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岡崎琢磨『貴方のために綴る18の物語』 無記名のラブレター 【先行公開#5】

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4. 無記名のラブレター

 その日、うちの中学校は一学期の期末テスト期間中で部活動がなかった。放課後、校舎の昇降口にある靴箱からスニーカーを取り出したとき、一枚の紙がひらりと落ちた。
 スニーカーの上に載せられていたものらしい。紙の行方を目で追うと、それはヘッドスライディングをするように簀(す)の子の上をすべり、二メートルほど先で止まった――折しもそこにやってきた、入山冬子の上履きの爪先で。
 舌打ちしたい気持ちをこらえ、ぼくはスニーカーを元の位置、靴箱の一番左上のマスに戻す。制服のズボンのポケットに両手を突っ込み、すでに紙を拾い上げて見入っている入山に近づいた。
「原田くん。これ、ラブレターだよ」
 入山は目をキラキラさせて言う。クラスメイトだが、そんなにしゃべったことはない。明るくて奔放で、だが特定のグループに属している様子はなく、何を考えているのかよくわからない女子だ。何も考えていないのかもしれない。
 ぼくは困惑しつつ訊き返す。「ラブレター?」
「ほら見て」
 入山が差し出した紙を受け取る。クリーム色の犬のキャラクターが描かれた、いかにも中学生の女子が好みそうな、トレーディングカードくらいのサイズのメモ用紙だ。その真ん中に、これも女子っぽい丸文字で、次のように記されていた。
〈好きです。付き合ってください〉
「わたし、すごいもの見ちゃった」
 こっちはこっちで中学生の女子らしく、人の色恋沙汰に興奮気味だ。
「テスト期間中にコクるなんて、大胆っていうか、余裕あるっていうか」
「花火大会に、彼氏と行きたいんだろ」
 今年の地元の花火大会は二日後、期末テストの最終日と同日に開催される。中高生がカップルで行くのが定番となっており、この時期は新学年が始まってほどよく日が経っていることとも相まって、同級生が付き合ったのどうのという噂をしばしば耳にする。
 ふむふむとうなずいたあとで、入山が上目遣いで訊ねてくる。
「で、どうするの」
「どう、って」
「付き合うのかって訊いてるの。この子、原田くんのことが好きなんだよ」
「あらためて強調しなくていいって」
「付き合うの、付き合わないの」
 ぼくは手紙に目をやって、
「でも、付き合うったって、誰と」
「決まってるじゃん、この手紙を書いた子と……あれ。言われてみれば、名前がないね」
 手紙には、簡潔な本文があるばかり。差出人を示す文字はどこにも記されていなかった。
「何で名前、書かなかったのかな」
「さあ。おっちょこちょいなんじゃないの」
「心当たりは?」
「ないね。ぼくなんか、モテそうに見えないだろ」
 入山はぼくの言葉を無視して、面倒な提案をしてきた。
「誰が書いたのか、突き止めようよ。わたしも協力する」
「どうして。入山さんには関係ないじゃないか」
「いいじゃん、手紙を拾ったのも何かの縁だし。原田くんだって、誰に告白されたのか気になるでしょう」
「別に。どうでもいいね」
「はぁー! どうでもいいわけないじゃん。誰かわかんないと、返事もできないんだよ。無視なんて一番だめ。この子、傷つくよ」
「名前を書かないのが悪いよ」
「いいから、手紙貸して」
 有無を言わさず、ラブレターを奪われた。入山はあごに手を当て、考え込んでいる。
「この手紙の主を突き止めるには……」
「入山さんの好奇心、どっから湧いてくるんだよ」
「わかった! 筆跡を調べればいいんだ」
 誰でも思いつきそうなことを、さも名案であるかのように言う。
「筆跡って、どうやって」
「職員室に行けば日誌があるよね。そこに、クラス全員分の文字が書かれてるはず」
 うちの中学校では毎日、クラスの中から男子と女子が一名ずつ、それぞれ出席番号順に日直を務めることになっている。出席番号は氏名の五十音順に決まっており、男子が先、女子があとだ。
