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小倉への旅、父と私のルーツ 直木賞作家・桜木紫乃さん寄稿

小倉の台所「旦過市場」を歩く桜木紫乃さん(左)と東山彰良さん=北九州市小倉北区、河合真人撮影

>東山彰良さんが桜木さんの福岡滞在について書いたコラムはこちら

 雪解けのころ、東山彰良氏からのメールに「シノねえさん、A級小倉劇場が閉館するそうです」とあった。それは行かねばならぬ。ではトークイベントも。話はトントン拍子。

 会場となった福岡市のブックスキューブリックにお越しいただいた女性のみなさまに、良い機会なので長年の疑問をぶつけてみた。

 「九州の女の人は、嬉々(きき)として夫の靴下を脱がせたり穿(は)かせたりするというのは本当ですか」。ぐるりと会場を見渡せば、女性の九割が首を横に振っていた。名物に偽りあり、か。北海道の女は情が深いと言われながら、実は面倒になったところでスカッと「捨てる」のだが、なるほど北も南もうまいこと手のひらで転がされているうちに、いいようにされているのは男の方かもしれぬ。

 翌日はA級小倉劇場へ。折も折、東京で摘発があったばっかり。そんなときに行ってもいいのかストリップ劇場。願わくば舞台で過剰なサービスがありませんように、と思いながら周囲を見回せば、女性客が七人。いい時代になった。天岩戸を開いた女の踊りは時代を問わず美しい。美しいものは美しいと、大声で言える世の中こそが美しいのだ。

 その後、角打ちでの立ち話で、小倉はパンチパーマ発祥の地であることを知った。

 実は十五でラブホテルの娘になる前、わたしは理髪店の娘だった。父が夜な夜な刃物を研いでいる後ろ姿を見て育った。父が最も得意としていたのは、ヘアアイロン。理髪師の技術競技会で、釧路から初めて全国大会に進んだのは、彼の競技会人生の最も華やかな出来事だったはず。

 早速釧路に住む父に電話をかけ、パンチパーマの技術はどこで覚えたのか訊(たず)ねてみた。とにかく、あれほど爆発的に全国で人気が出たヘアスタイルである。

 「理美容器具の問屋が、パンチパーマの保ちがいい薬剤を売るために連れてきた講師がいた」と父。

 いや、あなた、そのひとは十中八九、小倉の「ヘアサロン永沼」の初代店主ですよ。

 今回九州に行かなければたどり着けなかった、久しぶりに盛り上がる親子の会話。父の昔話を聞いたのも久しぶりだったのだが、若い頃よりも毒気が抜けて、ひどく穏やかな口調だった。

パンチパーマ発祥の店を訪れた桜木紫乃さん。残念ながら店は閉まっていた=北九州市小倉北区、河合真人撮影

 話しているうちにあれこれと思い出したらしく、理髪店を畳んだ本当の理由が滑り出る。

 競技会の花形種目で全国大会へ行ったのが三十過ぎ。しかし歯が立たなかった。そこから寝ないで頑張ったものの、何かつかみかけたところで、種目が競技会から外れた。

 優勝していたら、ホテル屋にはならなかったという父の言葉に、愕然(がくぜん)とする。九州の旅が、私の来し方にまで関わってきてしまった。どこで何に出会うか分からぬのが旅。ストリップ劇場目当てで行った小倉で、なぜいま小説を書いているのか、の問いとプロセスが目の前に現れたのだった。

 ぽつぽつと語る昔話は、十五で北海道大学の理髪店に奉公に出たところまで遡(さかのぼ)った。一年経たずに栄養失調で実家に戻されたことは聞いていたが、その「栄養失調」が症状からして実は「うつ」であったことに、今ごろ気づく親不孝。

 二十人もいる弟子のいちばん下っ端がどんな扱いを受けたのかは想像が及ばない。けれど、そんな繊細な少年がいつしか、北海道にゴロゴロと転がっている「ひと旗あげなけりゃ」の山師へと成長してゆくのである。

 大人になってから父を尊敬したことはただの一度もなかったが、いま彼の一生を理解できるのは自分だけのような気もする。頭の中にあるのは技術のことばかりで、その技術を活(い)かせる場所、自分が最も輝ける場所を失った男がたどり着いた「ラブホテル経営」という居場所を、娘の私はもう笑えない。父が名付けた「ホテルローヤル」。娘の私は同じタイトルの本を出し、小説家になった。双方、己を知りたい一心の行動だ。

 理髪師としての父は、仕事中に子供がぶつかってきても絶対に手元が狂わぬほど足腰を鍛えていた。私は父の過去に在る「目標を失った日」を想像して、少し泣いた。

 北海道の釧路と、九州は小倉。南北にひょろ長い国の端と端。ストリップが目的で飛行機に乗ったのだが、思わぬところで自分のルーツにも触れる旅となった。

 A級小倉劇場は、その後存続が決まったと聞いた。まことに嬉(うれ)しい。ストリッパーも理髪師も小説家も、精進なくして続かぬ仕事に変わりない。改めて自分が何を求めて劇場に行くのかも、うっすらと見えてきた。

 私は、裸を観(み)に行っているのではなく、舞台で裸になれる人を観に行っているのだろう。日々の精進の賜(たまもの)として在る、それは生きるための芸なのだ。

 おかげさまで書き手としてのアンテナがぴしりと立ち上がった九州の旅となった。東山氏はじめ、企画してくださった方々、最高のもてなしで迎えてくださったみなさん、ありがとうございました=朝日新聞2021年5月31日掲載

 さくらぎ・しの 2002年に「雪虫」でオール読物新人賞を受賞し、同作などを収録した単行本「氷平線」で07年にデビュー。実家が営んだラブホテルを題材にした「ホテルローヤル」で13年に直木賞。20年に「家族じまい」で中央公論文芸賞。近刊に「いつか あなたを わすれても」がある。

(このエッセーの取材旅行は4月中旬、新型コロナウイルス感染予防策にも留意して行いました)