もう印刷しません』と。なぜかと言うと、仕上がり(の色)が悪すぎたから」

 「カメラマンさんとかヘアメイクさんなど、協力してくれたクリエイターの方達から、自分たちが撮った写真の色が印刷で大きく変わっていて残念だと言われて。彼は売れたよろこびよりも、関わってくれた人たちが悲しんだことにショックを受けていたんです」

 「その雑誌をデザインした方を紹介してもらって『うちはプリンティングディレクターというプロ職人がいますので、ぜひ次は綺麗に印刷させてください』『1回目のお金の半額で、倍作ります。2号目の資金になりますよね』と赤字覚悟で提案して。色見本を全部もらって、2回目を刷ったんです」

 当時、藤原印刷が本文全ページフルカラーの本を手がけることは年に1、2回しかなかった。偶然にも章次さんと同じ日に、プリンティングディレクターが藤原印刷に入社しており、社内にもカラー印刷が得意な職人もいて、ファッション誌の印刷が可能になったのだという。

章次さんは「この初版と再版の見本を持ってデザイナーさんにアタックしたんです。『これ全く同じデータなんですよ。でも仕上りが全然違いますよね? 同じデータでも印刷会社によって品質は全く異なるんです』と。僕にとって大きな武器となる1冊になりました」と話す。

「1枚ずつ本文の紙を変えられる?」

 あるとき、兄弟の共通の知人から、「雑誌を作るから、相談できないか」と声がかかった。

 インテリアショップ「IDÉE」(イデー)創業者で、青山でファーマーズマーケットを運営する会社の代表の黒崎輝男さんから「1枚ずつ全部中身の紙を変えられるか」と相談された。1枚ずつとは、つまり2ページずつ赤、青、白……と色を変えられないか、ということだ。

 章次さんは、「できますよ」と答えた。ただ、2ページごとに色を変えるのは、お金も時間もかかる。ふたりは、「本は16ページが一折なので、最初の16ページはコート紙、次の16ページはマットコート紙にして、折ごとに(紙を)変えませんか?」と提案した。

 それだけでは物足りない、と思われる可能性もふまえ、さらなる提案も添えた。

 「例えば、4000冊を作る場合、コート紙から始まるAパターンを2000部。茶色い紙から始まるBパターンを2000部。さらに『本文の紙だけじゃなくて、表紙も5、6種類作ってかけ合わせれば全部で12パターンになります』と言ったんです。そしたら、黒崎さんが『いいね。やろう』と(笑)」

表紙には3種類の表・裏で色が違う紙を使い、両面を刷ってそれぞれ表紙に。

複雑な仕様を形にする現場の真剣勝負

 こうして完成した『NORAH』の創刊号。本文や表紙の紙によってニュアンスが異なる、印刷と製本の工夫が詰まった雑誌が誕生した。デザイナーは、見本を渡した瞬間に「すごく綺麗だね。何したの?」と喜んでくれたという。

 実際、この複雑な仕様を作り上げるには、現場や製本会社との理解と協力が欠かせない。「普段の5、6倍手間はかかる」という。調整は隆充さんが担った。

 「専門的な話ですが、紙を取り換えて、すぐに印刷スタートとはいかなくて。水の供給量のバランスやインキの量など、紙が変わるごとに調整するんです。機械の設定値も、硬い紙、柔らかい紙、コシのある紙……。全部設定を変えるんですよ」

2000部ごとに本文用紙の使用順を変えた『NORAH』。ミスのないよう細心の注意が払われた。

 「ただ、途方もない時間がかかっちゃうから、許容範囲を相談させてくれ、という話を弟にして、お客様にも了承をもらっていたんだけど、その話を現場にしたら、『そんなんじゃ俺らの現場から送り出す印刷物として恥ずかしい』と、結果的にすべての紙をベストの状態に調整して印刷をしてくれました」

 「現場がどんな手間のかかる仕事に対しても、真剣勝負しようと言ってくれたのは嬉しかったです」

隆充さんは、製本会社にも、ただ部数や仕様を伝えるのを止めて、本が生まれる背景や、伝えたいメッセージを説明することから始め、理解してくれる会社と仕事をすることに決めた。(提供画像)

「印刷屋の本屋」が生まれた理由

 最近では、クリエイターの作品を広く届けるために、「印刷屋の本屋」を始めた。「きっかけは、かもめブックスの栁下恭平さんがチャンスをくれたイベント出展だった」と章次さんは話す。

 「最初に、栁下さんと『100年後あなたもわたしもいない日に』(文鳥社)を作らせてもらって。柳下さんに、『本文中、型抜きしたいんです』と言われて、本文、型抜くんかい! と(笑)」