 日直は一日の終わりに、日誌にそれぞれ二、三行のコメントを書き込む。ぼくや入山のいる二年三組は総勢四十人で男女はちょうど半々、登校日が二十日あれば日直が一周する計算だ。つまり、およそ月一ペースで日直が回ってくる。一学期の終わりも近いこの時期なら、当然ながらすべてのクラスメイトが日直を経験済みというわけだ。
「うちのクラスの生徒だとは限らないと思うけど」
「だったら、違うクラスの日誌も見せてもらえばいいよ」
「時間がかかりそうだな。ていうか入山さん、帰るところだったんだろ。テスト勉強しなくていいの」
「気になって勉強が手につかないほうがまずいって。ほら行くよ」
 本音を言えば帰りたかったし、入山にはこんなことに首を突っ込んでほしくなかったが、彼女はぼくをつかんで放さない。かたくなになるのも変なので、仕方なく職員室へ同行することにした。
「失礼しまーす……」
 二人して小声で言いながら、校舎の一階にある職員室に入る。二年三組の担任教師のもとへ行き、日誌を見たいと話すと、担任は理由も聞かずに日誌を貸してくれた。
 入山は職員室の外の廊下に出るなり日誌を開く。一ページ目には合庭という男子と浅野という女子のコメントが並んでいる。二ページ目は秋元と目の前にいる入山冬子、三ページ目は牛尾と江本……といった具合。几帳面(きちょうめん)な字でその日の出来事を細かく書いている生徒もいれば、明らかにやっつけで書いたとおぼしきコメントも見受けられるなど、内容は日によってまちまちだ。
「原田くんのことを好きなのが女子だとは限らないけど、この手紙の文字はどう見たって女子のそれだよね」
 入山はそう言いながら、女子のコメントの筆跡だけをチェックしていく。やがて、彼女の視線があるページの上で定まった。
「この字だ。間違いない」
 ぼくも日誌をのぞき込む。そして、心臓がどくんと跳ねた。
 仲村かずさ――それは、ぼくが恋をしている女子だった。
 予期していたことではあったのだ。しかし判明してみると、現実だとは受け入れがたい。
「かずさちゃんかー。ちょっと意外。原田くん、仲よかったっけ?」
 もっとはしゃぐのかと思いきや、入山は冷静である。仲村とは、そこまで親しくないのかもしれない。
「いや、まあ、たまに話す程度かな」
 動揺を押し隠しつつ答える。入山はひとりで日誌を担任に返しに行き、廊下に出てくるとぼくの腕を引っ張った。
「相手が誰だかわかったんだし、いまから返事しに行こう。かずさちゃん、まだ教室に残って、手紙を読んだ原田くんが来るのを待ってるかも」
「放せよ。一晩くらい考えさせてくれたっていいだろ」
「こういうのは、早いに越したことないんだって。OKするならまだしも、気を持たせたあげく振ったりでもしたら、それが一番だめ」
 無視が一番だめなんじゃなかったのか。さすがに入山と教室に戻りたくはなかったので、ここは抵抗した。
「興味本位でひっかき回すのやめろよ。これはぼくと仲村さんの問題だろ。もうほっといてくれ」
「手紙の主が誰なのかを突き止めてあげたのに、その態度はなくない?」
「頼んでない。とにかく、ぼくは教室には行かない」
 入山はぼくの腕をつかんだまま食い下がったが、腕力で勝るぼくのほうが彼女を無理やり引きずって、昇降口へ向かう。と、うちのクラスの靴箱の前に、二人の女子がいた。ちょうど帰るところだったらしい。
「ねえねえ、かずさちゃん、まだ教室にいた?」
 すかさず入山が訊ねると、女子のうちのひとりが、ぼくらの取り合わせをめずらしいものでも見るかのようにながめたあとで答えた。
「だいぶ前に帰ったよ。なんか、用事があるとか言ってた」
 その用事というのが、靴箱にラブレターを入れることなのかもしれない。今日中に読んでもらいたければ、相手より先に靴箱に行かなきゃいけないわけだし、ただちに返事を欲していないのなら、そのまま帰るのが自然ではある。逆に、もしすぐに返事が欲しいのなら、手紙ではなく面と向かって伝えるか、せめて手紙を直接渡すのが筋だろう。
