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東山彰良のTurn! Turn! Turn! #24 シュガーロード 愚直さ誇らしい老店主の銘菓

文:東山彰良 写真:河合真人

 私ほどの物知らずもいない。

 作家たるもの、あらゆる無理難題に対して一家言あるとたいていの人が思っている。愛や生老病死については言うにおよばず、政治経済や古今東西の文化風習に通じていなくてなんの作家ぞ。

 ところがこの私ときたら、酒や音楽や旅にしか興味がない。作家という身の上でありながら、小説のことすらよくわからない。ときにこれは困ったことになる。読んでも理解できない古典名著は数知れずなのに、知ったかぶりをしなければメンツが立たぬ局面に頻繁に直面するのだ。そんなとき私はいつも背中にびっしりと冷や汗をかきながら、よく知りもしないロシアの作家などを持ち出して相手を煙に巻く。

 まあ、ドストエフスキーが言いたかったのもけっきょくそういうことだよね、トルストイだって晩年は家出して異郷で客死したんだから、彼が生涯をかけて描いてきたのはとどのつまり、あきらめということなんじゃないかな――。

 このご時世、ドストエフスキーやトルストイを精読しているやつなんてまずいないので、この手はなかなか効く。効かないわけがない。だって、およそ読む価値のある小説で、あきらめについて書かれていないものなどないのだから。

長崎街道を散策する東山彰良さん。通りの両側には多様な歴史的建造物が並んでいた=佐賀市

 こうなったらもうあきらめて打ち明けてしまうが、長崎から小倉にかけて延びる「シュガーロード」なるものの存在を私が知ったのは、ごくごく最近のことである。

 長い話をつづめて言えば、シュガーロードとは要するに「長崎街道」の別名だ。江戸時代にポルトガルから入ってきた砂糖は、この街道をとおって全国各地に運ばれた(砂糖だけでなく、商人や藩士やオランダ商館員、ゾウやラクダなんかも行き交っていた)。

 長崎ではかつて甘さが不十分な料理や菓子を腐(くさ)して「長崎の遠か」などと言っていたらしい。つまり長崎の料理や菓子の本来あるべき甘さには程遠い、砂糖は長崎から離れれば離れるほど貴重になるからケチりやがったなこの野郎、くらいの意味だ。なんと風流かつ愉快な言い回しだろう。これに倣えば、たとえばメキシコはシナロア州を拠点とする犯罪組織、シナロア・カルテルの供給する麻薬が流通の過程で混ぜ物だらけになったとき、つぎのように言うことができる。

 どげんしたとやゴンザレス、今日んとはシナロアの遠かあ!

街道を散策したあと、メモをとる=佐賀県神埼市

 では、なぜ私がシュガーロードにたどり着いたのかと言えば、いまだ緊急事態宣言下にあった2月某日、佐賀県にて図書館関連のイベントがあった。それに呼ばれて登壇した折に、お土産にいただいた菓子が思いのほか美味だったのである。しかし水を差すようで申し訳ないが、その菓子名をここで明かすわけにはいかない。製造元の菓子舗がマスコミに露出することを嫌っているのである。

 いまだ肌寒い3月のある日、私は博多駅から特急電車に乗って佐賀へ赴いた。マスコミに取り上げられたくないというなら、それも致し方がない。それでも、私はもう一度あの美味(うま)い菓子が食いたかった。

 昭和のあたたかな陰影を残した菓子舗は、佐賀駅から歩いて20分ほどの路地裏でひっそりと営業していた。老夫婦が切り盛りしているのだが、マスコミ嫌いから連想されるような頑固一徹で居丈高なところは微塵(みじん)もなく、気さくに私の質問に答えてくれた。

 老店主はもとは自動車修理工をめざしていたが、昭和38年、25歳のときにこの菓子舗を構えた。歳を取ったせいで、多くの客に対応するのがしんどいのだと言う。過去にマスコミに取り上げられててんてこ舞いした経験上、同じ轍(てつ)を踏むまいとしているのだ。せめて菓子名だけでもと同行のR記者が粘ったが、人間あきらめが肝心だと心得ている私はさっさと自分の食べるぶんを購入し、取材というよりは短い世間話を切り上げたのだった。

夕暮れ時、長崎街道沿いに唯一現存する「ひのはしら一里塚」に上った。田園風景が広がる=佐賀県神埼市、河合真人撮影

 この店の菓子を食べると、私は子供の頃から変わらず愛してきた台湾の「太陽餅(タイヤンピン)」を思い出す。ひと口かじれば口のなかの水分をみんな持っていかれるパッサリとした太陽餅は、佐賀の銘菓とは見た目も味もまるで違う。太陽餅は丸型で、こちらは四角である。だけど、どちらも余分なものがいっさい入っておらず、長い時間を経て角(かど)が取れたような、腰は低いけれど唯我独尊の味わいなのだ。

 太陽餅はそのむかし、台中の太陽堂でしか買えなかった。大人たちが台中へ行くと聞きつければ、私はうるさくせっついて太陽餅を買ってこさせ、後生大事に少しずつ食べたものである。その太陽餅もずいぶん前から台湾の空港で買えるようになった。気軽に手に入るようになったぶん、かつての人情味や有難味(ありがたみ)はいつしか失われてしまった。

 今やネットでなんでも簡単にお取り寄せできる時代だ。その流れのただなかにあって、店舗名を明かすことすら潔しとしない老店主のつくる佐賀県の銘菓は、ひょっとするとそう遠くない未来に失われてしまうかもしれない。いちファンとしては至極残念だが、太陽餅がたどったような大衆路線に逆行するこの愚直さを誇らしくも思う。

 ああ、なにかを得るためには、なにかをあきらめるしかないのだ。私にできるのはまたぞろ特急電車に飛び乗って、まるで小説を書くように菓子を焼く老店主のいる店へ足を運ぶことだけである。=朝日新聞2021年3月27日掲載