 本文が、「丸」や「四角」に抜かれても、(印刷や製本の)機械に通せるかを現場で検証した。台割は、16ページの折ではなく、4ページや8ページなど不規則に細かく割られたという。

 無事に完成した後、かもめブックスが出展する出版社のブックイベントに誘われ、印刷会社として販売はせず、展示のみで唯一参加した。

(提供画像)

 「『これいくらですか?』ってたくさんの人が聞きに来てくれて、造本に興味を持って買う人も多いので、イベント限定で印刷屋の本屋をやろうと2018年から始めました。新型コロナウイルスの影響でイベントが無くなったことで、オンラインストアも始めました」

 「個人出版する方は、本業が出版ではないことが多く、本屋さんに自ら営業することが難しいという声をたくさん聞き、納品しておしまいじゃなくて、どうやったら1冊でも多く届けられるか。印刷会社の立場で著者さんと一緒にできることを考え続け、SNSでの発信やリアルでのイベント、オンラインショップでの販売などができると思い、出来ることから始めて続けていますね」

紙に印刷するから生まれる価値

 ネット上に情報があふれる現代。あえて紙に印刷する価値とは何か。訊ねてみると、二人はそれぞれの言葉で表現した。

 隆充さんは「僕は、本は“小さい家”だと思ってるんですよ」と語った。

 「家は、建築家や設計士がいて、木材や床材、壁材を何にするか、自分の理想や大事にしていることを込められる。高価な買い物なので一生に1回くらいしか経験できないですが、本はそれよりも手軽な値段で、自分の哲学や思想を詰め込むことができます」

 「藤原印刷は、建築家ではないんですけど、図面を引ける工務店なんですよ。その人の作りたいものを、ちゃんと仕様設計に落とし込んでいける。もちろん建売りの住宅を欲しい人もたくさんいるんですけど、ちゃんと建築家さんと話し合いながら、お金をかけて作りたい人も一定数いて、むしろそういう人が増えているような感覚が、僕らにはあるんです」

 章次さんは、「僕は、紙を作るって人を幸せにすることだと思う」と表現した。

 「僕と兄貴に個人出版の声がかかるものは、やっぱり何かをこだわって作りたい人。作ることに苦しんでいる人は一人もいない。だから、まず本を作ったことによって、作った人が幸せになる。今度は、それを届けた相手や購入した方が、それを読んだり、持ったりすることで幸せになる」

 「時代が変わって、その数は1万人、5万人じゃなくて、1000冊なら1000人、500部なら500人でいい。単位が小さくても、その幸せを、色んな方が色んな形で表現していく。それが今の紙の価値になっているのかなと思います」

青山ブックセンターの初めての出版プロジェクトとなる発酵デザイナー・小倉ヒラクさんの写真集『発酵する日本』では、デザインから印刷・製本までを手がけた。既存のビジネスモデルの限界と向き合い、粗利を上げるため、著者と書店と印刷会社だけで作った。

採用に150人が応募する印刷会社の未来

 2021年の年始、藤原印刷のnoteに採用募集を掲載しところ、150人以上から応募が寄せられた。ここ1、2年は人材紹介会社に依頼しても、月に1人も推薦されず採用できない期間が続いた。今まで一緒に仕事をした多種多様な人たちに、「よかったら藤原印刷の採用のツイートをシェアしてもらえませんか」と兄弟で一人ひとりにお願いしたら、多くの人が拡散してくれたのだという。

 斜陽といわれる印刷業界で、多くの人たちが「働きたい」と思う印刷会社が生まれている。

 クリエイターの「作りたい」に寄り添い、本づくりを応援した結果だろう。大量生産が強みだった印刷業界において、一人ひとりに寄り添うオルタナティブな価値が浮かび上がる。

藤原印刷は、一文字一文字に心を込め一冊一冊を大切にしながら本をつくる「心刷」を掲げる。

 隆充さんは、「お客さんにヒントをもらって、それを実現させてきた」と歩みを振り返る。

 今後も「何をやるかよりは、一人ひとりのお客さんに耳を傾けて、その人を満足させることが出来て、お客さんが幸せになったり笑顔になったりすることにつながる活動をやっていきたい」と前を向く。

 章次さんも、「印刷会社って、どんな業界でも、どんな年齢でも、どんな職種の人とも、お仕事が出来るのが強み」と力を込めた。

 「すぐに紙の印刷にならなかったとしても、誰かデザイナーいないかなとか、困りごとを受ける側に絶対になっていく。根本は印刷なんですけど、紙や印刷を超えてお願いされるポテンシャルがあると、僕らは信じています」