「はぁー、そっか。ありがとう」
 入山は残念そうな顔をしつつ、女子二人を解放した。彼女らを見送ったのち、ぼくは入山に向き直る。
「仲村さんだって、じっくり考えて答えを出してほしいに決まってるよ」
「そうだねえ」
「あとはこっちで対応しとくから、今日はもう帰ろう」
「わかった。仕方ないね」
 仲村が帰ってしまったとあってはどうすることもできないと思ったのか、入山は素直にしたがう。簀の子の上に降り、横八列縦六列の靴箱の真ん中あたりから自分のスニーカーを取り出して地面に落としたところで、こちらを見て言った。
「何、ぼーっと見てるの。原田くんも帰るんでしょ」
「ああ、ぼく、その前にトイレに行こうと思って。じゃあ、ここで」
 ぼくは彼女に背を向けて、昇降口を離れようとした。ところが、
「待って」
 入山に呼び止められてしまった。
「まだ何か?」振り返る。
 入山の視線は、錐(きり)のように鋭かった。
「うかつだったよ。この靴箱、使う生徒の名前が書かれてないからね。さっきは見逃しちゃった」
 またしても舌打ちが出そうになる。いまさら気づかなくたっていいのに。彼女の好奇心の強さが恨めしい。
「自分の靴を取り出して、思い出したよ。靴箱も、出席番号順に並んでるんだ。一番左上にあるのが、原田くんの靴であるわけがない」
 個人情報保護のためなのか何なのか知らないが、うちの中学校の靴箱には、使用する生徒の名前が表示されておらず、出席番号すら振られていない。しかし、ここで靴を履き替えるわけだから当然、そこには常に誰かの靴か上履きが入っているわけで、生徒が使用するマスは年間を通して決まっている。新学年のスタートとともにそれを確定させ、以後は自分のマスを憶えて使うことになるのだが、マスの位置はよほどのことがない限り出席番号順に並んでいる。一番左上が出席番号一番、そこから右に二番、三番と進み、下の列も同様である。出席番号は男子が先なので、男子が上を、女子が下を使うのは、身長の観点からもおおむね理にかなっていると言える。
 靴箱の左上を見る。先ほどそこに入っていたスニーカーは、いまはもうなくなっており、代わりに上履きが残されていた。ぼくらが職員室に行っていたあいだに、主が帰ってしまったのだろう。
「そう考えると、ラブレターが無記名だったのも納得がいく。普通は、差出人の名前を書かずにラブレターを出すという行為にメリットなんてない。せいぜい、偽のラブレターを受け取った人の反応を見て楽しむといった、ドッキリみたいなことができるくらい」
 だけど差出人の名前を書く必要がない場合もある、と入山は続ける。
「それは、名前を書かずとも、受け取った人に差出人が誰であるかが伝わる場合。たとえば今日、かずさちゃんはあらかじめ、相手に耳打ちしておいたのかもしれない――靴箱に手紙を入れておくから見といて、とね」
 なるほど、と感心する。それなら差出人の名前はいらない。ほかの誰かに見られたら恥ずかしいなどの理由で、あえて名前を書かないことも考えられる。
「わたしは原田くんに、差出人の心当たりはあるのかと訊ねた。そこで『ない』という答えが返ってきたから、わたしたちは差出人を突き止めなくてはならなくなってしまった。でも本当は、こんなの謎でも何でもなかったんだ」
 突き止めなくてはならなくなってしまった、だって? そんなこと、こっちは頼みもしなかったのに。
「心当たりなんて、あるわけなかったんだよね――この手紙は、原田くんの靴箱に入れられたものではなかったんだから」
 入山の視線が、さらにとがった。
「どうして言わなかったの。この手紙は、自分に宛てて書かれたものじゃないって。かずさちゃんが好きなのは、自分じゃないんだって」
 まだだ。まだ大丈夫だ。何とでも言い訳できる。ぼくは冷静になるよう、自分に言い聞かせる。
「何となく言い出しにくかっただけだ。他人のラブレターを勝手に見ちゃったなんて、知られるとばつが悪いからね」
「質問を変えたほうがよさそうだね」
 しかし、入山はぼくを逃がしてはくれない。
「靴箱の一番左上は、出席番号一番の合庭くんが使ってるよね。原田くんは、確かに彼の靴を手に取っていた。いったい、何をするつもりだったの」
 今度こそ、ぼくは舌打ちをした。なぜ、忘れてくれないのか。これまで、奔放で何も考えてなさそうで、ぼくにとっては無害だと認識していた入山のことを、嫌いになりそうだった。
「原田くんは合庭くんの靴に対して、何かよくないことをしようとしていた。それをわたしに悟られないために、あの靴が自分のものであるように見せかけ、ラブレターも自分宛だと偽った。そうでしょう」
「考えすぎだって。合庭の靴が、どこのメーカーの何ていうスニーカーなのか気になったんだ。それだけだよ」
「嘘。本当は、靴を隠そうとでもしたんじゃないの」
「違う」
「証明できる?」
「そっくりそのまま返すよ。ぼくが合庭の靴を隠そうとした証拠なんて、どこにもないだろ」
 入山が口をつぐむ。ぼくは内心の安堵を面に出さぬよう努めつつ、冷笑を浮かべた。
「もういいかな。ぼくはトイレに行きたいんだ。じゃ、また明日ね、入山さん」
 体を反転させ、両手をズボンのポケットに突っ込んで歩き出そうとした、そのとき。
 入山が、昇降口に響き渡る声で告げた。
「ポケットの中、何が入ってるの」
 硬直する。心臓が、早鐘を打つ。
 いまや、はっきり自覚していた。ぼくは、危ういほど好奇心旺盛な彼女のことが、大嫌いになっていた。
「わたしがラブレターを拾ったとき、原田くん、ズボンのポケットに手を入れたよね。あのとき、手に持っていた何かをポケットに移したんじゃないの」
「そんなことしてない」
 ポケットから両手を出し、背を向けたまま反論する。入山は引かない。
「見せて。やましいことがないならいいでしょう」
「やめろって――
 抵抗するより早く、入山が背後に迫ってぼくのズボンのポケットに両手を突っ込んでいた。直後、声を上げたのはぼくだった。
「痛い」
「これ――
 入山がポケットから手を引き抜く。握りしめていた右のこぶしを、ゆっくり開いた。
 とうとう、ぼくは観念した。もはや言い逃れはできそうにない。
 入山が、先ほどまでとは打って変わって静かな口調で問う。
「どうしてこんなことを。原田くん、合庭くんとは仲よかったよね」
「……誰にも言わないって約束してほしい。そしたら、全部正直に話す」
「言わないよ。未遂なんだし、言う必要がない」
 もとより弱みを握られたぼくに選択権などなかったが、ここは入山の言葉を信じることにした。
「ぼくは、前から仲村さんのことが好きだったんだ。合庭にも、こいつならと思って打ち明けてた。だけどあいつ、ぼくの気持ちを知ってるくせに、最近仲村さんと仲よくしてて」
 情けないことを白状しなければならないみじめさで、体温が下がるのがわかった。
「昨日、仲村さんに告白したんだ。一緒に花火大会に行こうって。そしたら彼女、こう言った」
 ――ごめんなさい。あたし、合庭くんのことが好きなの。
「悲しくて、悔しくて、合庭のことが憎くなった。ぼくがやったってバレないように、あいつに痛みを味わわせてやりたくなって、こんな方法しか思いつかなかった」
 まさか同じ日に仲村かずさが、よりによって合庭の靴の上に、ラブレターを置くなんて。そんな、運命のいたずらとでもいうべき偶然が、入山の好奇心を刺激し、回り回ってぼくの企(たくら)みを暴いてしまった。
 最低なぼくを、入山は笑いも罵りもしなかった。代わりに、たった一言だけ告げる。
「そんなことしても、かずさちゃんは振り向いてくれないよ」
 ぼくはうなだれ、うめくように答えた。
「わかってる……そんなの、言われなくてもわかってるよ」
 入山の手のひらの上には、いまも画鋲が載っている。それがさっき、入山がポケットに手を入れた瞬間にぼくの太ももに刺さったのは、きっと罰が当たったってやつなんだろう。


~中学生らしい、かわいいお話。こういうのもミステリーって言うんでしょうか。~



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